« 2024年1月 | 2024年2月 | 2024年3月 »

2月27日(火)皮剥き

朝8時10分、西武池袋線江古田駅へ。立石書店の岡島さんと合流し、先日の積み残しを引き取りに小田原へ向かう。本日は本の雑誌スッキリ隊の出動なのだった。

強風にワゴン車煽られ、道端に置かれた燃えるゴミの袋もくるくると転がり、空を見上げれば雲も吹き飛ばされ、富士山がくっきりと見えるなか、途中工事渋滞もあって、二時間半をかけて到着。

そこからが早かった。約2000冊の本を岡島さんがくるくると縛り、車の積み込みまで1時間で終了する。恐るべし古本屋さんの手仕事なのだった。

依頼主の方に「スッキリしました」と喜んでいただき、ほっと胸を撫で下ろしつつ、事前に調べておいたスッキリ飯の候補から、岡島さんが「丼万次郎」を希望して、そちらに向かう。

この丼万次郎が大当たり。岡島さんは「小田原地魚多め五色丼」を、私は「おまかせ天丼」を食し、大満足。「丼万次郎」のために小田原再訪を約束す。

帰りは松田インターから東名高速に乗り、2時間もかからず、高円寺の西部古書会館に到着。

こちらで書店のカバーをつけたまま引き取ってきた本を一旦下ろし、そのカバーを剥ぎ取る「皮剥き」作業をする。

古本屋と新刊書店の決定的に違うところは、仕入れた本をそのままお店に出せるかどうかだ。

新刊書店ならば入荷した本はそのまま商品となり、それどころかできるだけそのままのピカピカの誰も触ってない状態を保つことが求められるけれど、古本屋では入荷した本はそのままでは商品にならず、こうして皮剥きをしたり、本を拭いて綺麗にしたり、最低でも値段を記して、棚に並べなければそれは商品とならない。

皮剥きを終え、スッキリ隊任務終了。愉しい一日であった。

2月26日(月)介護ボケ

朝8時45分、介護施設の車がやってくる。手を振り施設に向かう母親を見送るのがやはり切ない。すぐに玄関に入りたくなるが、車の姿が見えなくなるまで手を振るのが私の勤めと、涙を堪え、道路に佇む。

今週はとあるやりとりから母親と2人で笑い転げるほどくだらない会話をし、そして知恵を出し合いクロスワードを解くなどしたので、非常に楽しい週末となった。

東武伊勢崎線武里駅から半蔵門線直通の準急に乗り、神保町へ出社。やはり月曜日は時差ボケというか介護ボケのようで、なかなか仕事の頭に切り替えるのが難しい。

売れ行き好調の『古本屋台2』の重版を決める。発売6日での重版は「忽ち」重版といっても間違いではないだろう。うれしい。

定期改正の〆をして、午後から営業へ。ここのところの天候不順で売上が急下降しているよう。

2月25日(日)命の選択

  • 屍衣にポケットはない (新潮文庫 マ 34-1)
  • 『屍衣にポケットはない (新潮文庫 マ 34-1)』
    ホレス・マッコイ,田口 俊樹
    新潮社
    825円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

雨。朝起きたら何やら間違い探しのようになっている。昨夜、母親の歩行杖をリビングに置いたはずなのに、なぜかそれがベッドの横に立っているではないか。もしや昨夜缶チューハイを飲んだので私の思い違いかもしれないと思っていたところ、目を覚ました母親が、昨夜自分でトイレにいったと自慢げに語り出す。

いったいどう対応したら良いのだろうか。私も母親もかつて一人で暮らしていたときのような回復を目指しているわけだから、一人でトイレに行けたことは喜ばしいことなのである。

しかし一人でトイレに行くといくということはその間に転ぶ危険性もあるわけで、それは命の危険でもあるわけだ。

命の選択というと病院で延命措置をするかどうか選ばされる瞬間を思い浮かべるけれど、介護の現場ではこうした些細な命の選択の決断を迫られることになる。

母親を叱るべきか、褒めるべきか、あるいは諭すべきか悩んでいるうちにどうでもよくなってくる。どうなろうとそれが人生。

終日雨。

先週来なかったメジロが庭に置いたみかんを食べにやってくる。母親は飽きずに眺め続けている。

私は、吉本由美、田尻久子『熊本かわりばんこ』(NHK出版)、ホレス・マッコイ『屍衣にポケットはない』(新潮文庫)と読み進む。

やっぱりベッドが硬くて眠れない。

2月24日(土)母親の誕生日

雨は止み、晴天となり、妻と9時に介護施設へ母親を迎えにいく。今日は母親の84歳の誕生日。

介護施設から戻る車の中で、母親がこんなのもらったのよとバッグから取り出したのは、真ん中に母親の写真が貼られ、その周りを直筆のコメントで埋められた色紙だった。

介護施設の人たちが母親の誕生日を祝して前日にプレゼントしてくれたそう。

母親の世話をしてもらっている介護施設は、建物も古く、ガチャガチャした印象を受けていたので、入所後も他に良い施設があるのではないかとケアマネジャーにリクエストし見学に行ったりしていたのだった。

しかし今通っている施設の人はみなハキハキしており、この色紙に書かれたメッセージはどれも大変心のこもった言葉ばかりで、やっぱり人がいちばん大事なのではと考えを改める。

2日分の食料と誕生日ケーキを買に、ランニングをし、父親の墓参りをする。

4時に妻が自宅へ帰り、その後、晩ご飯の用意をし、母と食す。8時に母親が寝るのを見届けて、町田康『ギケイキ3』(河出書房新社)を読み進む。

あいかわらずベッドが硬くて眠れず。

2月23日(金)久しぶりの休日

祝日だけは自分の休みを死守するため、三連休ながら本日母親は介護施設でショートステイを続けてもらう。

罪悪感がないわけではなく、夕方、リハビリで半年入院していた病院から退院1カ月後の様子を確認する電話がかかってきた際、「祝日もショートステイなんですね?」と言われ、胸にズーンと穴が空いた。人というものは何気ない言葉で傷つくものなのだ。営業である我が身は気をつけなければならない。

久しぶりの休日なので思う存分走ろうと考えていたのに雪混じりの雨。ランニングをあきらめ、娘をアルバイトに送り、角上とヤオフジに買い物にいく。これぞ本来の休日の過ごし方。

お昼ご飯にうどんを茹でて、角上の牡蠣の炊き込みご飯ともに食す。美味。そして満を持して2024年のJリーグの開幕をテレビで観戦する。

期待の大きなシーズンながら完成度がまったく上のサンフレッチェ広島に0対2で完敗。負けた後もゴール裏からは大きな声でチャントが聞こえてきたので、私も不満を飲み込みテレビの前でチャントを歌う。

娘を迎えに行きがてら予約していた浦和レッズのレプリカユニフォームを引き取ってくる。歴代で三本指に入るかっこよさ。

さて次の祝日は3月20日。こんな風にカレンダーを眺め、祝日を心待ちにするのは、仕事を始めた20代の頃以来。

2月22日(木)100冊も1000冊も1万冊も一冊から

  • スカウト目線の現代サッカー事情 イングランドで見た「ダイヤの原石」の探し方 (光文社新書 1294)
  • 『スカウト目線の現代サッカー事情 イングランドで見た「ダイヤの原石」の探し方 (光文社新書 1294)』
    田丸 雄己
    光文社
    1,056円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 福島第一原発事故の「真実」 ドキュメント編 (講談社文庫)
  • 『福島第一原発事故の「真実」 ドキュメント編 (講談社文庫)』
    NHKメルトダウン取材班
    講談社
    935円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 福島第一原発事故の「真実」 検証編 (講談社文庫)
  • 『福島第一原発事故の「真実」 検証編 (講談社文庫)』
    NHKメルトダウン取材班
    講談社
    1,815円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

寒い。強烈に寒い。数日前は20度あったと思うのだが、あの20度はどこに行ってしまったんだろうか。しかも今日も氷雨。

昨日途中まで作ったパネルをちまちま修正していく。デスクワークというのはまず手を動かすこと。動かしているうちに徐々にやる気が滲み出てきて、答えが見えてくる。手を動かさないでうだうだ考えていると考えているだけで1日が過ぎ去ってしまう。

昼に出来上がったので刷り出して、貼りパネくんに貼っていく。こんなの作って意味あるのかと考えてはいけない。絶対あると信じることが大事。一冊でも売れたらそれは成功と思え。100冊も1000冊も1万冊も一冊から始まるのだ。

傘をさして営業。売れるものがたくさんあるのにお店は空いていてちょっと残念。

夜、本を買って帰る。

本というのはすごい。まず、本屋さんに入っただけで森にいるかのように癒される。本を選ぼうと棚を見るとアドレナリンだかなんだかの脳内物質が出始め。そしてずらりと並んだ本を見つめていると自己と会話をはじめ、なにやら坐禅しているかのような境地を迎える。さらにこれだという本を見つけレジに行きお金を払い自らのものにした瞬間激しいエクスタシーに襲われる。

もはや本を買っただけで、定価以上の何かを得ているのだ。これをやめるわけにはいかない。というわけで本を購入する。

田丸雄己『スカウト目線の現代サッカー事情 イングランドで見た「ダイヤの原石」の探し方』(光文社新書)

NHKメルトダウン取材班『福島第一原発事故の「真実」 ドキュメント編』 (講談社文庫)

NHKメルトダウン取材班『福島第一原発事故の「真実」 検証編』 (講談社文庫)

講談社文庫についているビニールパックをレジの書店員さんがなかなか外せず、しまいには本のうねうね歪ませだしたのには思わず声をかけそうになった。このビニールパック、なかも確かめられないし、ゴミは増えるし、こうしてレジで書店員さんに手間をかけているわけで、そろそろやめてもいいんじゃなかろか。

2月21日(水)氷雨

いきなりまた真冬に戻ってしまった。しかも氷雨。のんきな薄着で出社してしまい激しく後悔する。

震えながら高田馬場の芳林堂書店さんに『古本屋台2』のサイン本を届けにゆくと、御礼におせんべいをいただく。人の暖かさに涙がでる。

夕方、会社に戻り、『古本屋台2』のパネルを作成する。

2月20日(火)手帳をもらいに

会社を休んで、春日部市役所へ申請していた母親の障害者手帳をもらいにいく。

一年前まで、いやつい最近まで何も考えずに毎日仕事に行けたのは、私の周りがみな健康であるという奇蹟の中にいたからであった。

あるいは誰かが私の代わりに仕事を休んだりして、手続きや世話をしていたからだろう。心置きなく仕事やスタジアムに行けていたあの日々に感謝。

というわけで障害者手帳をもらう。母親の場合は手と足が麻痺しているということで一級が交付された。いろいろ減免やらサービスが受けられるようなので親切に説明してもらう。感謝。

しかしこうして手続きのためだけに春日部市役所に通うのももったいないので、ここはひとつ『クレヨンしんちゃんがおすすめするこれが面白い本だじょ』という子ども向け書評誌を創刊し、毎号3500万円くらい買い上げいただくというプランを考えなければならない。

午後、自宅に帰り、一か月ぶりにぼーっとする。脳みそが溶けていくようで、じわじわと回復していくのがわかる。

2月19日(月)砂原浩太朗『夜露がたり』を読む

砂原浩太朗『夜露がたり』(新潮社)読了。

帯に「著者初の江戸市井もの」とあるけれど、いわゆる市井ものから想像されるような人情味あふれるいい話なんてものではない。『高瀬庄左衛門御留書』で彗星の如く時代小説界に現れた砂原浩太朗はそんな話は書かないのである。いや書いたら困るのである。砂原浩太朗にはもっと突き抜けたものを書いてほしいのだ。

その期待どおりの出来映えなのが本書である。さすが砂原浩太朗!

人情ほっこり話なんてものにはまったく向かわず、人間の業、深淵を描いている。幼馴染をなくした女も、必死に下働きを耐えた小僧も、そう簡単に欲望を抑えることはできない。一編一編の余韻が、短編と思えぬ大きさで、胸にずーんとくる。まるでノワールのようだ。

もちろん砂原浩太朗だから文章はピカイチだ。その文章を読んでいるだけでも小説を読む喜びが湧いてくる。

2月17日(土)息子の帰郷

  • 虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督
  • 『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』
    村瀬 秀信
    集英社
    1,980円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

朝9時、妻と介護施設へ母親を迎えいにく。週末介護生活も5週目。すっかり慣れて、こちらの生活のリズムもできたので、ストレスはほとんど感じなくなっている。問題は来週から開幕するJリーグで、果たして今シーズンをどのように観戦するか考えなければならない。

先週まで庭に餌をついばみに来ていたメジロが一切顔を出さない。気温があがり、どこか別の地域に移動してしまったのだろうか。

昼前に息子から連絡あり、急遽、学校が3連休となったところ、先生から帰郷するように言われたという。就活の面談を繰り返しているうちに家族のことを先生に話しており、体調を崩したおばあちゃんのことも伝えていたらしい。昨年両親を失った先生は「会えるときに会っておいたほうがいい」と息子の背中を押してくれたそうだ。

そうは言っても母親はすこぶる元気なので、「そこまでの心配はいらない」と言葉が出そうになったのをぐっと飲み込む。明日何があるかわらないのが人生なのだ。それを学んだ一年ではないか。

アプリで新幹線のチケットを手配すると、4時過ぎには春日部にやってきた。孫の顔を見たら母親は俄然元気となる。

妻と息子は夜、家に帰り、母親は8時には就寝する。
村瀬秀信『虎の血』(集英社)を一気に読む。

2月16日(金)名古屋出張2日目

  • 聞書き 遊廓成駒屋 (ちくま文庫)
  • 『聞書き 遊廓成駒屋 (ちくま文庫)』
    神崎 宣武
    筑摩書房
    924円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

8時起床。ホテルで朝食をとり、矢部さんと大門へ散歩。ここは神崎宣武『聞書き 遊廓成駒屋』(ちくま文庫)で記された舞台なのだった。今ではほとんどがマンションに成り代わっているものの、中を見通せないようにする斜めに交差する道は往時のままであり、その敷地に思いを馳せる。もう10年早くきておくべきだったか。

11時に『迷う門には福来たる』のひさださんと待ち合わし金山駅へ。ここにはTOUTEN BOOKSTOREさんがあり初訪問。店主の古賀さんにご挨拶。大変居心地のよい店内と古賀さんの朗らかな空気が相まってついつい長居してしまう。本屋さんが人であるというのを再認識する。

金山から本山に移動。TSUTAYA BOOKSTORE本山店さんにて改めて書店員として働いている元七五書店のKさんにご挨拶。顔色もよくとても元気そうでなにより。小さなお店ながらそこかしこに手が入っており、朝イチで訪れた大型書店で棚になかった『聞書き 遊廓成駒屋』(ちくま文庫)がしっかり地元本コーナーに差してあるではないか。矢部さんも無事購入できて満足。さすがである。

その後、栄で名古屋メシ第2弾としてスパゲッティ・ハウス ヨコイにて「あんかけスパゲッティ」を食す。しつこいかと思ったソースは意外とさっぱりしており、パスタの上に乗った具のおかず力強し。

名駅に戻り、お茶でもしようかと思ったものの、どこの喫茶店も大行列。名古屋の人の喫茶店好きを思い知る。本の雑誌社でカフェをオーブンする際の一号店は名古屋に決める。

お茶をあきらめ、赤福などお土産を購入し、ひさださんとお別れ。今回ひさださんが迷わなかったのは、一切のガイドを関東在住の私と矢部さんに任せ、自身はあとからついてきたからだった。「ここだ、ここだ、きたことあるもん」と自慢げに謎の言葉を連発し、帰宅していった。

16時20分のぞみ98号に乗車し、17時57分東京着。遠方に旅し、食事をし、語りあってくださる人々がいることに深く感謝し、充実の出張を終える。

2月15日(木)名古屋出張1日目

東京駅10時21分発、のぞみ221号に乗車し、一路名古屋を目指す。今回の出張は東海日販会から『本を売る技術』の矢部潤子さんに講演依頼があり、その相槌係として同行するのが主目的だ。

11時56分、定刻どおり名古屋に到着。新幹線ホームのきしめん屋さんの行列を眺めつつ、地下鉄に乗り換え、日販名古屋支店のある黒川駅へ。名古屋駅にはカートを引いた旅行客がたくさんおり、うまいもん通りはどこも長蛇の列ができていた。

というわけで黒川でひとまず昼食。名古屋メシ第一弾として「ひつまぶし」を食す。小鉢としてついていたイカとブロッコリーのあえものに、八丁味噌のなかにワサビが練り込まれていたものがかかっており美味。もちろんひつまぶしは美味美味。

2時に日販入り。ひとまずはお呼ばれしていただいた皆様と名刺交換。日販本社はカジュアルな服装の人が増え、カタカナ語が飛び交うものの、こちらの支店はみなさんきっちりスーツ姿で、背筋も伸びるというものだ。元リブロのWさんが、矢部さんと久しぶりの再会を果たし、しばし書店談義をうれしそうに繰り広げる。

30人を超える書店員さんの前で矢部さんによる「書店員の仕事」講義。すべてのことが「お客様が求めるもの」を揃え、「一冊でも本を多く売るため」に向かっており、その中でも何よりも大事なことは掃除&整理整頓である、というあまりに当たり前のことなのだった。その当たり前を徹底してやり続けるのがどれだけ大変なことかということであろう。

17時に終了し、講義を聴きにきていたK書店のYさん、S書店のKさんと名古屋駅に移動して一献。夜遅くまで書店員の仕事を論じ合う。幸福。

9時半に最近のお気に入りコンフォートホテルの名古屋新幹線口にチェックインし、就寝。

2月14日(水)6日ぶり

  • 芦別 炭鉱〈ヤマ〉とマチの社会史
  • 『芦別 炭鉱〈ヤマ〉とマチの社会史』
    嶋﨑尚子、西城戸誠、長谷山隆博
    寿郎社
    4,400円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

6日ぶりに会社へ。

郵便物が溜まっており、ばりばり開封していく。返品了解書も溜まっており、こちらもばりばり返送していく。

それにしても返品了解書に記されている先方のFAX番号の文字が小さかったり、何度コピーして使っているためかすれていたりで、読みにくいものが少なくない。できることなら複合機に紙をセットしたまま番号を見て打ち込めると楽なのだが、なんども目に近づけたり、なかには改めてネットなどでFAX番号を調べたりして結構大変なのだった。

すべて私の老眼のせいなのだが、高齢化の進む出版営業において、返品了解書におけるFAX番号の拡大化は2024年物流問題と同じくらいの急務の問題なのではなかろうか。

10時半に市ヶ谷の地方小出版流通センターさんへ。担当のKさんに『古本屋台2』の見本を見てもらいながら初回の搬入部数を決める。

午後は会社に戻って、明日からの名古屋出張の準備。

サンヤツ広告を見て、買おうかどうかずっと悩んでいた嶋﨑尚子、西城戸誠、長谷山隆博編著『芦別 炭鉱〈ヤマ〉とマチの社会史』(寿郎社)を購入。中身も造本もすごい存在感だ。これは買わずにおられなかった。

2月13日(火)古甲州道その3

  • 檜原村紀聞―その風土と人間 (平凡社ライブラリー う 5-1)
  • 『檜原村紀聞―その風土と人間 (平凡社ライブラリー う 5-1)』
    瓜生 卓造
    平凡社
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

6時15分の武蔵野線に乗り、西国分寺、立川と乗り換え、7時53分に武蔵五日市駅に降り立つ。立川で待ち合わせしたにも関わらずなぜか先に着いていた高野秀行さんと合流し、先月ここで終了した古甲州道歩きを再開する。

本日は武蔵五日市駅から途中山道を歩き、檜原村の数馬というところまで歩く予定だそうだ。その工程はすべてAISAの小林渡さんに絶大な信頼を寄せてお任せしているので詳細はわからない。しかし一週間ほど前に「雪が残ってるかもなので軽アイゼンを持ってきてください」とLINEが届き、慌ててモンベルに行き購入したのだ。

驚くほどの晴天に恵まれ、快調にスタートしたのだけれど、檜原街道には歩道の設置されていないところが多く、しかも思ったよりも交通量がある。トラックがびゅんびゅん脇を通り越していき、恐ろしいのだった。さすがにこれは「軽アイゼン」では対応できないらしく、私が先頭を歩くことで対応するらしい。真正面からやってくるトラックに対して全身で存在感を示しつつも身を縮めるようにしてやり過ごしていく。

そういえば先日、あれは確か古書会館での即売会で、瓜生卓造『檜原村紀聞 その風土と人間』(平凡社ライブラリー)という本を買い求めていたのだ。積読になってしまっているけれど、これは帰宅したら紐解かなくてはならないなんて考えているうちに山歩きの入り口である払沢の滝に辿り着く、と書きたいところだが、ここに着くまでにすでに3時間近く歩いており、そらそろ一杯やってもよい頃合いかと思うが、渡さんは目を合わせてくれない。

さて、山である。山を歩くのは父親に連れられて日光の鳴虫山を登った小学校一年生以来46年ぶりである。となると心配されるのはすっかり中年となってしまった体力なのだが、体力に関してはもう10年以上毎週40キロはランニングしているので問題なしであろう。

しかしそんなことより明確でくっきり大きな問題が聳え立つのである。

私は高所恐怖症なのだ。

おそらく後天的なものだとおもうのだけれど、宮田珠己さんとの旅行先で訪れた妙義山でそれは発症したのだった。

ヘンテコなかたちの妙義山をするする登っていく宮田さんの後を追いかけていたのだが、見晴らしのよいところに出た瞬間、肛門がぎゅーと引き締められ、膝が震え、腰も抜けてしまい、その場に座り込んでしまった。もちろん目はつぶるか上を見るかしかできない。

これはどうしたことかと思ったら、宮田さんは大笑いしてこちらにカメラを向けているのだった。

あれ以来、私は高所恐怖症なのである。

で、今回の山歩きである。ガイドをつとめる渡さん曰く「最高で1000メートルくらい」とのことで、それは本の雑誌社のある五階ですら肛門がぎゅっとする私にとって立派な高所である。しかも渡さんは「尾根道です」というのであった。山に登らない私でも尾根道というのは両側が切り立った道であることはわかる。ということは右を見ても左を見てもそこは崖。果たして私はそんなところを歩けるのだろうか。

結果的にいうと積雪のせいか道は尾根から若干下にできており、常に左には微動だにしない壁があり、私の高所恐怖症が発症したのは頂上のようなところに出た一度きりだった。その時は写真撮影をする高野さんと渡さんを放っておき、私はまるで宅急便のお兄さんのように先を急いだ。

それにしてもである。歩いても歩いてもゴールに辿り着けない。渡さんは「あと30分くらいですねー」というのを2時間前から繰り返している。

遭難するような道行きでもなく、そこかしこに立っている標識も間違いなくこの道を指している。おかしいのは渡さんの言動だけだった。

どうやらわれわれ(高野さんと私)は、たぬきでなく、渡さんに騙されていたらしい。あとから聞けば、先の旅程を考えるとどうしても数馬まで行きたかったらしい。しかしその距離を伝えると私と高野さんから埼スタゴール裏なみのブーイングを浴びること必至で、そのために「数馬のバス停の前に酒屋があります」と桃源郷かの如く飴をぶら下げ誘導したのであった。

その結果、われわれは8時間、4万歩、約30キロ歩き数馬に到着。第三回古甲州道歩きは無事終了したのであった。

家に帰ると娘から「仕事しろ」と叱られた。

2月12日(火)スッキリ隊小田原へ

8時45分に介護施設のワゴン車がやってくる。母親を送り出し、今週も無事、週末介護を終える。手を振って施設に向かう母親の姿は何度見てもこみ上げてくるものがある。家に入ってしばしトイレにこもる。

家を出て、東武伊勢崎線武里駅へ急ぐ。本日これより蔵書整理のお手伝い本の雑誌スッキリ隊の出動で小田原へ向かうのだった。

本来であれば立石書店の岡島さん(スッキリグリーン)の車に乗り込み、依頼主のところへ向かうものの、私は週末介護にあたっていたため、一人、電車で向かうことになったのだ。

武里から小田原。なんと途中電車のトラブルなどもあり、3時間を超える長旅に。それにしても品川駅の東海道線出発があと2分遅ければ、向かいのホームから乗り換えができるのに、どうしてホーム侵入と同時に出発するダイヤが組まれているのだろうか。おかげで品川駅で約30分のロス。

何はともあれ無事到着すると、1時間前に着いていた岡島さんと、その弟さんである古書英二の英二さん(スッキリブラック)により、すでに蔵書6000冊のうちの半分が縛り終えられていて、いやひやその仕事の早さにおののく。

おまけにアジフライを夢見てやってきた浜本(スッキリブルー)も、いつになく労働に勤しみ、駐車場まで本を運び終えており、あとは積み込み作業を控えるのみ。

というわけですぐに本を車に積んでいくが、いやはやこれはずらりと棚に並んでいる姿が見たかったという本の数々で、若干悔しさが募る。

夕方までかかるかと思っていた作業がなんと1時半には終え、浜本の望むアジフライを目指す。しかし早川漁港は観光客の車でごった返しており、しかも目当てのお店はすでに品切れのためか閉店しているではないか。浜本の苦労は水の泡ときす。

仕方なく小田原駅前に戻るもこちらも観光客でごった返しており、我々もすっかり蔵書整理隊から観光客に変身する。干物などを購入し、駅前の食堂で、腰痛のため出動できなかった古書現世の向井さんを偲びつつ、アジフライを食す。

帰路は岡島さんの車で送ってもらう。東名高速は三連休帰りの車で渋滞となり、赤羽に着いたのは6時半。

家に帰ると8時前で、家族と3日ぶりの再会を果たす。

2月11日(日)爪を切る

左手が不自由なため右手の爪が切れない母親の爪を切る。親指の爪が異様に固く、切るのに難儀する。

人の爪を切るのは娘や息子が小さかった頃以来である。子供たちの爪はいったいいつまで切っていたのだろうか。そして私はいつまで親に爪を切ってもらっていたのだろうか。

小野寺史宜『うたう』(祥伝社)読了。

装丁や帯の印象と異なり、これはバンド〈後〉小説であり、恋愛小説であるのだった。

恋愛という最大のコミニケーションのなかのささやかなやりとりがとてもいい。里奈と知哉のカレーの話とか綾葉と正道の就職の話とか。

また後悔と感謝の小説でもあった。小野寺史宜やっぱりいい。

2月10日(土)人によくしてもらうには

朝9時、週末実家で過ごす母を迎えに介護施設へ向かう。

その車中、妻に「意外とすっかり慣れちゃったな」と笑うと、「なんか少年団のとき思いだすよね」と返ってくる。

たしかにあの頃、毎週末、練習や試合にあちこち息子を送迎していたのだ。もっと早い時間のときもあったし、お弁当の準備もあった。何より他の人たちとの付き合いに、かなり気遣をつかって過ごした。

我々夫婦も気づけばいろんなことを乗り越えてきのだ。ほとんど走ってる車のない農道でアクセルを踏む。

母親は、施設から帰ってくると紅茶を飲んで一息つく。天気がいいので、父親の墓参りにもいく。

昼になるとお友達がお稲荷さんや豚汁を作ってやってくる。

今日は入れ替わり立ち替わり母親の友達が6人やってきた。

いただいたものは、お稲荷さんと豚汁の他に、ナムル、トマト、ホタテ、虎屋の羊羹。

夜、みんなが帰った後に母親はぽつりと漏らした。

「人によくしてもらおうと思ったら、自分が先によくしないとね。」

2月9日(金)介護の目標に惑う

休みをもらって、妻と介護施設の見学に向かう。

母親が今、ショートステイしている施設ではリハビリを受けることができず、それもどうかと思いケアマネジャーさんに別の施設を紹介してもらったのだった。

そちらには理学療法士さんがおり、部屋も完全個室で対応充分に思えるものの、金額的には今いる施設よりずいぶんとアップしてしまうため即決はせず要検討とする。

そもそもよくわからないのは、母親がリハビリをして歩けるようになった方がいいのかどうなのかということなのだった。

今、普段は車椅子に乗っており、そこから杖をついて50メートルくらいは歩けるのだけれど、歩くといってもよちよち歩きで、ときには麻痺しているほうの左足が思うように出ず転びそうになってしまうのだ。だから歩く時には常に私も脇に立ちいつでも支えられるようにしている。

しかし、歩けるようになればなるほど、母親は自ら歩こうとするわけで、ふと目を離した隙に立ち上がって歩きだそうとしていることもある。そうなると今度は転倒の恐れがやってくるわけで、今以上に目を離せなくなるのだった。

世の中にはずっと見ていても苦にならないもの(浦和レッズのゴールとかデブライネのパスとか)と苦になるものがあるわけで、83歳の老婆から終日一時も目を離さずにいるのは苦になるものの最高峰のひとつだ。

介護福祉士さんとケアマネジャーさんに相談すると、「それはできることがどんどん増えた方がいいわけで、歩く時には声をかけるとか約束事を作ってやっていくといいです」とアドバイスされるのだった。

しかししかしである。足も手も動くようになるのはいいことだろうが、母親はこれからどれだけ驚異的な回復をしたとしても、もはやひとりで暮らすことはできない。そうなると結局回復しても今のように平日はショートステイを利用することきなるわけで、五体満足に近づいた母親はそれを受け入れてくれるだろうか。

介護というものは目標と生活が上手く噛み合わせるのがなかなか難しいのだった。まあ先のことはあまり考えず、今日を楽しく過ごせばいいのかもしれない。

施設見学を終えて、最近やたらにテレビなどで紹介されることの多い、春日部のケーキ屋さんに立ち寄り、明日誕生日を迎える娘のケーキを購入する。

23歳。ずいぶん立派に育ったものだ。

2月8日(木)路上の乱闘事件

9時半出社。

午前中、企画会議。企画というものは自身の内側から湧いてくるなんてことは10にひとつもなく、ほとんどが人と会い、その会話からもたらされるものなのだった。

一昨日まで考えていたものをすべてなかったものとし、昨日の飲み会で盛り上がったネタを特集とする。

昼、外を見ていた浜田が、「あの人、包丁持ってませんか?」と声をあげ、窓を開けてみると、なんと道路の真ん中で包丁を持った男とモップを持った男が対峙しているではないか。

どうやら我が社のビルの下にある中華料理屋の店員同士がケンカしているようなのだが冗談抜きで片方はモップで人を叩き、片方は包丁を振り回しているのだった。

我々は五階から覗いているからまだ身の危険はないものの、彼らを取り巻くように(といっても20メートルほど離れて)、様子を伺っている人も多数いる。

果たしてどうなるのかと思っていると電話が鳴り、その応対をしているうちにどうやらケンカはおさまり、しばらくするとサイレンを鳴らしたパトカーが多数やってきたのだった。

これで一件落着のはずなのだが、その後Yahoo!ニュースに掲載されるわけでもなく、SNSを検索しても何も出てこず、真相はまったくわからず。しかし映画の撮影ではないはずで、いったいなんだったろうも悶々としながら業務に戻る。

午後は、『古本屋台2』の見本が出来てきたので、初回注文の〆作業に勤しむ。

その間に大山顕さんが来社され、浜本と『マンションポエム東京論』の書籍化の打ち合わせ。楽しみ。

夜、とある版元の営業マンと小川町の「はなび」に飲みに行き情報交換。気楽に飲めるので最近のお気に入り。〆に肉汁うどんを食べ、熊本で行方不明となっていた服部文祥さんの愛犬ナツが無事見つかったとの書き込みを見て、涙あふれる。よかった。

2月7日(水)潜入捜査

すっかり雪も溶け、「本の雑誌」3月号は無事搬入となる。一安心。

午前中にDMと来週名古屋で行われる『本を売る技術』の矢部潤子さんの講演の資料を作り、午後は営業へ。

ここのところ文芸書は調子が良いらしく、売れるものが多く、限られたスペースである平台から何を外すか書店員さんは頭を悩ませておられた。本の雑誌社も悩ますくらいの本を作られねばならない。

夕方、都内某所の出版社に潜入し、世界が滅びると言われている文庫化について探りを入れる。

2月6日(火)雪溶ける

  • 虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督
  • 『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』
    村瀬 秀信
    集英社
    1,980円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 大盛り! さだおの丸かじり とりあえず麵で (文春文庫 し 6-102)
  • 『大盛り! さだおの丸かじり とりあえず麵で (文春文庫 し 6-102)』
    東海林 さだお
    文藝春秋
    1,210円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

気温のせいか雨のせいか思ったよりは溶けていた雪の中、何事もなく走る武蔵野線を撫で撫でしつつ出社。ありがとう武蔵野線。

東京に着くとほとんど雪はなく、東京の暖かさと人の多さに改めて気付かされる。どこの商店も早くから雪かきがされあっという間に黒いアスファルトが顔を出しているのだった。

昨日完成を見なかった書店さん向けDMと注文書作成に勤しむ。こうした案内もそろそろDMやFAXからメールに変更して行かなければならないと思いつつ、早10年くらい過ぎ去っているだろうか。

受注サイトの契約も2年前から考えているものの未だ進めずにおり、今年こそは営業をバージョンアップしていかなければならないと決意新たにする。

昼、追加注文をいただいた新宿の紀伊國屋書店さんに『神保町 本の雑誌』を直納にあがる。雪対策で履いていた登山靴が恥ずかしい。

その後、都内某所で某相談。まさかこんなところに自分が来て、相談することになるとは。人生ままならず。

そうは言ってもたいていのことは、本を買えば乗り越えられるわけで、帰路、本屋さんに寄って

村瀬秀信『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』(集英社)

東海林さだお『大盛り!さだおの丸かじり とりあえず麵で』(文春文庫)

を購入し、深呼吸して帰る。

2月5日(月)最高取引先様大賞受賞

朝8時40分、介護施設の車が母親を迎えにくる。また月曜日から金曜日の間、ショートステイで過ごしてもらうのだ。母親は嫌がることもなく準備をしている。

そして「二泊三日、大変お世話になりました」と頭を下げられる。またどう答えていいのか一瞬戸惑うも、「お客様、二泊三日ですと2万3800円となります」と返すと、母親は大笑いした。

そういえば私は子ども頃母親のご飯に値段をつけていたことがあったのを思い出す。「今日のハンバーグは目玉焼きがついてるスペシャルだったから980円ね」なんて。それは絶対払うことのない代金だったけれど、母親は「あらまそんなにもらえるの!?」と今日みたいに笑っていた。

曇り空の下、車椅子ごとワゴン車に乗り込み、母親は大きく手を振りながら介護施設に向かっていく。どうしても涙がこぼれ落ちそうになる。

10時半に出社。しばらくすると雨が降り出す。これから雪になり、都心も積もるという天気予報。

「本の雑誌」を印刷製本してくださっている中央精版印刷のTさんから電話があり、明日納品予定だった「本の雑誌」3月号を明日の降雪が心配なので今日納品してもよいか」という確認。翌日の納品に不安を覚えていただけにありがたい限り。

そうこうしているうちにTさんがやってきて、助っ人アルバイトの鈴木くんと雨に濡れぬよう気をつけながら社内に運び込む。

運び終えてしばらくすると雨は雪に変わり、アスファルトを白く染める。Tさんの好判断にら感謝。2024年本の雑誌社最高取引先様大賞受賞間違いなし。

定期購読者さん分の「本の雑誌」が無事届いたことに胸を撫で下ろし、早速ツメツメハリハリ作業に勤しむも、窓から見える雪の振り方が半端なく、こうなると通勤で利用している武蔵野線の運行状況が心配になってくる。

「いつまでもあると思うな武蔵野線」

止まったらジ・エンド。私は一瞬で帰宅困難者になってしまうのだった。

というわけで早上がりさせていただき、無事帰宅。わが東浦和はすでに雪が積もり始めていた。

3日ぶりの自宅に帰り、雪景色を見ながらしばしぼーっとする。(武蔵野線は終日止まらずに運行しました。ありがとう武蔵野線)

2月4日(日)

曇り空の下、終日、実家で母親と過ごす。

ロウバイの枝に半分に切ったミカンを刺していたところ、メジロが餌付く。

母親は一日中、それを眺めていた。

2月3日(土)生きるということ

 朝9時、妻と介護施設に母親を迎えにいく。

 車椅子に乗ってうれしそうに出てくると、車に乗って「はあ」と一息つく。施設への不満が口をついて出てきたらどうしようかと思ったけれど、「ご飯が美味しくてさ」と肯定的な言葉で出てきてそっと胸を撫で下ろす。どうやら私同様にこの新しい暮らしを受け入れることができているようだった。

 自宅に帰ると「ああ、やっぱり家はいいねえ」と声をあげる。その言葉を聞いてうれしい気持ちと切ない気持ちの両方が湧いてくる。週末だけでも帰れるように工面している自分に対する誇りと、結局毎日は面倒を見られない自身の器の小ささの間で揺れ動く。

 天気が良いので車椅子に乗せて父親の墓参りに向かう。その車椅子を参道で止めて、母親に杖を渡す。退院から2週間経ち、私と我流のリハビリを続け、家の中をずいぶんと歩けるようになっているのだ。

 でこぼこする道をゆっくりゆっくりと父の墓に向かって歩く。線香に火を灯すとこれまで車椅子で届かなかった香炉に供えた。

「届いたね」

 青空の下、母親はそう言って笑った。

 車椅子まで歩いて戻り、近所を散歩する。通っていた美容院を覗くと、窓の向こうで美容師さんが驚いた表情を向け、手を振った。通り過ぎようとすると美容師さんは足音を立てて出てきて、「杉江さん!」と手を掴むとそのまま泣き崩れてしまった。

 病院を退院した母親は、ほとんどの時間、家の庭を眺めている。どこに行くわけでもなく(行けないのだが)、新聞を読むわけでもなく、音楽を聴くわけでもなく、またピアノを弾くわけでもなく、ただただ庭を眺めている。

 その姿を見て、私はいったい「生きる」というものはどういうことを指し示すのだろうかと考えていた。仕事をして、成功したり失敗したりして刺激を受け、あるいは誰かと会って、仲良くなったり喧嘩したりして、そういう起伏こそ「生きる」というものなんじゃないのかと思ったりもした。

 しかしそれは私だっていつか途絶えるのだ。そのあとの「生きる」とはいったいなんなんだろうかとずっと考えていた。

 今、目の前で、母親と美容師さんが手を取り合って泣いている。

「生きる」ということがここにたくさん詰まっている気がした。

2月2日(金)営業の基本

午前中、オンラインにて座談会を収録。

昼に北原尚彦さんが来社され、原稿の打ち合わせ。

午後、書店さん向けDMを作成。残念ながら作り終わらずタイムオーバー。

帰路、千駄木の往来堂書店さんに寄って、注文していた『東京ヒゴロ』と町田康『ギケイキ3 不滅の滅び』(河出書房新社)を購入。

ふと棚を見たら「本屋大賞にノミネートされなかったけれどオススメの本」というコーナーがあり、金原ひとみ『腹を空かせた勇者ども』などか並んでいた。本屋大賞のこういう利用の仕方は、第1回から願っていたことなのでうれしく棚を眺める。

往来堂書店さんといえば、現在、TwitterのスペースとSpotifyで配信している「公開書店営業」をいつも興味深く聴いているのだった。

これは版元の営業マンが、店長の笈入さん相手に「営業」をする様子を配信しているもので、聴いていてわかるのは営業スタイルというのは十人十色千差万別ということだ。

だから正解がない、ともいえるけれど実は最低限の正解はあるはずで、私がかつてベテランの書店員さんから言われて忘れられないのは以下のことだった。

「本の内容はチラシを読めばわかるんだから、私が知りたいのは、いつ、何冊、その本が自分のお店に入るのかなのよ」

2月1日(木)小さなお店の広い休憩室

中井の最勝寺へ。伊野尾書店の会長である伊野尾信夫さんの告別式に参列する。往来堂書店の笈入店長と並んでお焼香。享年90歳。

私が伊野尾書店さんを訪れるようになったのは2004年か2005年頃で、当時は伊野尾さんのお父さんである信夫さんもお母さんもまだ現役で、お店でその姿を見かけていたものだ。

このお父さんは材木商から本屋を開いた人で、その辺りは伊野尾書店のブログで伊野尾さんがインタビューしているのだけれど、伊野尾書店はお店の奥に従業員用の大きな休憩室があり、そこを売場にすればもっと広いお店にできたのにそうしなかったのは、お父さんが従業員のためを思ったからだった。

かつて私は伊野尾書店で一日アルバイトをしたことがあるのだけれど、そのときその休憩室でのんびり身体を休めたことを思い出す。

会社に戻ると、本屋大賞ノミネート作品が無事発表されていた。21年目の本屋大賞。21年前は31歳でその若さにわれながら驚くも、若かったからこんな無鉄砲なことができたのだろう。経験を積んでできることもあれば経験がないからこそできることもあるのだ。

秋葉原の書泉ブックタワーさんを訪問する。いつきても異様な品揃えに感動を覚え、興味があるわけでもないのに鉄道の売場やコンピュータの売場など眺めてしまう。

ちょうど昨日、朝日新聞の「リレーおぴにおん」で同じチェーンの書泉グランデの店長高松さんがインタビューに答えていたが、そこでは「蔵書量では大型書店に対抗できないので、書泉は専門性を磨いてきました。人気のジャンルがバラバラなのは、各売り場の担当が好きな本を仕入れ、推してきた結果です。」と説明していた。

夜、ランニング6キロ。

1月31日(水)営業の仕事

夜、某所にて、"文芸編集者"の方と酒を飲む。

まず、読んでいるか、読んでいないか。

そして、読めているのか、読めていないか。

さらに、ヒットをだせるか、だせないか。

一等賞の原稿を手にするために、人生をかけていた。

営業は、その想いを、その熱を、冷まさずに、届けるのが仕事だ。

« 2024年1月 | 2024年2月 | 2024年3月 »