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1月30日(火)松本大洋『東京ヒゴロ』に震える

  • 東京ヒゴロ (1) (ビッグコミックススペシャル)
  • 『東京ヒゴロ (1) (ビッグコミックススペシャル)』
    松本 大洋
    小学館
    1,500円(税込)
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  • 東京ヒゴロ (2) (ビッグコミックススペシャル)
  • 『東京ヒゴロ (2) (ビッグコミックススペシャル)』
    松本 大洋
    小学館
    1,650円(税込)
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  • 東京ヒゴロ (3) (ビッグコミックス)
  • 『東京ヒゴロ (3) (ビッグコミックス)』
    松本 大洋
    小学館
    1,705円(税込)
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編集の松村から「市村さんからお薦めされたんですけど読みますか?」と渡された松本大洋の『東京ヒゴロ』(小学館)を読み出したところ、まさしくページをめくる手が止まらなくなり、全3巻一気読みしてしまい、読み終えると同時にこれは自分の本として所有し、我が本棚の最良本コーナーに並べなければならないと、慌てて往来堂の笈入店長に取り置き&取り寄せ依頼のメールを送ってしまった。

大手出版社の漫画編集者だった主人公はこだわりの漫画雑誌を作ったもののその販売が思わしくなく責任をとって退職するのだった。

しかし漫画への想いは捨てきれず、長年勤めて手にした退職金を使って改めて漫画雑誌を作ることを決意する。

そうして自身が信じる漫画家にひとりひとり原稿依頼していくのだけれど、主人公はもちろんのことすべての登場人物がまさしく「生きている」のだった。コマのあちこちから人が暮らしていることが存分に伝わってきて、さらにそういう暮らしの中から悩み悩んで創作物が生み出されていくということにたいそう胸を熱くする。

また主人公は出来上がった漫画を必死に書店さんに売り込むのだ。その姿が営業である私にはたまらないのだった。もう涙があふれて止まらなくなってしまった。

そしてなにより絵だ。絵が素晴らしいのだ。特に各話の最後に描かれる遠景が最高だ。部屋に飾っておきたい、と思うほどじっと見つめてしまった。だから「ページをめくる手が止まらなくなった」というのは嘘かもしれない。何度も何度もその手を止めて、まるで行間を読むかのようにじっと絵を眺めていた。眺めていたい。

久しぶりにこんな心震える読書体験をし、しばし呆然となって夜を迎えた。

1月29日(月)2日間ありがとう

朝、介護施設のお迎えの車を待っていると、突然母親が、「2日間ありがとうございました」と車椅子の上で頭を下げた。

どう返事をしていいのかわからなかった。2日間疲れなかったといったら嘘になる。自由になるはずの時間を無駄にしたと思わないこともなかった。

でもこれは感謝されることなのだろうか。母親からありがとうと言われたくて、週末実家で暮らしているわけではなかった。こうしたいと思ったのは自分自身だったのだ。

ずいぶん間が空いてから私は笑いながら答えた。

「こちらこそ、結婚して家を出ていくまでの26年間、ありがとうございました」

母親もぼかーんとしたあとに笑った。そして「そうね」とつぶやいた。

母親を見送り、父の墓参りをして、半蔵門線直通の東武伊勢崎線に乗って会社に向かう。

介護の人から出版社の人に頭を切り替えるもなかなかうまくいかない。あの閉じ切った小さな家とこの広い世界がうまく結びつかない。10時半に着いて12時過ぎまでゆっくり馴染ませていく。

午後、書店さんにPOPを届けに向かう。その後、先日会社まで本を仕入れにくださった書店さんに改めて伝票に番線印をもらいにいく。以前は手書きでも大丈夫だったのだけれど、どうやらそれでは本伝に切り替えられなくなり、取次店さんから返送されてきたのだった。

無事、番線印をいただき、会社に戻る。

会社にこの「炎の営業日誌」を愛読しているという版元営業の方がいらっしゃる。2年ほど前に編集から営業に異動になられたそうで、その時出版営業という仕事が皆目見当つかないときに上司に薦められ読み始めたそう。そして、「出版営業って面白いかも」と思えたそうで、いまや残念ながら介護日記化してしまっているこの日記だけれど、そうやって読んでいただけたことがとてもうれしくなる。

夜、新宿に行き、古書現世の向井さんと新年会。愉快な夜を過ごし、3日ぶりに家に帰る。

1月28日(日)母と散歩

  • 思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる
  • 『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』
    スズキ ナオ
    新潮社
    1,760円(税込)
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スズキナオ『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)読了。胸がいっぱいになる。素晴らしい。

私は去年の春に父を亡くし、その四十九日を終えた翌週母が脳梗塞で倒れ、半身不随になってしまい、現在、週末だけの介護同居生活を始めたところだ。

それはそれで仕方なしと受け止めて暮らしているのだけれど、つい数年前まで当たり前にあった父も母も健康で、ヨーカドーへ買い物に行った帰りにラーメンを食べたり、埼玉スタジアムで孫である娘や息子とともに三代揃って浦和レッズを応援していた日々が、今更ながらとても愛おしいのだった。

だからそんな家族のほんとになんでもない平穏な日々が綴られているこのエッセイ『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』はたまらないのである。

夫婦や子供たちの話、父や母の話、山形の親戚の話、どれもドラマというほどのことはほとんどなく、どの家庭にもあるであろう自然体の家族のぬくもりが詰まっている。読了後、思わず本を抱きしめてしまった。

★   ★   ★

今日初めて、母親の車椅子を押して散歩に出かけた。

40年前は、母親と並んで歩くなどこの世でいちばんの恥だと思っていた中学生で、ヘンテコリンにハンドルを立てて後ろに立ち乗りできるように改造した自転車で友達と二人乗りしてふらふら徘徊していたその道を、今、車椅子を押している。

40年前の私が、今の私を見たらなんと思うだろうか。「超だっせえ」と唾を吐いて追い越していくだろうか。

1月27日(土)週末介護同居生活2週目

朝、妻と9時に介護施設に母親を迎えにいく。平日5日間のショートステイを終えて土日は自宅に帰り私と暮らすのだった。

初めての介護施設はどうだったか感想を聞くまでもなく不満をいくつか話だし、それでも施設のヘルパーさんとはさっそく仲良くなったらしく、果たして我慢を強いた方がいいのか、新たな施設を探した方がいいのかよくわからなかった。

ちょうど電話のかかってきたケアマネジャーさんに相談し、別の施設も検討したく見学の手配だけはしてもらうことにする。

しかし果たしてそんな理想の介護施設があるものなのだろうか。介護施設ジプシーという言葉がふと浮かんでくる。あんまり考えないことにする。

それはともかく2週目を迎えた週末介護同居生活はもはやなんら不安もなく、すっかりこの暮らしに慣れてしまった。肩の力も腰の力も膝の力も抜けて、家事の合間にエアコンの前に寝転がり本を読むのが最高に幸せだ。

そもそも休日はランニング以外どこにもいかず本を読んで過ごしていたので、結局目の前に母親がいるだけでなにも変わらないのだった。問題はJリーグが始まってからか。

母親の友達が二人やってきてお茶を飲みながら楽しそうに時を過ごしている。

夕方に妻が帰り、晩飯の用意をして母と食す。食事を終えたところにレコーダーを取り出し、母親の半生を聞く。

すると記憶はかなりあやしいながらも目に力がぐんぐんと湧いてきて、顔の色艶が一気に良くなるのはどうしたものなんだろうか。まるで50代の頃の母親のよう。

1時間ほど話を聞いて、ひとまず父親と出会うところまでを知る。その大半は戦争中にどれだけひもじい思いをしたかであった。

1月26日(金)目黒さんに読んで欲しかった

宮島未奈『成瀬は信じた道をいく』(新潮社)読了。前作に引き続き、圧倒的目黒さんに読んで欲しかった本第1位。

最初の『成瀬は天下を取りにいく』が出たのが2023年3月で、目黒さんが亡くなったのはその2ヶ月前の1月のことだった。

もし半年刊行が早かったら、「成瀬、すごくいいんだよー」と目黒さんから電話かかってきて、「北上ラジオ」録ったり、新刊めったくたガイドで絶賛し、おそらく2023年のエンターテイメントベスト10の一位にしていたことだろう。

何事にも人の目を気にせず我が道をゆく主人公の成瀬あかりは、目黒さんの大好きなタイプの主人公であり、その成瀬が巻き起こすことによって周りの人間と読者がむくむく元気が湧いてくるのも目黒さんの大好物のストーリーであったろう。

それにしても少し前であれば成瀬のような登場人物はイジメの対象として描かれていたかもしれない。それが現代の、毎日空気を読むことに神経をすり減らし、いいねの数を気にする世の中において、ヒーローとなるのがとても興味深い。

1月25日(木)夕方の駅のホーム

夕方になると今日一日どうだったかなあと仕事を振り返る。無駄足になってしまった訪問、うまく返せなかった会話が頭に浮かび、駅のホームでため息がでる。

そんな時に内澤旬子さんから電話が入った。原稿の話からヤギや猫の話、そしてお互いの生活のことなどを一時間くらい話した。

電話を切ったらなんだか急に心が軽くなった。こうしてまるで友達のように信頼してくれる人がいるということはとても幸せなことではないか。

できなかったことよりできたこと、ないものよりあるものを見つめていこう。

1月24日(水)雑誌はだれのもの

朝、突然、このままじゃダメだと思いだす。仕事に取り組む姿勢を圧倒的に改めなければならないと決意する。

とある打ち合わせで、「雑誌は編集長のもの」という話を聞き、まあそれは昔から言われていることであり、私もそう言ったり書いたりしたことがあると思うんだけど、令和6年の今思うのは、「雑誌は読者のもの」なのであった。どこをどう切っても「読者に楽しんでもらいたい」という思いしかないのだった。

終日会社にこもり、デスクワーク。

とある団体に送ったメルマガがとてもよい内容(説明)だったと受け取った人より連絡いただき、とてもうれしくなる。

結局、コミニケーションの不全が不審を呼ぶわけで、きちんと伝えていくのが大切なのだった。感情に支配されがちな私に一番足りないところでもある。

夜、東京堂書店さん、三省堂書店さん、丸善お茶の水店さんを回遊して帰宅。本の匂いは最高の癒しなのだった。

1月23日(火)新連載

昨日から宇沢太城『書店員12カ月』がWEB本の雑誌でスタート。こちらは今日も売り場に立つ現役の書店員さんに、売り場作りの様子を綴っていただく連載である。

本を、いかに、なにを、どう、どんなときに並べるのか。第一回目からその売り場を耕す様と思考が克明に綴られており、何度も何度も読み返して楽しんでいる。

午後から営業。

最近は書店さんに伺うと「実はうちも今介護で...」という話を聞くことが多く、ついつい話し込んでしまう。

3日ずっと一緒に居て、ヘトヘトになったはずなのに、2日離れると今頃どうしてるかなとやたら母親のことを思い出している。

1月22日(月)忘れたくない日

 6時起床。月、水、金が燃えるゴミの日と聞いたので昔の記憶を辿ってゴミ袋2つ抱えてゴミ置き場と指定されている路地に向かうもまだ誰も出しておらず、不安になって持ち帰る。空はまだ日も昇っておらず早過ぎたのか。

 朝食の用意をし、7時に母親を起こす。トイレに連れて行き、顔を洗い、食卓に鏡を置いて、ブラシを渡す。

 その間にトーストを焼き、4つに切って出すと、こんなに食べられないよと言って、そのうち2つにイチゴのジャムを塗って食べた。

「何時に来るんだっけ?」

と昨日から何度も聞かれた質問に初めて答えるかのような顔して、

「8時半過ぎだよ」

 と答える。

 当初は平日は介護施設のデイサービスを利用して、実家に単身赴任した私と暮らす予定だったのだけれど、病院の人やケアマネージャーから一人で家にいる時間を作るのはまだ危険だとアドバイスされ、結局、月曜日から金曜日は施設で寝泊まりしてもらうことになったのだ。そのショートステイ先の送迎の車が、8時半にやってくるのだった。

「やっぱり家はいいねえ」と涙していた母親を、また施設で過ごさせることに罪悪感がわかないわけではないのだけれど、それで自分の負担が減ってずいぶん心が楽になったのも事実だった。本の雑誌社の社是は「無理をしない 頭を下げない 威張らない」だが、それはそのまま私の介護のモットーになっている。

 8時半、時間通りに介護施設のワゴン車がやってくる。車椅子の母親はハッチゲートから下ろされたスロープをウィンチで引っ張られ、乗車していく。

 1年半前、父親を介護施設に送った時の困惑顔を思い出す。あのときは介護施設に着いて1時間もしないうちに父親から「お父さん、どこだか知らないところに監禁されているんだよ!」と錯乱した電話が入ったのだった。

 その父親と違って、病院を退院する際に病室の仲間や看護師さんから泣かれるほど仲良くなっていた母親は、介護施設の車に乗り込むとすぐに周りの人たちに自己紹介をし、見送る私に笑顔で手を振って、介護施設に向かった。

 本当の気持ちはわからない。

 改めてゴミを捨てに行き、すべての窓を開け、空気を入れ替え、掃除機をかけてから実家を後にする。

 3日ぶりにひとりとなる。上着がいらないほどの晴天。父親のお墓に線香をあげてから駅へ向かう。

 武里駅から東武伊勢崎線に乗って出社するのはいつ以来だろうか。娘が生まれたとき、妻(と娘)が退院するまで実家で過ごしていた気がする。

 しかしそのときのことをいくら思い出そうとしても断片的なことすらなにひとつ思い出せない。たった22年前のことなのになにひとつ覚えていない。たぶん、今日という日のこともすぐに忘れてしまうだろう。

 でも、忘れたくなかった。

 隣駅で運良く座席が空き、そこに座った時の疲労感を。すぐにまぶたがおりてきてうとうととしてしまったことも。そして窓から見えるかつては見慣れた景色だった風景も。何もかも忘れたくなかった。

 でもきっと、忘れてしまうことだろう。

 

1月21日(日)不思議な体験

不思議な体験だった。

介護同居生活三日目、母親と朝食をとり、歯を磨いていると吐き気をもよおした。

この吐き気は、体調が悪いわけではなく、極度のプレッシャーからだった。

Jリーガーやプロ野球選手の本を読むと、がっちりした筋肉に守られ、私より20センチ以上も背の高いいかつい姿のスポーツ選手が、実は試合前になると不安になってトイレに籠り、何も出ないのにゲーゲー吐いていたなんて告白をあちこちで見かけるのだが、まさしく私はそのタイプで、極度のプレッシャーがかかると吐き気が迫ってくるのだ。

喉の奥から込み上げてくるなにものかをぐっと抑え込み、「いやはややばいなあ」と今後の生活を考えた。

どうにか吐き気をやり過ごすと、口をゆすいで、リビングの床に寝転がった。そこはちょうどエアコンの温風が身体にあたり、非常に心地よい空間だった。

母親は車椅子にのり、窓から庭を眺めている。

ぼーっと横になっているその時だった。自分でもわかるほど、全身から力が抜けていった。あれ? おれ、どうしたんだろうと思うほど、身体の強張りが消えていく。まったく食欲がわかず朝ごはんもほとんど食べなかったのだが、ぐーうとお腹がなって猛烈に食欲が湧いてきた。

それはこの新たな生活を私の全身全霊が受け入れた瞬間だった。そのときから急にこの生活が楽しくなった。いや楽しくなったは言い過ぎかもしれないが、負担でなくなった。

母親の麻痺の残る足と手をマッサージし、歩行訓練をする。その間、母親から生い立ちの話を聞く。なかなか得難い時間の過ごし方だ、と思った。

1月20日(土)本に救われる

寝たのか寝てないのかわからないまま朝を迎える。

実家で過ごすこと、母親と一緒にいることに緊張する要素などどこにもないはずなのに、布団に入っても一日は終わらなかった。

もしかしたら30年近く続いた暮らしと異なる生活リズムを受け入れるのに心が拒絶反応を起こしているのかもしれない。

こんな生活を果たしていつまで続けられるのだろうかと思いつつ、柴崎友香『続きと始まり』(集英社)を読み出すと、心がふわっと軽くなった。本はいい。ページをひらけば音も立てず別の世界に包み込まれる。本に救ってもらっている。久しぶりにそれを実感した。

7時半になり、母親をお越し、トイレや洗顔などの世話をして、食卓で向き合う。

すると母親の頬をぽたぽたと涙がこぼれ落ちる。そして「家に帰れてよかった」と私を見つめるのだった。

午前中、母親の友達が来て、午後には妻と娘がやってきた。夜にはまた母親と2人になった。

工事が済んでおらず、テレビがまだ映らないためおしゃべりする以外することがない。そのおしゃべりは同じことの繰り返しで行ったり来たりしている。

左半身に麻痺が残る母親が日常生活でできないことはトイレに入ることくらいで、他はほとんど手間がかからないのだった。

だから別にそれほど負担にならないかと考えていたのだけれど、しーんとする家の中で常に話し相手になるというがとてもしんどいのだった。

母親も同様に感じているのか、「テレビが早く映るといいね」と黒い画面を見つめていた。

病院からそのまま特養に入れず、週末は実家で共に暮らすという、わざわざ自分に負担を強いたこの新たな生活に果たしてどんな意味があるのだろうか。

きっと答えがわかるのはずっと先だろう。

1月19日(金)母親の重み

介護休暇。

思い起こせば昨年の5月27日の夕刻、「お母さんなんだかおかしいの」という母親自身の電話から救急車出動依頼、脳梗塞の治療を経て、リハビリの日々を送り、本日8ヶ月に及ぶ入院生活を終え、無事母親は退院となった。

母親は左半身に麻痺が残っており、おおよそ車椅子での生活になるのだが、命は繋がっているので無事と言っていいだろう。

5月27日というのは、その一週間前には父親の四十九日を済ませたばかりだったので、父親の諸々による疲労が溜まっての脳梗塞発症だろうというのが我々親族の見立てである。その疲労に気づいてあげられなかったのは痛恨の極みだ。

まあ後悔なんてものはすればするだけ膨らんでくるので一切をドブに流し、今日という日を歩くに限る。

その今日は、前日までの寒さも和らぎ、晴れ渡る空の下、母親は病院から出る。「外、久しぶりだねえ」と青空を眺め、迎えに行った妻とともに人生というものを噛み締める。

介護生活一日目。やることと言ってもトイレの補助と食事の用意、それと話し相手くらいなのだが、こちらも初めてのことなので終始気が張っており、気づけば疲労困憊になっているのだった。

人の世話をするというのは、それ即ち命を預かるというものであり、命というのはやはり重いものだった。

いや今日母親を車椅子から立ち上がるのを手伝い、玄関を上がるのを支えたとき、私は生まれて初めて、52年の歳月を経て、母親の重みを感じたのだった。それは40キロそこそこの重みというものではなく、母親のまさしく存在という重みなのである。

何度も首を回し、部屋中を眺め、そしてその度に、「やっぱり家はいいねえ」とつぶやいた母親は、夜の8時を過ぎると介護ベッドに横になり、眠った。

ずっと緊張していた心が解けると、今日が目黒さんの一周忌だと思い出した。目黒さんの存在は、というか不在はまったく埋まらないまま一年が過ぎてしまった。

目黒さんに会いたい。とても会いたい。

1月18日(木)注文でない電話

朝、9時に出社。デスクワークの後、G出版社のA社長と「げんぱち」でランチ。

母親の明日の退院を控え、ソーシャルワーカーやら介護施設のセンター長やらケアマネジャーやらが総動員して電話をかけてくる。

これが書籍の注文なら笑い止まらず直納の嵐なのだが、ソーシャルワーカーやケアマネジャーの口から番線もコードは伝えられず、往診の病院の依頼先とかお迎えの時間変更とかばかりなのだった。

午後は営業。

夜、無性に走りたくなり、6キロランニング。

1月17日(水)直木賞発表を待つ

9時半に出社。

隠密行動最終日。忍者になって都心を駆け回る。

夜、浜田と松村と予想をしつつ直木賞の発表を待っているもなかなか決まらず、帰宅。

後、浜田が「本の雑誌」2月号で推していた河﨑秋子『ともぐい』(新潮社)が受賞となる(万城目学『八月の御所グラウンド』(文藝春秋)も同時受賞)。めでたし。

目黒さんと『絞め殺しの樹』(小学館)の感想を語り合っていたのを思い出す。目黒さんに一周忌は明後日だ。

1月16日(火)寒さに負ける

通勤電車が空いており、ラッキーを感じながら娘に借りた凪良ゆう『星を編む』(講談社)を読む。

収録されている中編「星を編む」を読んで涙があふれてくる。これは『汝、星のごとく』に出てくる漫画編集者と文芸編集者のスピンオフの物語であり、だから出版社の話なのだけれど、それを割り引いても激しく感動したのであった。

登場人物の造形が絶妙で、それぞれの結婚や出産に対する考え、人生観が交差する。そうした人間同士が共に生きていく困難さ、それでもひとはひとりで生きていけない様が見事に表現されている。

本日も終日隠密行動。

帰りの電車は何かトラブルがあったらしく、身動きとれないほどの混雑。駅につけば、風とても冷たくこんな時こそテレワークなのではなかろうか。

1月15日(月)ほっつき走る

昨日、2時間くらい走って家に帰ると、娘が「いつまでほっつき走ってるのよ!」とプンプンしており、なにかと思ったら昨晩読み終えた『汝、星の如く』に感動し、その興奮を伝えたかったらしい。お前は北上次郎か!と思わず笑ってしまった。

その娘から借りた凪良ゆう『星を編む』(講談社)を読みながら9時に出社。

終日隠密行動。

1月14日(日)『副業おじさん』に降参

  • 副業おじさん 傷だらけの俺たちに明日はあるか
  • 『副業おじさん 傷だらけの俺たちに明日はあるか』
    若月 澪子
    朝日新聞出版
    1,650円(税込)
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なにも予定がなく、子供たちの送迎すらなく、正真正銘の休日。

8時過ぎ、頭を空っぽにするため、ランニングに向かう。ところによって昨夜降った雪がうっすらと白く残り、また道が凍っていたりするので、足元に気をつけながら20キロ。見沼の有料道路からは富士山もくっきり見えて、身も心も洗われる。

その後はコタツに入り、読書をして過ごす。

先週、メールのやりとりをしていた丸善お茶の水店の沢田さんから「今年最初のヒット作」と教えていただいた若月澪子『副業おじさん』(朝日新聞出版)がめっちゃ面白い。

三五館シンシャの日記シリーズみたいに、在宅ワークやポスティング、倉庫作業に輸出せどりなどなど30を超える職種の実像や収入がわかり、時には著者自身も体験して、その仕事の大変さを汗水垂らして伝えてくれるのだ。

そして行間から成功する副業と失敗する副業(再就職も含めて)というか、どういう態度で取り組むと副業が続くのかも教えてくれる。

なによりこの世で「おじさん」が、生きていく困難たるや...。40を過ぎたら経験も経歴も資格も関係なく、とにかく社会に適応できなくなっていると思わねばならぬ。

「おじさん」というのは社会が生み出したひとつの種族のようだ。もちろん私もその「おじさん」のひとり。参りつつも非常に面白く読めるのは、著者の眼差しと力量だろう。

1月13日(土)家族可変システム

休みだけれど休みでなく、9時過ぎに実家へ。

今日は工務店の人が来て、テレビアンテナの地デジ対応工事の下見なのだった。

実家はずっとケーブルテレビを契約していたため、それを外したところテレビが映らず、私は「ヒューマングルメンタリー オモウマい店」以外テレビを観ないから映らなくても支障はないのだけれど、来週退院する母親はさすがにテレビが映らないと暇だろうと工事に至る。

工務店のGさんが10時にやってきて、あちこち確認して状況を把握。見積もりと工事の手配をお願いする。

その後、布団を干したり、本の整理をしたりと準備を整え、実家を後にし、これからお世話になる介護施設に書類を提出にいく。

自宅に帰る途中にイオンに立ち寄り、母親との生活で必要な食料を買い込み、さらに角上とヤオフジに自宅分の買い物に行き、なんてことをして帰宅すると3時をすぎているのだった。

腹が減った。

というわけで角上で買い求めたおいなりさんとおそばを茹でて、昼食。美味い。

昼寝でもしたいところだけれど、5時からアルバイトの息子を車で送らねばならず、しかも娘との入れ替わりなので、しばしバイト先のサッカーショップでスパイクやジャージを眺めてぼんやり過ごす。

娘がバイトを終えて外に出ると、なんと雪が降っているではないか。初雪だ。

帰宅し、風呂に入り、今度こそ昼寝というか夕寝したいのだけれど、2時間後には息子の迎えに行かなければならず、ストーブの前で待機。幸い雪はすぐにやみ、積もることがなかったので、8時に迎えに行く。

来週から週末は実家で母親と暮らすことになるのだけれど、これで我が家は一昨年の夏から様々なフォーメーションを過ごしたことになる。

私 妻 娘 息子 義母

私 妻 息子 義母 (娘のドイツ留学時)

私 妻 義母(息子が新潟の学校に入学)

私 妻 娘 義母 (娘帰国)

妻 娘 義母 (私実家)

ペップ・グアルディオラも驚く可変システムだが、最後は「私」一人になるのだろうかとやっとついた布団の中でしばし考える。

1月12日(金)即売会初め

通勤読書は、柚月裕子『風に立つ』(中央公論新社)。9時半に出社。

本屋大賞実行委員会のメーリングリストが、チャットのように飛び交い、本日はデスクから離れられないと心得る。

流れていくメールの中から違和感を感じとり、今後問題になりそうなところを指摘するとすぐに実行委員の誰かがレスポンスし、最良の解決策が練られていく。

21年前から変わらぬこの組織の強さを思い知る一日。

2時過ぎに若干落ち着いたので昼食へ。のつもりが今日は金曜日であり、今年最初の即売会が古書会館で開催されているのだった。

古本ハンターで賑わう会場をうろつき、瓜生卓造『多摩源流を行く』『奥多摩町異聞」』(共に東京書籍)と藤木高嶺『極限の山 幻の民 私の世界探検』(立風書房)をすべて300円で買い求める。

瓜生卓造は『檜原村紀聞』(平凡社ライブラリー)の著者であり、藤木高嶺は本多勝一と旅を共にした写真記者。

充実の昼休みを過ごした後は、現在編集中の大竹聡さんの新刊『酒を出せない酒場たち』の原稿を読み込む。コロナ禍の酒場をルポしたこの本は、大竹さんの背骨となる一冊になるべき作品であり、原稿を前に身が引き締まるのだった。

夕方、同ビル同フロアに引っ越してきた書泉さんのKさんが顔を覗かせたので、しばし雑談する。

18時半に会社を出、帰宅の途につくも、赤羽駅周辺での火災発生により、しばし京浜東北線がストップ。

5分ほどで動き出したものの、赤羽駅に着く間際に「これより煙が車内に流れ込む可能性がありますので、空いている窓はお閉めください」とただならぬアナウンスがあり、ドキドキする。

結局は少し焦げ臭い匂いがしただけで済み、無事帰宅。

1月11日(木)未知の世界

介護休暇。

妻にも休んでもらい、10時に実家へ。諸々の荷物を下ろした後、母親がショートステイでお世話になる予定の施設を見学。半年前まで、"ショートステイ"も"デイサービス"も"特養"すら知らなかったのに、一気に介護の世界がやってくる。何かに似ているといえば育児だろうか。人生に未知の世界が一気に押し寄せてくる。

1時間ほどの見学を終えて、新しくなったばかりの春日部市役所へ。クレヨンしんちゃんが迎えてくれる中、高齢者福祉課へ。銀行のように受付カードを発券してもらい、モニターに表示されるまでしばし待つ。かつての狭苦しい市役所が嘘のよう。

補装具の補助金となにやら手当の申請を終えると1時過ぎ。今度は車を走らせ、母親の入院している病院へ。本来であれば面会を予約していたのだけれど、本日よりコロナやインフルエンザの流行により面会制限が出てしまったので、入院費の支払いとソーシャルワーカーと相談のみ。"ソーシャルワーカー"や"ケアマネジャー"というのも半年前までまったく知らぬ未知の世界である。

2時、こんな時こそランチを楽しまねばとせんげん台の「いわたき」でハンバーグを食べる。

3時に実家へ戻り、荷物を整理し、妻から洗濯機の使い方など教わっていると、介護用品のレンタル業社がやってきて、介護ベッドや手すりなどを設置していく。

世の中ほんとにいろんな仕事があるものだ。『13歳のハローワーク』ならぬ、"52歳のハローワーク"となって、その仕事ぶりを見学してしまう。

見慣れた実家が半分病院のようになっていったが、来週からここで母親と暮らすのだった。それは果たしてどんな暮らしになるだろうか。おそらくきっとかけがえのない時間となるだろう。

付き添ってくれた妻に感謝しつつ、帰宅。

1月10日(水)言葉を失う

9時からオンラインの打ち合わせがあるため、7時に家を出て、8時15分に出社する。早起きは得意だけれど、早い出社は意外と電車が混んでいて苦手。

打ち合わせが始まるまで、できあがったばかりの「本の雑誌」2月号の定期購読者封入作業「ツメツメ」に勤しみ、オンライン会議終了後もひたすら「ツメツメ」する。

13時にBook Seller Assistの草彅さんがやってきたのでランチ。

2時半に会社を出、駒込のBOOKS青いカバさんと、ときわ台の本屋イトマイさんに納品にあがる。

その途中、事務の浜田から西村賢太さんのお墓が地震で倒壊したという中日新聞のニュースが転送されてくる。写真を見て、言葉を失う。

1月9日(火)いい文章を集めて、実り多き本を作る

9時半出社。立て続けに携帯に電話がかかってくる。看護師、ソーシャルワーカー、ケアマネジャー、すべて母親に関する件。

まるでもう一つ仕事を抱えているような状況なのだが、やることはまさしく仕事と変わらないので、相手の要件を聞いて、判断していけば進んでいき、特に負担に感じることもなし。

唯一、面倒事だと考えていていたのは実家のテレビのことだ。長年契約していたケーブルテレビを取り外したので、アンテナを地デジ対応にしなければならず、これをどこに頼んだらいいのか頭を痛めていた。

思い切って私の家を建ててくれた工務店の現場監督に電話してみると、「土曜日にでも状況見に行きますよ!」と二つ返事で引き受けてくれて、曇っていた心は一気に晴れ渡る。私もこのように仕事をしていこうと誓う。

仕事といえば、連載を依頼した人から「連載、お声かけいただけて本当に嬉しいです。いい文章が書けるよう、日々心がけます。」と返信いただいたり、今年書籍を作らせていただく作家さんからは「新しい年が始まりましたね。実り多い年にしましょう。」とメールが届いていた。

いい文章を集めて、実り多き本や雑誌を作る。結局、それしかないのだ。

11時に「本の雑誌」2月号が届く。アルバイトの鈴木くんと台車に積み込み、ガタガタいうエレベーターで運び込む。

いよいよ一年が始まる。

1月8日(月)目黒さんのラガーシャツ

11時に浜本、浜田、松村と玉川学園で待ち合わせし、まもなく一周忌となる目黒さんのお宅にお邪魔する。

奥様の由美子さんと次男の謙二さんに迎え入れられ、まずは目黒さんが残した古着屋さんも開けるほどの大量の衣類から欲しいものを物色する。

残念ながら私はサイズが合わずいただくものがなかったものの、浜本はカシミヤのコートやダウンジャケットを、浜田は目黒さんのトレードマークでもあったラガーシャツをいただき、これもまた形見わけとなるバッグをぱんぱんとする。

その後、昼食をいただきつつ、目黒さんの思い出話を

3時においとまし、5時に帰宅。娘をアルバイト先に迎えに行き、三連休が終わる。

1月7日(日)『橙書店にて』に憧れる

  • 橙書店にて (ちくま文庫 た-101-1)
  • 『橙書店にて (ちくま文庫 た-101-1)』
    田尻 久子
    筑摩書房
    902円(税込)
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    honto

9時半に娘をアルバイト先に送り、午前中、ヤオフジと角上に買い物にいく。年末年始の喧騒もおさまり、数の子やかまぼこなどお節料理の具材はすみっこへ移動させられている。

荷物を一旦自宅に置いてから、実家に向かう。退院が近づく母親が暮らせるよう準備する必要があるのだ。車椅子での生活になるため、リビングのソファなどその妨げになりそうなものを2階にあげ、照明もリモコン付きにつけかえる。

台所や洗面所で何に使っていたのかわからない瓶やスポンジを捨てていると気持ちがスッキリするかと思いきや、どんどん苦しくなってくる。ゴミ袋に投げ入れるとともにエネルギーも吸い取られていくようだ。思い出はエネルギーを消耗する。

手を休め、再来週から私の寝室となる部屋のベッドに横になる。ぼんやりと自宅から持ってきていた田尻久子『橙書店にて』(ちくま文庫)を読む。

熊本に喫茶と雑貨と本を売るお店を営む著者による日々の暮らしを描いたエッセイ集だ。

多くはお客さんとのちょっとした交わりが綴られているのだが、それらを読んでいるとこの本に登場する人たちとともにときを過ごしたい、橙書店のある街で暮らしたい、その空間で本を選びたいと狂おしいほど憧れが湧いてくる。

田尻さんの平らな眼差しと過剰な表現のないお手本のような文章のおかげで、落ち込みそうになっていた心が掬い上げられていく。

16時に整理を終えて、自宅に向けて車を走らせる。この半年、何度こうして夕日に目を細めながら車を走らせただろう。

1月6日(土)古道古甲州道その2

日の出前に家を出、7時45分JR八王子駅にて高野秀行さん、小林渡さんと待ち合わせ。八高線に乗り込み、小宮駅で下車。ここから先月に引き続き「古道 古甲州道」を歩く。

なんでこんなことをしているかというと、山でも登ろうかという話になり、坂を登るのは大変だから平地を歩こうとなり、ならば辺境チャンネルのホームグラウンドの府中からスタートしようと、府中から甲府につらなる「古道 古甲州道」を歩くことになったのだった。

12月の第一回は府中の大國魂神社から歩き出し、5時間かけて八王子の小宮まで歩いた。それが思いの外楽しく、さっそく本日二回目の古甲州道歩きとなる。

古道歩きのいいところは順番待ちなどもなく、同様の挑戦をしている人もおらず、ただただ我々3人だけの世界となって時間を過ごせるところだろう。

しかも歩きだけとはいえ身体を動かしているので、何やら爽快な気持ちになっていく。さらに身体を動かしているため脳の動きも活発になり、軽快なおしゃべりが止まらないのだった。

これは何かに似ていると思ったところ、飲み会なのだった。酒を飲むと血の巡りがよくなり、なんだかとても楽しくなる。そしておしゃべりが止まらなくなるのだ。

まったく同じ作用が歩いていると起こるのだけれど、平地歩きの場合は実際にはアルコールが入っていないのでどんだけ歩いても酩酊することもなく、議論の末喧嘩になることもなく、永遠と明瞭なのだった。さらにお会計も必要ないので、こんなに素晴らしいことはない。

ランニング中におばさんたちが2人連れ3人連れでおしゃべりしながらウォーキングしているのをよく見かけていたのだが、あれはウォーキングのふりをした飲み会だったのだ。一声かけてくれれば私も参加したのに、これまで追い越して走ってきたのが残念でならない。

アスファルトの道を(といっても古道なのでうねうね蛇行したりしてなかなか面白い)延々歩いていると、途中根子屋城跡というところで山に入る。そこからしばらく尾根伝いに山道を歩く。

高野さんと渡さんは山道になったら突然歩く速さが倍になり、山道が40年ぶりの私はついて行くのがやっと。動物の糞が落ちていたり、樹木の皮がむしり取られたりと、クマを連想させる痕跡がなかったわけではないが、見て見ぬふりをして、1時間ほど山道を歩いたところでアスファルトの道に戻る。

そののち軽快にあるきつづけて、午後1時過ぎに本日の目的地、JR武蔵五日市駅に到着。約35000歩。拝島に移動して、駅前の酒場で打ち上げ。一次会なのに気分は二次会なのだった。

1月5日(金)仕事始め

9時に出社。京浜東北線はがらがらで、どうやら本日もお休みで11連休の人が多いようだ。

残念ながら本の雑誌社の仕事始めは1月5日と決まっている。これはかつて目黒さんが競馬の金杯に出動してから新年最初の出勤をしてきたからで...と調べてみたら今年の金杯は明日の土曜日1月6日ではないか。

ここまで来て引き返すわけにもいかず出社する。年末年始の間に届いていた郵便物やFAXを整理していると、本日より同じビルの同フロアに引っ越してきた書泉のKさんが挨拶にやってくる。Kさんは書泉の前は楽天(大阪屋)に勤めており、当時から大変お世話になっていたのだ。早速新年の挨拶もそこそこに最近の諸々について話を伺う。

松村、小林、浜本と出社してくる。松山から羽田に向けての飛行機が欠航となってしまった浜田は岡山で乗り換え新幹線で会社に向かっているらしい。

企画会議を終えたのち、持参したバナナ一本を食べて、新年の挨拶周りへ。

地元がついに無書店地域になってしまい、年末年始の間、本屋さんに行ってなかったので7日ぶりに本屋さんの匂いをかぐ。深呼吸するとゆっくり身体のこわばりがとけ、心の声が聞こえてくる。

いつまでも本屋さんを堪能しているわけにはいかず、あちこち訪問してご挨拶。回ったお店は年末年始の売上もなかなか良かったようでほっとする。

そんな中とある書店さんで聞いた言葉がおそらく今年、ずっと頭に残るだろうとメモをする。

「効率と手抜きがごちゃごちゃになってるよね」

これは書店さん自身の仕事をさしての言葉かもしれないけれど、営業である私自身にも当てはまる指摘だろう。

コロナ以降、メールやSNSなどに頼ることが増え、こうしてきちんと顔を合わせて話をする機会が減っているのだ。

「顔を合わせて話をして、その人の熱が伝われば、うちの店に合わないかもと思いつつも注文して、それが売れることもあるよね」

そうなのだ。誰かひとりを熱狂させる本は、ほかの人に伝播する可能性が高いのだ。熱狂なくして売れる本なし。私の仕事は営業だ。その熱を伝える仕事なのだった。その熱はメールや電話では伝わらない。

今年の目標が決まった。

1月4日(木)タコの足

6時起床。事務の浜田からメッセージが届く。

羽田空港の事故の影響により帰省先からの帰宅に予約していた飛行機が欠航になってしまったとのこと。キャンセル待ちできるのは明後日からで、明日の仕事始めに出社できるかわからないという。無理せずのんびり帰ってくるよう返事をする。

朝ラン、15キロ。

休み最後の1日はこれから実家で母親と過ごすのに必要なものを買いに行く。

5月末に母親が入院して、少ししたとき冷蔵庫の中身や日持ちしない食品を整理した。

それからしばらくしてもう自宅には戻れないのかもしれないと覚悟したとき、調味料も含めてすべて処分していたのだった。

その母親がまもなく自宅に帰れることになったので、あらためて醤油や塩や味噌など妻とスーパーに行って買い揃えた。

なんだかいつか似たようなことをしたよなと思ったら、去年の春、息子が新潟に引っ越し、その時妻とともにこうして生活道具一式を新潟でレンタカーを借りて、買い求めたのだった。

山のような荷物を実家に置いて、今日から面会可能になった病院へ向かう。

車椅子に乗った母親と顔を合わせて、本当は喪中で言ってはいけない「あけましておめでとうございます」という新年の挨拶を交わした。

地震のこと、飛行機事故のこと、年末年始にあったことを話していると、母親が「今日、久子さんから電話があって、ツグが来たらタコがあるから帰りに寄りなと言っていた」というのだった。

久子さんというのは父親の中学からの親友である前川さんの奥さんで、2日前の一月二日に年末年始にどこにも行く予定のなかった僕ら夫婦は前川さんちにお呼ばれし、すき焼きをご馳走になっていたのだった。

その際、前川さんが行きつけのお寿司屋さんに無理を言って手に入れた佐島の地ダコが食卓に並べられ、それを僕が「美味い、美味い」と食べていたのだ。おそらくそのタコを僕に持たせようとしているのだろう。

しかし僕はそこで首を傾げた。

母親が言ってることは本当だろうか? 入院した当初に比べたら混乱は治ったものの、そもそも83歳となっており、記憶があやふやなことが増えているのだ。

久子さんは年末ギリギリにも面会に来ており、僕を新年に招いて正月料理を食べさせる話をしていたはずだ。

だからきっと、久子さんの電話も今日はかかってきておらず、母親の記憶違いだろうと思った。

記憶違いなのか確認できる方法は、母親の首からぶら下がっている携帯電話であり、その着信履歴を確かめることにした。

しかし母親から携帯を預かってみたものの、その着信履歴を画面に出すことができない。いや着信のボタンはあるものの、それを押すとなぜかすぐに発信の表示がされてしまうのだ。

どうしたもんかと携帯をいじっていると、母親のベッドに備えつけられたテーブルに目がいった。そのテーブルの上には何枚かの紙がクリップで止められたメモ帳が置かれていて、そこには鉛筆で母親の筆跡の文字が綴られていたのだ。

一月一日 夕食におせきはんが出た

     薬のんだ

一月二日 リハビリで歩いた

     薬飲んだ

一月三日 渡辺さんから年賀状が届いた

     薬のんだ

一月四日 久子さんから電話。ツグにタコをとりにくるように

母親を見るとニコニコ笑って妻と話している。僕は母親の携帯電話の電話帳から久子おばさんの番号を書き写し、面会を終えると駐車場から電話した。

「電話したわよー!バカだねえ、あんた。お母さんそんなボケてないでしょう」

玄関の前で待っていた久子おばさんは大笑いしながら迎え入れてくれた。

僕の結婚パーティーから父親の葬式まで約25年の間会っていなかった前川さんちの食卓で、今日もまたお茶を飲んでいる。血圧や薬の話をしてワハハと笑っている。

両手にたくさんの荷物を渡され、前川さんちを後にした。その中にはラップに包まれた佐島のタコの2本の足も入っていた。

1月3日(水)低気圧に苦しむ

  • ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)
  • 『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)』
    帚木蓬生
    朝日新聞出版
    1,430円(税込)
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  • 極東のシマフクロウ ――世界一大きなフクロウを探して (単行本 --)
  • 『極東のシマフクロウ ――世界一大きなフクロウを探して (単行本 --)』
    ジョナサン・C・スラート,大沢 章子
    筑摩書房
    3,300円(税込)
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    honto

6時起床。息子が去年まで所属していた高校のサッカー部の初蹴りに行くというので見送る。

朝食をとりながら新聞を読む。帚木蓬生さんのインタビュー「答えを急がない力」を切り抜く。

著書にもある『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)の話。

「ネガティブ・ケイパビリティ」とは 「『答えの出ない事態に耐える力』」のことで、「世の中は明確な答えのある問題ばかりではありません。むしろ人間社会は、解決できない問題の方が何倍も多いのではないですか。先が見えず、どうしようもない不安に耐えながら、熟慮する。答えが出なくても問題に挑み続ける力こそ、ネガティブ・ケイパビリティです」とあり、私が一番必要としている能力なのだった。

決断が早いのが私の長所であると思うのだけどそれは短所でもあり、なぜ決断が早いのかといえば、少なからずこの「ネガティブ・ケイパビリティ」という能力が不足しているからなのだった。

宙ぶらりんの問題というのがとにかく耐えられず、一分一秒でも早く解決(したことに)したいという欲求が強烈にある。

その影響か、すぐ「敵と味方」で考える癖もあり、こちらは明らかに短所であり、友人のワタルさんから気をつけるよう再三指摘されているのだった。

去年から高野秀行さんを見習い、意識して取り組んでいる「正しさを求めない」というのもまさしく「ネガティブ・ケイパビリティ」に通じるものであるだろう。横丁カフェに掲載していた丸善お茶の水店の沢田さんの書評も再読し、購書始めの一冊が決まる。

10時に娘をアルバイト先に送り、そのまま妻とイオンへ。退院後実家で暮らす母親用にリモコン付き照明を購入する。

昼は冷凍食品の味噌ラーメンを食べて、読書の続き。

ジョナサン・C・スラート『極東のシマフクロウ 世界一大きなフクロウを探して』(筑摩書房)を読了。

生物学者というのはすごいもんだ。ほとんどの人が見たこともなければ興味もないシマフクロウのために、母国アメリカとはある意味対局にあるロシアの地まででかけていくのだ。

しかもそこは時には吹雪でホワイトアウトして方角もわからなくなる恐るべき地であり、そんな中を車やスノーモービルやスキーで移動し、シマフクロウを探す。

シマフクロウを探すといったってそこらにバタバタと飛んでいるわけではなく、とにかく耳をすませて「ホーホー」と他のフクロウよりずっと低い鳴き声を聴き取るのだ。

そうしてシマフクロウの存在を確かめたら、今度は凍る川を乗り越え(ときに踏み外し)、巣にしている木を見つける。そこにはコスパもダイパもなく、とにかくシマフクロウのことを知りたいという欲求と熱意があり、その生態がわかれば、どこをどう保全すればよいのか提案できるわけで、そうしてシマフクロウの命は横暴な人間社会の中で紡がれていく。

帯にある「科学的探究×荒野の冒険×クセ強ロシア人」というのがまさしくこの本の面白さを端的に伝えている。

低気圧のせいかランニングにも行く気にもならず、19時に娘を迎えに行くとすぐに布団に入り、YouTube「atossinternational」チャンネルの「田中一郎のギターアッパーカット2」の西山毅さんの回を見ながら就寝。

1月2日(火)アルバイトの送迎

6時起床。テレビをつける。一夜明けて地震の被害は拡大しており、言葉がない。

来週には「本の雑誌」2月号ができあがり、定期購読者のみなさまに発送するわけだが、果たして手元に届くのだろうか。届いたところで読む気になるのだろうか。

東日本大震災の時にもおぼえた無力感に苛まれるが、あの時坪内祐三さんにかけてもらった言葉を思い出し、どうにか気分を入れ替える。

石川県能登地方で発生した地震で被災されたみなさまに心よりのお見舞いを申し上げます。一日でも早い日常生活が戻りますようお祈りいたします。

箱根駅伝のスタートを見て、ランニングへ。10キロ。最後の1キロは50メートルごとにダッシュを繰り返す。

シャワーを浴びて、娘と息子をアルバイト先に送る。今日はバイト先のサッカーショップの初売りなのだが、元々は娘が3年半ほどアルバイトしていたところドイツへの留学となり、その穴埋めとして専門学校に進路の決まっていた高三の息子が引き継ぎ働き出したのだった。

その後、娘は一年のドイツ留学を終えるとまたバイトに復帰。そして息子は高校卒業後退職したものの冬休みに新潟から帰省しているひと月半だけ臨時雇用していただき、ここに姉弟が同じバイト先で働くという展開が生まれたわけ。

肩を並べて店舗に入っていく姿を見つめているとなんだか力が湧いてくる。

昼、463号バイパスから4号バイパスを乗り継ぎ、せんげん台を目指す。父親の中学からの親友で共に働いていた前川さんのお宅へお呼ばれされていたのだ。

新年の挨拶をして席に着くと、おばさんから「お父さんも連れてきなよ」と声をかけられ、慌てて武里の実家に遺影と位牌を取りにいく。まさか父も親友と息子が新年から酒を飲んでいる(私はノンアルコールビールだが)とは思わないだろう。

食い道楽の前川さんのお家のお節はまるで料亭が如く、食べるものすべて美味しく、最後にいただいたすき焼きは、真っ白い肉でこれまで食べたどのすき焼きよりも美味しかった。妻もお腹いっぱいで大満足。

父が死に、母が入院するまでこうした縁もほとんど育んで来なかったわけで、今はその縁にたゆたゆが如く身を任せている。

4時にお暇し、閉店を迎えたサッカーショップに娘と息子を迎えにいく。終日、外で声を出して福袋を売っていた息子は車の暖房に手をかざし、姉に買ってもらった缶コーヒーを頬にあてている。

その息子と風呂に入り、テレビを見ると羽田空港で飛行機が炎上していた。

1月1日(月)誓うことが多い

  • 本の雑誌488号2024年2月号
  • 『本の雑誌488号2024年2月号』
    本の雑誌編集部
    本の雑誌社
    770円(税込)
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    honto
  • 極東のシマフクロウ ――世界一大きなフクロウを探して (単行本 --)
  • 『極東のシマフクロウ ――世界一大きなフクロウを探して (単行本 --)』
    ジョナサン・C・スラート,大沢 章子
    筑摩書房
    3,300円(税込)
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6時起床。布団の中で今年の目標を立てる。

「WEB本の雑誌」を見てみると、「本の雑誌」2月号の詳細が更新されている。

ここから案内文や目次をコピーしてJPROや富士山マガジンサービスやストアーズ、そしてAmazonのベンダーセントラルに展開しなければならないのだけれど、これがめんどくさい仕事(特にベンダーセントラル)ナンバー1なのであった。

見なかったことにしたいのだけれど、時間が経てば経つほどめんどくさいが二乗になって重なり、更新が疎かになってしまう。

しかし今の時代はいかに商品情報を充実させ、読者に手に取ってもらうかが大切なわけで、めんどくさい仕事ナンバー1でありつつも、最重要な仕事ナンバー1でもあるのだった。

覚悟を持って布団から這い出て、さらに覚悟を持ってパソコンを立ち上げ、あちこちのサイトに行って、案内文や目次を打ち込む。2024年仕事始め。

8時過ぎに諸々を終えて、埼玉県民に海の幸を提供する角上(川口店)に向かう。

30日にも買い物に来たのだけれど、その日は朝から駐車場が満杯となっており、周辺道路には車が長蛇の列を作っていた。

元日の朝8時半の本日は並ばずに車を停めることはできたものの、店内はお寿司を求める埼玉県民で大賑わい。私も家族が食べたいというその寿司を買い求め(私はお寿司が食べられないため海鮮天丼を購入)帰路に着く。

10時に家族一同揃って新年の食事。昨年は目黒さんが亡くなり、父が他界し、そのすぐ後に母が脳梗塞で入院となったため、とにかく健康第一、いや世の中に永遠なんてないということを思い知ったのだった。だから一日一日を大切に過ごすというのが本年の目標なのだけれど、家族にそのことを話すと、毎日9時に寝ている父ちゃんが言っても説得力がないと叱られてしまう。確かにその通りなので、悔い改めることをお雑煮を食べながらさらに違うのであった。

食事の後は家族一同車に乗り込み、実家へ。去年まではここで母が待っており、さらに新年の宴を開いていたのだが、その母はいまだ入院中。年末年始は面会もできないので、父に線香をあげ、今月末よりここで母と暮らす準備をし、父のお墓をお参りして帰宅。

テレビで日本代表戦を観ているうちにボールが蹴りたくなり、息子とサッカーボールを持って公園へ。しかしまったく足にボールがつかず、ボールは友達どころか犬猿の仲になっている。しかも息子に一対一を挑むがまったく相手にならず(私が)、抜けず奪えず、すぐに息が上がり、足がプルプルと震えてくる。

日々ランニングしているとはいえ、そんなものでは体力の衰えはカバーできないものだと思い知る。明日からもっとハードなトレーニングをしなければならないと誓うのだが、これは新年から誓うことが多すぎるのでないか。

汗をかいたので風呂を沸かして、湯船に浸かりながらジョナサン・C・スラート『極東のシマフクロウ 世界一大きなフクロウを探して』(筑摩書房)を読んでいると、なんだか目眩がしてくる。

これはどうしたもんかと目頭を抑えていると息子が風呂の外から「父ちゃん!地震!地震!」と叫ぶ。

慌てて風呂から上がり、服を着てテレビの前に駆けつけると日本海側で大きな地震があり、津波発生で避難を呼びかけていた。

その津波予想区域には、本来であれば息子が暮らしている寮も含まれており、息子が今ここにいて無事なことを安心しつつも、西村賢太さんのお墓のある西光寺さんもどうなっているのだろうかと気にかかることがいっぱいで、テレビから離れられなくなる。

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