2月9日(金)介護の目標に惑う
休みをもらって、妻と介護施設の見学に向かう。
母親が今、ショートステイしている施設ではリハビリを受けることができず、それもどうかと思いケアマネジャーさんに別の施設を紹介してもらったのだった。
そちらには理学療法士さんがおり、部屋も完全個室で対応充分に思えるものの、金額的には今いる施設よりずいぶんとアップしてしまうため即決はせず要検討とする。
そもそもよくわからないのは、母親がリハビリをして歩けるようになった方がいいのかどうなのかということなのだった。
今、普段は車椅子に乗っており、そこから杖をついて50メートルくらいは歩けるのだけれど、歩くといってもよちよち歩きで、ときには麻痺しているほうの左足が思うように出ず転びそうになってしまうのだ。だから歩く時には常に私も脇に立ちいつでも支えられるようにしている。
しかし、歩けるようになればなるほど、母親は自ら歩こうとするわけで、ふと目を離した隙に立ち上がって歩きだそうとしていることもある。そうなると今度は転倒の恐れがやってくるわけで、今以上に目を離せなくなるのだった。
世の中にはずっと見ていても苦にならないもの(浦和レッズのゴールとかデブライネのパスとか)と苦になるものがあるわけで、83歳の老婆から終日一時も目を離さずにいるのは苦になるものの最高峰のひとつだ。
介護福祉士さんとケアマネジャーさんに相談すると、「それはできることがどんどん増えた方がいいわけで、歩く時には声をかけるとか約束事を作ってやっていくといいです」とアドバイスされるのだった。
しかししかしである。足も手も動くようになるのはいいことだろうが、母親はこれからどれだけ驚異的な回復をしたとしても、もはやひとりで暮らすことはできない。そうなると結局回復しても今のように平日はショートステイを利用することきなるわけで、五体満足に近づいた母親はそれを受け入れてくれるだろうか。
介護というものは目標と生活が上手く噛み合わせるのがなかなか難しいのだった。まあ先のことはあまり考えず、今日を楽しく過ごせばいいのかもしれない。
施設見学を終えて、最近やたらにテレビなどで紹介されることの多い、春日部のケーキ屋さんに立ち寄り、明日誕生日を迎える娘のケーキを購入する。
23歳。ずいぶん立派に育ったものだ。