8月8日(火)木内昇『かたばみ』を読んで父や母を抱きしめたくなる
木内昇『かたばみ』(角川書店)は、昭和18年から物語が始まる。岐阜より17歳で上京した山岡悌子は、日本女子体育専門学校で槍投げの選手としてオリンピックを目指していた。しかし怪我もあって国民学校の代用教員となり、小金井にある惣菜店の上に暮らしだす。
私事であるけれど、4月に亡くなった父親はその昭和18年生まれだった。脳梗塞で入院中の母親は昭和15年、同居している義母は昭和13年の生まれだ。
戦争があり、戦争が終わり、物はなく、お米も食べられず、大切なものを失い、それでも生活は続く。
悌子にも今の時代だったら考えられないほどの苦しみや悲しみが襲いかかる。B29の爆撃に怯え、国のためにとがんじがらめの指導をするよう強いられ、日々食べるものにも苦労する。
木内昇はそれを朗らかに描く。朗らかに描くからこそ、伝わってくるものがあまりに多い。
悌子のように、いろいろなこと、さまざまな想いを乗り越えてきた人たちが、私たちを産み、育て、今があるのだろう。私の父親や母親が、そして義母が、こうした中をただただ必死に生きてきたのだ。一所懸命に生きてきたのだ。そう思うとぎゅっと抱きしめたくなる。
でももう死んでしまった父親を抱きしめることはできない。悲しいけれど、それを乗り越えて、私も必死に生きていかなければならない。
そう、"かたばみ"のように。






