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8月30日(水)黒田未来雄『獲る 食べる 生きる』は僕の杖になった

  • 獲る 食べる 生きる: 狩猟と先住民から学ぶ”いのち”の巡り
  • 『獲る 食べる 生きる: 狩猟と先住民から学ぶ”いのち”の巡り』
    黒田 未来雄
    小学館
    1,870円(税込)
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 黒田未来雄『獲る 食べる 生きる』(小学館)読了。

 何度深く息を吐き出しただろうか。
 何度自分の手を見つめただろうか。
 何度心臓の音を聞こうとしただろうか。

 ハンターが仕留めた獲物を食し、血と肉、すなわち命にするように、僕はこの本を読み、その言葉を、その想いを、僕の血と肉、人生にするだろう。

 星野道夫さんの著作を耽読し、北方の自然への憧れていた著者はアラスカの犬橇家の元に飛び込み2週間を過ごす。数年後、とある縁からユーコンのダギッシュ/クリンギット族のキースと出会い、彼を師として狩猟のこと、自然のこと、人生のことを学ぶ。そして北海道で暮らし、狩猟の道を歩む。

 まず、この冒頭5ページのプロローグを読んで震えた。こんなに短い文章なのにすべてが凝縮されている。これは狩猟の本であるけれど、生きるための哲学の書でもある。しかもとても表現力豊かで、時には詩的でもあるので、心の深いところに、まるで鋭利なナイフのように突き刺さる。しかしそれは苦しくなく自然と涙があふれてくるようなあたたかな痛みだ。

 自分の人生を自分の力で生きる。いや自然のなかで生かされる。都市で生活している自分にはほど遠い世界のように見えるけれど、そうではない気がする。

 これからきっと何度もこの本を読み、この本を「杖」として生きることになるだろう。

8月29日(火)私鉄電車に揺られて

 昨日を境に急に涼しくなるわけでもなく、本日も激暑続く。激暑閉店セールはまだ始まっていないようだ。

 私鉄に揺られ、ときおり、客注の電話をいただく本屋さんを覗いてみると、とてもいい感じの町の本屋さんでうれしくなる。

 当たり前だが、まだまだ知らない本屋さんはいっぱいあるわけで、さらに外に出て歩かなければならない。

8月28日(月)ありがとう

 9時出社。なんだか少し涼しい気がする。夏、というか激暑の終わりだろうか。一刻も早く終わって欲しい。激暑が終わったらお祝いしたい。

 午前中、ゲラを読み込んでいると、息子からLINEが届く。

 昨日送った荷物が無事届いたという報告。段ボールに息子が初めて読み終えた本『コンビニオーナーぎりぎり日記』の〈汗と涙のドキュメント日記シリーズ〉の他の本を何冊か入れ、あとは妻が食料やら洗剤やら寝袋やらを詰めて送ったのだった。

 LINEには、「荷物着いたよ」の後に、「ありがとう」と記されていた。

 息子が本を一冊読んだことはうれしかったけれど、その1000倍くらい、こうして一番身近な、最も甘えてよい相手にも感謝の言葉を告げられるようになったのがうれしい。

 昼は家より持参したバナナ一本。

 午後、営業。営業から告知までがぴたっとハマった展開に思わずガッツポーズ。誰にもわからないだろうが、個人的には祝杯をあげたい気分。

 夕方、Book Seller Assistの草彅さんに会う。

 夜、コロナ対応で面会NGの母親に手紙を書く。

8月25日(金)海苔弁で盛り上がる

 昼前、昨日突如沢野ひとしさんから私宛に届いた「金一封」を握りしめ、九段下の高級海苔弁「いちのや」まで歩く。ここの海苔弁は、目黒さんが競馬場に行く時などに持っていっていた好物らしく、以前より一度食べてみるよう薦められていたのだ。

 というわけで沢野さんからいただいた金一封で社員のみなさんの分も含めて海苔弁を購入。帰路、成城石井でお茶とデザートも追加。社内で広げると大盛り上がり。弁当ひとつでこんなに盛り上がれるなら、「弁当の日」という福利厚生を設けてもいいかもしれない。

8月24日(木)甘えのない世界

 とある書店さんに頼まれていた販促物を届けにいくも、担当の方は見当たらず、事務所へ回る。

 そこでは幾人もの人が忙しく立ち回っており、これはタイミングの悪い時間に訪問してしまったと反省しつつお声かけするも、まったく反応してもらえず、我、透明人間と成り果てる。

 至近距離、目の前1メートルに人はいるのだが、どうやら私は見えないらしい。改めてさきほどより声を大きくしてみるもそれでもやはり気づいてもらえない。こんな時、身長が2メートルくらいあればいやでも気づいてもらえるのだろう。残念ながら私の身長は顕微鏡でやっと確認できるミクロなのであった。

 気づいてもらえれば5秒で済むことなんだけれど、相手にしてみれば、こいつ(私)がどれだけ面倒なことを言い出すかわからないのだから、それは無視するのが得策だと思うだろう。ただし無視されてしまうと時は永遠なのだった。回れ右をして宅急便で送り直すという手立てもあるが、それでは私の存在価値はなくなってしまう。

 勇気を振り絞り、改めてさきほどよりも大きな声で告げるとやっと私の身体に色素が宿り、目を向けてもらえたのだった。販促物をお預けし、一件落着。52歳になろうと、30年続けようと、本屋大賞を立ち上げようと、営業の現場ではそんなことはまったく関係ない。人として失礼なことをしていないかどうか、邪魔になっていないか、迷惑をおかけしていないか、売れる本を出しているかどうか、そういう甘えのなさが私は大好きだ。

 その後、25年来のお付き合いの書店員さんを訪問。アイスコーヒーを出していただき、1時間ほど夢中で話す。

 この書店員さんとの最初の対面だって、そう簡単なものではなかったはずなのだ。

8月23日(水)息子が読んだ初めての本

  • コンビニオーナーぎりぎり日記 (汗と涙のドキュメント日記シリーズ)
  • 『コンビニオーナーぎりぎり日記 (汗と涙のドキュメント日記シリーズ)』
    仁科 充乃
    フォレスト出版
    1,430円(税込)
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    honto

 お盆休みで新潟から帰ってきた息子が、私の本棚を眺めポツリとつぶやいた。

「一人暮らしって暇なんだよ。俺も本読もうかな」

 これまでまったく本を読んで来なかった息子が、本に興味をもった瞬間だった。

 どんな話の本が読みたいか訊ねると、殺人事件が起きて、犯人を探しているとまた別の殺人が起きたりして、それで最後に「ああそうだったのか」ってぴったりハマるような話、という。

 それは明らかにミステリーであり、残念ながら私はミステリーに疎いのだった。しかもミステリーの本はほとんど持っていない。この本棚をいくら眺めても息子の欲する本はないだろう。

 そこで伊坂幸太郎や道尾秀介を溺愛する娘を呼び、息子のリクエストを伝えてみた。

「それなら湊かなえがいいんじゃない?」
「『告白』?」
「『リバース』がいいと思うよ。ドラマ観てたから筋もわかってるし」

 なるほど。それなら本を読み慣れていない息子もとっつきやすいかもしれない。娘が自分の本棚に『リバース』を取りに戻ったところ、私の本棚を眺めていた息子が、「なにこれ面白そう!」と言って一冊の本を抜き出したのだった。

 それは仁科充乃『コンビニオーナーぎりぎり日記』(三五館シンシャ)だった。コンビニは日々利用しているし、高校生の頃サッカーショップでアルバイトしていたので、接客業を身近に感じて手を伸ばしたのだろう。

 息子はそのままベットに横になり、冒頭を読み始める。息子が本を読む姿を初めて見るのだった。

 息子はその本をリュックに積めて、新潟に帰っていった。

 それから10日が過ぎた今日、息子からLINEが届いた。

「コンビニ最終章まできました。どハマりです。」

 まさか息子が本を一冊読み終える日が来ようとは思いもしなかった。しかもどハマりするなんて考えたこともなかった。さらにシリーズの他の本を送って欲しいとリクエストしてくるとは。

 暇であること。
 孤独であること。

 もしかするとそれが人を本に向かわせるのかもしれない。

 私が本を読むようになったのも、浪人して有り余るほどの暇と初めての孤独を感じていたときだったのだ。

 早速シリーズの別の本を段ボールに詰めて、新潟に送る。

8月22日(火)電話番の日々

本日も事務の浜田が夏休みのため終日電話番。

しかし昨日のようなこともあるので、ちゃんと襟のついたシャツを着て出社すると、やはりお急ぎの追加注文が届き、書店さんに直納する。「本の雑誌」9月号20冊。平凡社特集はとても評判がよく、売上もすこぶるよい。ありがたいかぎり。

突然の雨降りの中、K出版社のMさんが来社。転職されたばかりで、新しい広報サービスの説明を受ける。

日々、こうしていろんな人が会社にいらしてくれて大変ありがたいのだけれど、本当は自分の方からどんどん会いたい人に会いに行かなければならないのだ。安住は死。

午後はじっくりとゲラを読む。自分が作っている本のゲラほどこの世に面白い本はない、と思いつつ、読む。

8月21日(月)NYから新元良一さんがやってきた

 事務の浜田が夏休み中のため本日も終日電話番。

 社内ひきこもりをいいことに、Tシャツとゆるゆるのパンツで出社したところ、なんと書店さんから直納希望の追加注文が届く。この格好で直納するのは恥ずかしい。でも短パンでなくてよかった。『いつものラジオ』を持って、仮店舗営業中の三省堂書店さんへ。

 24日搬入の『モールの想像力』の部数を「BookEntry」及び「enCONTACT」で確認。電話で確認するより楽チンなのだった。

 午後、フェアのPOP作りに勤しんでいると、ニューヨークから帰省中の新元良一さんがやってくる。

 そういえば日本ではバーンズ・アンド・ノーブルが書店員の力で蘇ったと伝えられているけど本当なのか?と訊ねてみる。

 すると、確かに一時期ひどい店(売れ筋しかない)になっていて、それならみんなAmazonで買うわなみたくなってたのが、ここのところ品揃えも良くなり、POPなども立ってよい店になって、お客さんが増えているとのこと。

 新元さん曰く、バーンズ・アンド・ノーブルよりもマクナリー・ジャクソン・ブックスが元気で、4軒目の出店もしており、ここはほんとにいい本屋らしい。

 ちなみにニューヨークは本屋が増えており、やっぱり街の人たちがおらが街に本屋がないとはいかんだろみたいな感じで、本屋さんで本を買っているらしい。

8月18日(金)『海賊たちは黄金を目指す』は、冒険・探検ものの特製幕の内弁当だ!

  • 海賊たちは黄金を目指す: 日誌から見る海賊たちのリアルな生活、航海、そして戦闘
  • 『海賊たちは黄金を目指す: 日誌から見る海賊たちのリアルな生活、航海、そして戦闘』
    キース・トムスン,杉田 七重
    東京創元社
    2,970円(税込)
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  • 最新世界周航記〈上〉 (岩波文庫)
  • 『最新世界周航記〈上〉 (岩波文庫)』
    ダンピア,平野 敬一
    岩波書店
    1,243円(税込)
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  • 最新世界周航記 下 (2) (岩波文庫 青 486-2)
  • 『最新世界周航記 下 (2) (岩波文庫 青 486-2)』
    ダンピア,Dampier,William,敬一, 平野
    岩波書店
    1,243円(税込)
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 キース・トムスン『海賊たちは黄金を目指す』(東京創元社)読了。こんなにドキドキワクワクする読書はいつ以来だろうか。

 1600年代後半にカリブ海で大暴れした海賊が残した7人の日誌から、そのリアルな様子を浮き彫りにするノンフィクションで、7人の中にはあの『最新世界周航記』(岩波文庫)のダンビアも含まれているのだ。

 訳者まえがきに、「海賊たちの活躍する舞台は海ばかりではない。」とあるとおり、「ときにはカヌーに乗って決死の川下りをしたり、クロコダイルやアナコンダが生息する茶色い水のなかを歩いて渡ったり。途中負傷して仲間たちについていけなくなれば、こちらを敵視する先住民の村にも置き去りにされて、生きながら焼かれる覚悟を強いられる場合もあ」り、約360ページが、冒険・探検ものの特製幕の内弁当のような話のオンパレード。

 そして海賊というものが、掠奪に明け暮れる残虐な面もあれば、リーダーや今後向かう方向を決めるのに民主的に投票したりする驚きの一面もあり、さらにその船の上での暮らしは、いつも濡れ鼠で、船倉に吊るしたハンモックは「頭上にも体の下にもぎっしり吊り下が」り、「おおいびきと悪臭に悩まされながら眠るのだ」という。

 一攫千金を夢みつつも生きるか死ぬかの日々の上に、そんな過酷な生活を強いられる"海賊"にはどんな人がなり、なぜ続けているのか。そうしたことが、どんどんページをめくりたくなる語り口で綴られているのであった。冒険・探検もの好きの私は、この特製幕の内弁当をご飯一粒たりとも残さず貪るように読んだ。至福の読書時間。大満足。

★   ★   ★

 9時に出社。
 本日より事務の浜田が夏休みのため、終日、電話番及びデスクワークに勤しむ。

 編集の松村が上野のお土産を持って出社してくる。新幹線が不通で実家に帰れなかったとのこと。残念無念。

 昼食に会社を抜け出し、古書会館で行われている即売会「ぐろりや展」へ。ちょうど先日読み終えたばかりの高田晃太郎『ロバのスーコと旅をする』(河出書房新社)の中で記されていた松原正毅『遊牧の世界』(平凡社ライブライー)を見つけ、藤原善一『ムラの移り変わり』(日本経済評論社)と一緒に購入。

 隣で棚を物色していたおじさんが、「これ、持ってるかなあ」と独り言を呟いていたが、会場にいたすべての人が同じことを思いつつ棚を徘徊していただろう。

 夕方、北原尚彦さんと小山力也さんが来社され、神保町古本屋ガイド対談を収録。こちらは秋刊行の別冊に収録する予定。

 浜田の司るデスクワークの(ほんの)一部を滞りなくこなし、帰宅。

8月17日(木)いま、私は驚くほど面白い本を読んでいる

  • 海賊たちは黄金を目指す: 日誌から見る海賊たちのリアルな生活、航海、そして戦闘
  • 『海賊たちは黄金を目指す: 日誌から見る海賊たちのリアルな生活、航海、そして戦闘』
    キース・トムスン,杉田 七重
    東京創元社
    2,970円(税込)
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9時出社。

いま、私は驚くほど面白い本を読んでいる、という興奮に包まれながら、キース・トムスン『海賊たちは黄金を目指す 日誌から見る海賊たちのリアルな生活、航海、そして戦闘』(東京創元社)を読みながら出社。

出社したものの本を閉じることはできず、結局、始業時間の10時まで読み続けたのだった。

11時、市ヶ谷の地方小出版流通センターさんへ『モールの想像力』の見本と注文短冊を持って訪問。担当のKさんと四方山話。

帰路、神保町で自転車に乗る青土社の営業エノ氏と会い、エノ氏が「本の雑誌」のバックナンバーを購入したいというので、共に会社に行き、バックナンバーを売りつける。しばし営業四方山話。

デスクワークをしていると明日明後日、古書会館で開催の「ぐろりや会」の準備を終えた立石書店の岡島さんがやってきて、四方山話。

夕方、編集の前田から諸々企画の相談を受けたので、真摯に対応する。

6時過ぎ、仕事を切り上げ、東京堂書店さん、三省堂書店さんを覗いて帰宅。

夜、面会できない母親に向けて手紙を書く。母親に手紙を書くのは人生で初めてのことだ。

8月16日(水)可変式家族

4時起床、7時半出社。

一年間の留学を終え、先週末に無事帰国した娘は、まだ体内にドイツ時間が残っており、明け方になって眠気がやってくるようだった。

この一年でずいぶんと我が家のフォーメーションが変わったものだ。

私妻娘息(20228月)
私妻息 (20229月)
私妻  (20234月)
私妻娘 (20238月)

おそらく今後4人に戻ることはないだろうから、ペップ・シティなみの可変型システムとして臨機応変に対応していくしかない。

朝早く出社したのには理由があって、早急に販促パネルを作らならければならなくなったからだった。

こういうものは頭で考えるより手を動かすことが大事で、まだいくらか涼しい社内でインデザインを立ち上げ、文字を打ち込み、フォントを選び、色を決めていくうちに、予想していた時間の半分でデザインが固まる。カラーコピー機で出力し、貼りパネに貼って終了。

本日の仕事が終わった気分に浸る朝9時なのであるけれど、本当の仕事はこれからなのだった。

浜田と前田が出社し(松村は夏休みで帰郷らしいが静岡の豪雨で新幹線が止まっており果たしてどうなったのか?)、お盆最終日の本の雑誌社もスタート。

本日は824日搬入の新刊、大山顕『モールの想像力』の初回注文〆切のため、短冊とデータを付け合わせ、取次のシステムにアップロードする。

慣れてしまえば簡単なもので、かつては暑かろうが寒かろうが吹雪だろうが酷暑だろうが大量の見本を持って取次の仕入れに足を運んでいたのが幻のよう。

2時にT出版社のTさんが面白そうな新刊を携えて来社。版元営業四方山話で盛り上がる。

3時に社を出て、丸善丸の内本店さんへ追加注文いただいた『明日ロト7が私を救う』を直納。店内はお盆休み中のお客様でいっぱい。なんだかとてもうれしくなる。

その後、営業し、帰宅。

夜、実家に車を走らせ、父親の送り火。これまでお盆というものと真剣に向き合ってこなかったのだけれど、今年は新盆とのことで、見よう見まねで灯籠やナスやきゅうりを用意し、迎え火をした上でお坊さんにお経を読んでいただき、またこうして今日、玄関でひとり小さな火を焚き、父親を見送るのるだった。

また来年ねと夜空を見上げて声をかけ、父はあの世へ、私は車に乗って家に帰る。

8月8日(火)木内昇『かたばみ』を読んで父や母を抱きしめたくなる

 木内昇『かたばみ』(角川書店)は、昭和18年から物語が始まる。岐阜より17歳で上京した山岡悌子は、日本女子体育専門学校で槍投げの選手としてオリンピックを目指していた。しかし怪我もあって国民学校の代用教員となり、小金井にある惣菜店の上に暮らしだす。

 私事であるけれど、4月に亡くなった父親はその昭和18年生まれだった。脳梗塞で入院中の母親は昭和15年、同居している義母は昭和13年の生まれだ。

 戦争があり、戦争が終わり、物はなく、お米も食べられず、大切なものを失い、それでも生活は続く。

 悌子にも今の時代だったら考えられないほどの苦しみや悲しみが襲いかかる。B29の爆撃に怯え、国のためにとがんじがらめの指導をするよう強いられ、日々食べるものにも苦労する。

 木内昇はそれを朗らかに描く。朗らかに描くからこそ、伝わってくるものがあまりに多い。

 悌子のように、いろいろなこと、さまざまな想いを乗り越えてきた人たちが、私たちを産み、育て、今があるのだろう。私の父親や母親が、そして義母が、こうした中をただただ必死に生きてきたのだ。一所懸命に生きてきたのだ。そう思うとぎゅっと抱きしめたくなる。

 でももう死んでしまった父親を抱きしめることはできない。悲しいけれど、それを乗り越えて、私も必死に生きていかなければならない。

 そう、"かたばみ"のように。

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