1月2日(火)アルバイトの送迎
6時起床。テレビをつける。一夜明けて地震の被害は拡大しており、言葉がない。
来週には「本の雑誌」2月号ができあがり、定期購読者のみなさまに発送するわけだが、果たして手元に届くのだろうか。届いたところで読む気になるのだろうか。
東日本大震災の時にもおぼえた無力感に苛まれるが、あの時坪内祐三さんにかけてもらった言葉を思い出し、どうにか気分を入れ替える。
石川県能登地方で発生した地震で被災されたみなさまに心よりのお見舞いを申し上げます。一日でも早い日常生活が戻りますようお祈りいたします。
箱根駅伝のスタートを見て、ランニングへ。10キロ。最後の1キロは50メートルごとにダッシュを繰り返す。
シャワーを浴びて、娘と息子をアルバイト先に送る。今日はバイト先のサッカーショップの初売りなのだが、元々は娘が3年半ほどアルバイトしていたところドイツへの留学となり、その穴埋めとして専門学校に進路の決まっていた高三の息子が引き継ぎ働き出したのだった。
その後、娘は一年のドイツ留学を終えるとまたバイトに復帰。そして息子は高校卒業後退職したものの冬休みに新潟から帰省しているひと月半だけ臨時雇用していただき、ここに姉弟が同じバイト先で働くという展開が生まれたわけ。
肩を並べて店舗に入っていく姿を見つめているとなんだか力が湧いてくる。
昼、463号バイパスから4号バイパスを乗り継ぎ、せんげん台を目指す。父親の中学からの親友で共に働いていた前川さんのお宅へお呼ばれされていたのだ。
新年の挨拶をして席に着くと、おばさんから「お父さんも連れてきなよ」と声をかけられ、慌てて武里の実家に遺影と位牌を取りにいく。まさか父も親友と息子が新年から酒を飲んでいる(私はノンアルコールビールだが)とは思わないだろう。
食い道楽の前川さんのお家のお節はまるで料亭が如く、食べるものすべて美味しく、最後にいただいたすき焼きは、真っ白い肉でこれまで食べたどのすき焼きよりも美味しかった。妻もお腹いっぱいで大満足。
父が死に、母が入院するまでこうした縁もほとんど育んで来なかったわけで、今はその縁にたゆたゆが如く身を任せている。
4時にお暇し、閉店を迎えたサッカーショップに娘と息子を迎えにいく。終日、外で声を出して福袋を売っていた息子は車の暖房に手をかざし、姉に買ってもらった缶コーヒーを頬にあてている。
その息子と風呂に入り、テレビを見ると羽田空港で飛行機が炎上していた。