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10月13日(金)実家の電話

たぶん僕が初めて覚えさせられたのは、実家の電話番号だったと思う。

04⚫︎7-⚫︎5-55⚫︎5

5がいっぱいあるのが自慢だった。

僕らが大人になるまで携帯なんてなかった。ポケベルはサラリーマンのおっさんが使うものだった。だから家の電話番号こそが友達とも好きな女の子とも繋がる唯一の手段だった。電話をかけるのもかかってくるのもいつもドキドキしていた。

結婚して、家を出て、新しい番号が自分の家の番号になった。なかなか覚えられなかったけれど、その頃には誰もが携帯電話を持っていて、家の電話は母親か迷惑電話しか鳴らなくなっていた。

04⚫︎7-⚫︎5-55⚫︎5は、いつのまにか04⚫︎-7⚫︎5-55⚫︎5と市内局番が一桁増えていたけど、それは実家の番号として母親に連絡を取るときに使っていた。サッカーの予定を伝えたり、週末帰る時に電話していた。

娘や息子も「ババに電話する」といってその番号を覚えた。息子はアウェイの浦和レッズの試合が終わるといつもババに電話していた。オレオレ詐欺対策なのか「もしもし興梠慎三です」というのが息子の第一声だった。子供たちが唯一覚えている電話番号はもしかすると僕の実家の番号なのかもしれなかった。

母親が特養に入ることになり、実家にはしばらく帰って来ないことが決まった。特養で過ごすには毎月それなりのお金が必要だ。実家のいろんなものの契約を改めなければならず、まずは父親が時代劇を見るために契約していたJ-COMを解約することにした。

するといつの間にか電話もJ-COMになっていたらしく、担当の人が「こちらも合わせてのご解約でよろしいでしょうか?」と聞いてきた。解約すると同じ番号は使えなくなるらしい。

電話だけ残すといくらになるのだろうか? と一瞬問いただそうかと思ったけれど、未練を断ち切るようにして、「はい、かまいません」と僕は答えた。

今朝、実家に二人の作業員がやってきて、テレビに繋がる機器を外した。電話の主装置があるはずなんですが?と聞かれたが、それがどこにあるのかわからない。1階の全部屋を見てまわり、2階を見ても見つからない。弁当箱くらいの大きさらしいのだが、天井裏を覗いてもそれらしいものは発見できなかった。

「やっぱり電話はそのままでいいですよ」と声をかけそうになったとき、脚立に登った作業員が、風呂場の天井裏から主装置を見つけたのだった。あっという間にそれを外すと二人の作業員はトラックに乗って帰っていった。

携帯電話のアドレス帳から「実家」を選び、通話ボタンを押してみる。

聞こえてきたのは母ちゃんの声ではなく、「現在この番号は使われておりません」と無機的な声だった。

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