10月17日(火)藤野千夜『じい散歩 妻の反乱』を読む
『じい散歩』(双葉文庫)の「じい」こと明石新平は、大正生まれの正真正銘のおじいさんだ。しかし毎朝独自に編み出した体操を1時間ほどこなし、これまた独自に考えた健康に気をつかう朝食をとると、すたすたひとり散歩に出かけていく。その出かけた先の昼食には若者が食べるようなこってりしたハンバーグなどをぱくりと食す健啖家でもある。
こう聞くと元気有り余る頑固者のおじいさんに思えるけれど、新平はそんな老人ではない。
3人いる息子の長男は引きこもりでずっと家におり、三男は借金まみれで口を開けばお金を無心してくる。唯一家を出て自活している次男は、自分のことを長女と呼んでというトランスジェンダーだが、そういった家庭を新平はあっさり受け入れている。
なぜ新平はそんな平静にしていられるのだろうか。9人兄弟の長男だからなのか、叩き上げの建設会社の経営者だったからなのか、はたまた戦争を体験しているからなのか。理由はわからないけれど、気がつくとすっかり新平のことが大好きになっているのである。新平だけでなく、明石家のみんな、新平の兄弟、親戚みんなが愛おしいのだ。
続編となる『じい散歩 妻の反乱』(双葉社)では、そんな新平を中心に介護が必要になった妻・英子との日々が描かれる。
場合によっては暗くなりそうな物語を、藤野千夜は絶妙なユーモアを交えて綴る。アメリカデーのエピソードでは思わず笑い転げてしまうほどだった。
『じい散歩』が出た頃、北上次郎さんが「北上ラジオでどうかな?」と言っていたことを思い出す。しかしその言い方が「どうかな?」と薦めておきながらどこか遠慮している感じで、僕はそのとき未読だったから結局ラジオは録らずに終わってしまった。
その後『じい散歩』を読んでわかったのだけれど、あのとき北上さんが遠慮したのは、おそらくこの老人を主人公にした小説は、自分が老人だから面白いと感じていると思ったのだろう。だから遠慮を覚え、ずっと年下のぼくに強くはおすすめしなかったのだ。
しかし『じい散歩』も『じい散歩 妻の反乱』も読み終えた僕は、胸をあたたく包まれ、そして涙を流している。
明石新平は僕の父親であり、妻・英子は僕の母親なのだった。出来の悪い息子は僕自身だ。だから介護や親との別れが始まるぼくらの世代こそが読んで欲しい小説なのだった。