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1月4日(木)タコの足

6時起床。事務の浜田からメッセージが届く。

羽田空港の事故の影響により帰省先からの帰宅に予約していた飛行機が欠航になってしまったとのこと。キャンセル待ちできるのは明後日からで、明日の仕事始めに出社できるかわからないという。無理せずのんびり帰ってくるよう返事をする。

朝ラン、15キロ。

休み最後の1日はこれから実家で母親と過ごすのに必要なものを買いに行く。

5月末に母親が入院して、少ししたとき冷蔵庫の中身や日持ちしない食品を整理した。

それからしばらくしてもう自宅には戻れないのかもしれないと覚悟したとき、調味料も含めてすべて処分していたのだった。

その母親がまもなく自宅に帰れることになったので、あらためて醤油や塩や味噌など妻とスーパーに行って買い揃えた。

なんだかいつか似たようなことをしたよなと思ったら、去年の春、息子が新潟に引っ越し、その時妻とともにこうして生活道具一式を新潟でレンタカーを借りて、買い求めたのだった。

山のような荷物を実家に置いて、今日から面会可能になった病院へ向かう。

車椅子に乗った母親と顔を合わせて、本当は喪中で言ってはいけない「あけましておめでとうございます」という新年の挨拶を交わした。

地震のこと、飛行機事故のこと、年末年始にあったことを話していると、母親が「今日、久子さんから電話があって、ツグが来たらタコがあるから帰りに寄りなと言っていた」というのだった。

久子さんというのは父親の中学からの親友である前川さんの奥さんで、2日前の一月二日に年末年始にどこにも行く予定のなかった僕ら夫婦は前川さんちにお呼ばれし、すき焼きをご馳走になっていたのだった。

その際、前川さんが行きつけのお寿司屋さんに無理を言って手に入れた佐島の地ダコが食卓に並べられ、それを僕が「美味い、美味い」と食べていたのだ。おそらくそのタコを僕に持たせようとしているのだろう。

しかし僕はそこで首を傾げた。

母親が言ってることは本当だろうか? 入院した当初に比べたら混乱は治ったものの、そもそも83歳となっており、記憶があやふやなことが増えているのだ。

久子さんは年末ギリギリにも面会に来ており、僕を新年に招いて正月料理を食べさせる話をしていたはずだ。

だからきっと、久子さんの電話も今日はかかってきておらず、母親の記憶違いだろうと思った。

記憶違いなのか確認できる方法は、母親の首からぶら下がっている携帯電話であり、その着信履歴を確かめることにした。

しかし母親から携帯を預かってみたものの、その着信履歴を画面に出すことができない。いや着信のボタンはあるものの、それを押すとなぜかすぐに発信の表示がされてしまうのだ。

どうしたもんかと携帯をいじっていると、母親のベッドに備えつけられたテーブルに目がいった。そのテーブルの上には何枚かの紙がクリップで止められたメモ帳が置かれていて、そこには鉛筆で母親の筆跡の文字が綴られていたのだ。

一月一日 夕食におせきはんが出た

     薬のんだ

一月二日 リハビリで歩いた

     薬飲んだ

一月三日 渡辺さんから年賀状が届いた

     薬のんだ

一月四日 久子さんから電話。ツグにタコをとりにくるように

母親を見るとニコニコ笑って妻と話している。僕は母親の携帯電話の電話帳から久子おばさんの番号を書き写し、面会を終えると駐車場から電話した。

「電話したわよー!バカだねえ、あんた。お母さんそんなボケてないでしょう」

玄関の前で待っていた久子おばさんは大笑いしながら迎え入れてくれた。

僕の結婚パーティーから父親の葬式まで約25年の間会っていなかった前川さんちの食卓で、今日もまたお茶を飲んでいる。血圧や薬の話をしてワハハと笑っている。

両手にたくさんの荷物を渡され、前川さんちを後にした。その中にはラップに包まれた佐島のタコの2本の足も入っていた。

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