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10月26日(木) 伊与原新『宙わたる教室』を読んで研究室を思い出す

「どうやって本の雑誌社に入ったのか?」とか「どうやって生きて今があるのか」みたいな話になると、いつも18歳の夏に親友から本を薦められ、それを読んで雷に打たれたように本の面白さに目覚めた。そして翌日浪人して通っていた予備校をやめて、まずは経験を積もうと本屋さんでアルバイトを始め、そこから歯科専門の出版社に入り、3年半過ぎた時に本の雑誌社に転職した、みたいに説明している。

 これには嘘ではないけれど、夢実現みたいなストーリーとしては流れの悪い2年間をカットしていたりするのだ。

 その2年間というのは機械設計の専門学校に通っていた時期で、要するに本から雷を受け、出版社で働きたいなんて想いは、本屋さんでアルバイトしているうちにすっかり摩耗しちゃって、もうめんどくさいから父親の町工場を継ごうかなとふわふわ進路を変えたのだ。

 自分は、夢を追い続けれられるような人間でもないし、その夢に向かって毎日努力できるような人間でもさらさらないのだった。

 ところが、そんな気持ちで入学した専門学校で、これが自分の性分に一番あってるかもというものに出会えたのだ。

 それは図面を描く製図だ。トレーシングペーパーに0.3とか0.7のシャーペンで線を引いていくのがとても楽しく、専門学校というのは課題に追われるわけだけれど、それがまったく苦にならなかった。

 学校でもずっと図面を描いて、描きかけの図面を丸い筒の図面ケースに入れて持ち帰ると、今度は父親の会社の設計部長の家からもらってきたドラフターに広げ、友達が麻雀しに来ても一人夢中になって線を引いているほどだった。

 ところがこれは天職だ!と思ったところに落とし穴が待っていた。設計と製図は違うのだった。設計というのはこういうものが必要だからどういう仕組みにしたらいいのかというのを考え、材料を検討し、それを実際にできるようにすることであり、製図はただ図面を描くことだった。

 出版でいえば編集者と校正家くらい違う仕事で、機械設計課の先生は「君たちは製図屋じゃなくて設計家なんだ」とやたら誇りを植え付けようとし、しかも僕が父親の会社を継いで必要なのはやはり設計であり、製図じゃなかったのだ。

 そしてその頃にはすでに図面もパソコンで描くようになっており、CADの授業というのも当然あり、そこでは座標軸から何センチなんて数値を入れて緑色の線が引かれていたのだけれど、それはまったく面白くなかった。僕はシャーペンでコリコリ線を引いていくのが楽しかったのだ。

 だから結局この先自分はどこに向かっていけばいいんだろうとまたもやもやしていくのだった。

 そうは言っても図面描くのは好きで、生まれてはじめて自発的に通った学校で学ぶことも楽しく、素直に授業を受け、課題を提出していると、成績は最上位になっており、先生からの信頼を受けるようになってしまっていた。

 専門学校にも卒業課題というものがあり、何をしようかと考えていると、機械設計課の校長から呼び出され、研究を手伝うように言われた。

 それはコースティテック法によるポリカーボネイトの破壊検査みたいな研究で、来る日も来る日もオモリを変えて、プラスティック片がどう破壊されていくかを記録していくもので、しかも当時はデジタルカメラなんて普及しておらず、その都度その都度写真を撮り、暗くて臭い現像室にこもって、それを焼き付けるなんてことまでしていたのだ。

 そんな薄暗い研究室のことはすっかり忘れていたのだが、新刊が出たら必ず購入する鉄板作家の伊与原新の『宙わたる教室』(文藝春秋)を読んでいたらまざまざと思い出されたのだ。

 この小説は定時制高校に通ういろんな経歴を抱えた生徒たちが、科学部創設を夢見る教師の藤竹にのせられ、火星のクレーターがいかにできるのかを夢中になって研究していく小説だ。

 王道のストーリーと、科学の部分の詳細なディテールに引っ張られ、しかも研究のリーダー的な役割をする学生の岳人が自分の立場に似ており、すっかり共感して一気に読んでしまった。

 僕を研究に巻き込んだ機械設計課の校長は、この藤竹先生ほど生徒思いではなく、結局研究の成果も自分の出す本の資料にしたわけだが、就活の時期になると僕は校長室に呼び出され「君には学校長を授ける。だから行きたい会社に就職させてやる」と言ってくれたのだった。

 問題は、このときにはすでに「設計」に興味を失っていた僕は、機械設計課に届いている求人にはまったく就職する気がなく、僕は校長にこう言い放ったのだ。

「僕は出版社に勤めるのが夢なんです」

 そのときの部長が浮かべた「は?」という表情は今でも覚えている。ただそうまで宣言して卒業したのに、4月から僕がしたのは朝からパチンコ屋に並び、来る日も来る日もスロットマシンにコインを投入することだった。

『宙わたる教室』で岳人は言う。「その気になりさえすれば、なんだってできる」と。

 僕がその気になるには、もう少し時間が必要だった。

10月17日(火)藤野千夜『じい散歩 妻の反乱』を読む

『じい散歩』(双葉文庫)の「じい」こと明石新平は、大正生まれの正真正銘のおじいさんだ。しかし毎朝独自に編み出した体操を1時間ほどこなし、これまた独自に考えた健康に気をつかう朝食をとると、すたすたひとり散歩に出かけていく。その出かけた先の昼食には若者が食べるようなこってりしたハンバーグなどをぱくりと食す健啖家でもある。

 こう聞くと元気有り余る頑固者のおじいさんに思えるけれど、新平はそんな老人ではない。

 3人いる息子の長男は引きこもりでずっと家におり、三男は借金まみれで口を開けばお金を無心してくる。唯一家を出て自活している次男は、自分のことを長女と呼んでというトランスジェンダーだが、そういった家庭を新平はあっさり受け入れている。

 なぜ新平はそんな平静にしていられるのだろうか。9人兄弟の長男だからなのか、叩き上げの建設会社の経営者だったからなのか、はたまた戦争を体験しているからなのか。理由はわからないけれど、気がつくとすっかり新平のことが大好きになっているのである。新平だけでなく、明石家のみんな、新平の兄弟、親戚みんなが愛おしいのだ。

 続編となる『じい散歩 妻の反乱』(双葉社)では、そんな新平を中心に介護が必要になった妻・英子との日々が描かれる。

 場合によっては暗くなりそうな物語を、藤野千夜は絶妙なユーモアを交えて綴る。アメリカデーのエピソードでは思わず笑い転げてしまうほどだった。

『じい散歩』が出た頃、北上次郎さんが「北上ラジオでどうかな?」と言っていたことを思い出す。しかしその言い方が「どうかな?」と薦めておきながらどこか遠慮している感じで、僕はそのとき未読だったから結局ラジオは録らずに終わってしまった。

 その後『じい散歩』を読んでわかったのだけれど、あのとき北上さんが遠慮したのは、おそらくこの老人を主人公にした小説は、自分が老人だから面白いと感じていると思ったのだろう。だから遠慮を覚え、ずっと年下のぼくに強くはおすすめしなかったのだ。

 しかし『じい散歩』も『じい散歩 妻の反乱』も読み終えた僕は、胸をあたたく包まれ、そして涙を流している。

 明石新平は僕の父親であり、妻・英子は僕の母親なのだった。出来の悪い息子は僕自身だ。だから介護や親との別れが始まるぼくらの世代こそが読んで欲しい小説なのだった。

10月16日(月)応援するということは応援されるということ

 浦和レッズがルヴァンカップ決勝進出を決めたので、意気揚々と8時に出社。

 昨日は、「酒井宏樹が俺を呼んでいる」と謎の言葉とともに突如新潟から帰省した息子と埼玉スタジアムのゴール裏で声のかぎり応援したのである。

 しかし応援というものは、応援していると同時に応援されてもいるものだ。

 たとえば影のMOMなみの活躍をした岩尾憲選手の「自分たちがこのクラブに求められている成果や一人ひとりのパフォーマンスの質も含めて、非常に高いものを要求されていると思いますし、それができなければ淘汰されていくクラブだと思います。」なんて言葉は、私が本の雑誌社で考えなければいけないことである。

 また酒井宏樹の累積警告出場停止のため慣れぬ右サイドバックで出場した関根貴大選手の「本職ではないということで思いきってプレーできました。抜かれても自分のせいではないというか、そのくらいの気持ちじゃないとやっていられませんでした。ふっきるしかありませんでした。」という発言は、本職の営業だけでなく編集もやっている私の背中を押してくれるものだった。

 こうして私は浦和レッズを励まし、それとともに浦和レッズに励まされ、日々生きているのだ。

 朝、誰もいない社内で集中してゲラと格闘する。

 午後、営業。勇気がでないときは、昨日の荻原拓也を思い出す。

 夜、帰宅。3週間ぶりに母親からハガキが届く。

10月13日(金)実家の電話

たぶん僕が初めて覚えさせられたのは、実家の電話番号だったと思う。

04⚫︎7-⚫︎5-55⚫︎5

5がいっぱいあるのが自慢だった。

僕らが大人になるまで携帯なんてなかった。ポケベルはサラリーマンのおっさんが使うものだった。だから家の電話番号こそが友達とも好きな女の子とも繋がる唯一の手段だった。電話をかけるのもかかってくるのもいつもドキドキしていた。

結婚して、家を出て、新しい番号が自分の家の番号になった。なかなか覚えられなかったけれど、その頃には誰もが携帯電話を持っていて、家の電話は母親か迷惑電話しか鳴らなくなっていた。

04⚫︎7-⚫︎5-55⚫︎5は、いつのまにか04⚫︎-7⚫︎5-55⚫︎5と市内局番が一桁増えていたけど、それは実家の番号として母親に連絡を取るときに使っていた。サッカーの予定を伝えたり、週末帰る時に電話していた。

娘や息子も「ババに電話する」といってその番号を覚えた。息子はアウェイの浦和レッズの試合が終わるといつもババに電話していた。オレオレ詐欺対策なのか「もしもし興梠慎三です」というのが息子の第一声だった。子供たちが唯一覚えている電話番号はもしかすると僕の実家の番号なのかもしれなかった。

母親が特養に入ることになり、実家にはしばらく帰って来ないことが決まった。特養で過ごすには毎月それなりのお金が必要だ。実家のいろんなものの契約を改めなければならず、まずは父親が時代劇を見るために契約していたJ-COMを解約することにした。

するといつの間にか電話もJ-COMになっていたらしく、担当の人が「こちらも合わせてのご解約でよろしいでしょうか?」と聞いてきた。解約すると同じ番号は使えなくなるらしい。

電話だけ残すといくらになるのだろうか? と一瞬問いただそうかと思ったけれど、未練を断ち切るようにして、「はい、かまいません」と僕は答えた。

今朝、実家に二人の作業員がやってきて、テレビに繋がる機器を外した。電話の主装置があるはずなんですが?と聞かれたが、それがどこにあるのかわからない。1階の全部屋を見てまわり、2階を見ても見つからない。弁当箱くらいの大きさらしいのだが、天井裏を覗いてもそれらしいものは発見できなかった。

「やっぱり電話はそのままでいいですよ」と声をかけそうになったとき、脚立に登った作業員が、風呂場の天井裏から主装置を見つけたのだった。あっという間にそれを外すと二人の作業員はトラックに乗って帰っていった。

携帯電話のアドレス帳から「実家」を選び、通話ボタンを押してみる。

聞こえてきたのは母ちゃんの声ではなく、「現在この番号は使われておりません」と無機的な声だった。

10月10日(火)2023年のベスト1

やばいやばいやばいのだ! 塩田武士『存在のすべてを』(朝日新聞出版)なんてとてつもない傑作が出てるのになんでみんなすましてるんだ⁈

だってこれ、横山秀夫×宮部みゆき級の極上のミステリーであり、極上の恋愛小説であり、極上の家族小説ではないか。もう10月だから安心して宣言しちゃうが、塩田武士『存在のすべてを』 2023年のベスト1だ!

そもそも同時誘拐事件というとんでもない導入から超緊迫の警察小説が始まるわけだ。これが新聞記者に視点が変わり、時には誘拐された少年の同級生の視点になっていく。そこはもう美術界の暗部を描く社会&仕事小説にもなっている。

さらに展開が進むに連れて物語は新たな一面を見せ、読み終えたときにはもうすごく遠くを旅した気分。

写実の絵、というのが通底したテーマなんだけど、もうその絵をとても見たくなる。どこかの美術館でやってないだろうか。

読み終えた今、傑作小説を読んだときにしか味わえない浮遊感に包まれている。

繰り返しになるが、塩田武士『存在のすべてを』(朝日新聞出版)は2023年のベスト1だ!

10月9日(月)黒川博行『悪逆』を読む

 5時起床。シャッターを叩く雨の音が聞こえ、慌てて天気予報のアプリを開く。終日、傘のマークがついている。出張明けで身体を動かしたかったのだけれど、本日のランニングは諦めざる得ない。

 二階に上がり、リビングの明かりをつける。出張中の新幹線やホテルで読み続けていた黒川博行の新刊『悪逆』(朝日新聞出版)を一気に読む。

 やはり前作『連鎖』から黒川博行は変わってきていると思う。

 それまでの[疫病神シリーズ]や[堀内・伊達シリーズ]などのように強烈な登場人物によるキャラクター小説を封印し、もっと普通の、真面目な人間から物語を紡ごうとしているように思える。


 今作の『悪逆』も、大阪府警察本部の舘野と箕面北署の玉川のコンビは休みも取らず大変勤勉に捜査に勤しんでいる。しかしだからこそ伝わってくる人間味がとてもいい。

 さらに今作では冷血冷酷な犯人の魅力がたまらず、ある種のダークヒーローのような読み応えもある。

 満足の一冊。次作も楽しみ。

 大学に行くという娘を駅まで送り、妻と私の実家へ。京都出張中に父親の月命日を迎えてたので、お仏壇とお墓に線香をあげ、お土産の八ツ橋をお供えする。

 さらにしばらく母親が実家に戻ってこないということが決まったので、冷蔵庫や乾物などを整理する。乾物入れから出てきたレトルトカレーを見て、胸が痛む。どうして私は父を亡くしたあと、母親と一緒にこの実家で暮らさなかったのだろうか。

 線香の香りが、胸に沁みる。

10月4日(水)熱い風呂に浸かる

  • 昭和50年代東京日記: city boysの時代
  • 『昭和50年代東京日記: city boysの時代』
    泉 麻人
    平凡社
    2,420円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
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    honto

 雨。寒い。これはもはや冬。私が求めているのは秋なのだが。

 午前中、気を高め、「おすすめ文庫王国」のお願いで、メールを40件ほど送る。ランニングハイならぬ、メーリングハイ。

 13時、本屋大賞実行委員会の中野さんがやってくる。四方山話。

 14時、営業へ。

 夜、埼玉スタジアムへ。AFCチャンピオンズリーググループステージハノイFC戦に参戦。冷たい雨が降り続くも、いつも以上に声を出し、チャントを歌い、身体もピッチも熱くする。6対0の勝利。新加入のエコニット・パンヤが予想以上によく、またボランチという本来のポジションに配置された安居も素晴らしかった。

 びしょびしょで帰宅。熱い風呂にゆっくり浸かる。

 泉麻人 『昭和50年代東京日記』(平凡社)を読んでいると、兄嫁からメールが届く。

 脳梗塞のリハビリで入院している母親の件。リハビリは順調に進んでいるものの、自宅に戻り暮らせるところまでは回復していないとのこと。このあとは特養に移ることになるらしい。

 雨は夜中まで降り続く。

10月3日(火)バーニーズ ニューヨークへ

 涼しい。世界はこんなに過ごしやすいところだったのか──と感じながら9時30分出社。

 午前中、企画会議。

 昼、セブンイレブンにルヴァンカップ準決勝のチケットを発券に行きがてら、本日は昼食を取る日なので「光華飯店」に向かい、「肉の細切り丼」を初めてオーダーしてみる。肉とキャベツを醤油ベースの味つけで炒めたものがご飯に乗っており、そのおかず力に箸がすすむ。

 午後、デスクワークしたのち、六本木へ。小豆島から上京している内澤旬子さんと落ち合い、バーニーズ ニューヨークに向かう。

 2020年2月に刊行した『着せる女』の、ほとんど主役といっていいであろうバーニーズ ニューヨークの鴨田さんなのだが、刊行とほぼ同時にコロナ禍に突入してしまい、対面してきちんとお礼を伝えることができずにいたのだった。

 そのことがずっと気になっていたところ、内澤さんの知人のMさんより鴨田さんにスーツをセレクトして欲しいというリクエストがあり、本日、着せ替え&お礼に伺うのだった。

 4年ぶりに聞く鴨田さんの提案とプロフェッショナルな言葉、そして何よりお客さんに似合うスーツを選ぶことを楽しんでいる様子を前に2時間があっという間に過ぎ去る。着せ替えしていただいたMさんも大満足で鏡を眺めているというまさしく『着せる女』の展開に胸が熱くなる。まさしくこれはひとつの舞台であり、体験(イベント)であろう。

 内澤さんとともに鴨田さんに出版のお礼を改めて伝えると、鴨田さん曰く、『着せる女』のおかげで社内外の評価もあがり、何よりもお母様やお兄さんが喜び、お仏壇に本をお供えてしてくれているとのこと。

 その言葉に思わず涙がこぼれ落ちそうになる。この信頼感こそが本の力なわけで、その信頼を裏切るような本は絶対作ってはならないと心に刻む。

10月2日(月)遠田潤子『邂逅の滝』のことを考える

 ついに秋がやってきた。振り返るだけで溶けてしまいそうなあの苦しい夏が終わった。

 週末に読了した遠田潤子『邂逅の滝』(光文社)のことを反芻しながら出社する。

 目次には「ファウストの苔玉」「アーム式自動閉塞信号機の夜」「犬追物」「火縮緬のおかげ参り」「宮様の御首」と5つの話が並んでおり、これが長編なのか短編なのか、はたまた連作短編なのかもわからないまま読み出したのだった。

 初めの一編の「ファウストの苔玉」を読んだ時、そのしっかり閉じた物語の完成度からすっかり短編集だと思い込み、ああ、こういう感じの男女の悲しい情愛を描いた短編集なのねと思ったものの、すぐ次の話に一話めの舞台となった「滝口屋」という文字を見かけ、これは連作短編なのかと慌ててまたページをめくり出すと、紅滝という紀州の山間にある美しい滝を前に、現代、大正、江戸、安土桃山、南北朝と時代を駆け巡る大長編といっていい奔流になっており、ベッドから飛び起きるほど驚嘆の読了をしたのだ。

 恐るべし遠田潤子!すごいぞ遠田潤子!!と興奮しつつ、毎度のことながらその遠田潤子の魅力を上手く伝える言葉が思い浮かばず、こうして電車のなかで考え続けている。

 9時半出社。週末に届いた原稿を整理し、諸々確認をする。
 昼前に一旦会社を出、丸善丸の内本店さんに『本の雑誌の目黒考二・北上次郎・藤代三郎』の追加注文分を直納に伺う。

 会社に戻ると、「杉江さん、普通に歩いてますね」と経理の小林から声をかけられる。

 土曜日にスッキリ隊で出動し、都内某団地の5階から階段で本を下ろしたことから筋肉痛ではなかろうかと心配していたようだった。事務の浜田は「まだ出てないだけで明日あたり痛がりますよ」と笑っていたが、いやはや私のふくらはぎをなめてもらっては困るのだ。階段5階20往復2440段を昇り降りした翌日の昨日も15キロほどランニングしているのだった。

 午後、『本を売る技術』の矢部潤子さんに講演の依頼があり、矢部さんとともにお茶の水の日販さんへ。コロナ以降約4年ぶりに訪れた日販さんはおしゃれな打ち合わせスペースとカジュアルな服装の人々が闊歩し、イチゴまでが栽培しているというすっかり異世界転生ぶりに慄く。見本出しの順番を記す番号札が懐かしい。

 打ち合わせを終えて、昨日からソラシティで開催されている古本市を覗く。スッキリ隊の立石書店岡島さんの姿はなかったものの、赤坂憲雄『山野河海まんだら』(筑摩書房)を手にする。

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