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5月27日(月)『しぶとい十人の本屋』
荻窪の本屋Titleで先行発売中の『しぶとい十人の本屋』(朝日出版社)を購入する時、著者でもある辻山さんが、「面白いですよ」とおっしゃっていた。
それが昨夜手にとると、本当にめちゃくちゃに面白く、ほぼ徹夜で一気読みした。読んだ後、頭がぐるんぐるん回って、こんなに考えさせられる本も久しぶりで、まったく眠れなくなってしまった。
お店を開けて8年が過ぎた辻山さんは、かつてのような手応えが感じられなくなり、自分の仕事について考え直していた。そんなときに同様に本屋を営んでいる人たちに会いに行こうと旅に出るのだった。そこで交わされた対話が本書であり、そして辻山さんは対話する度に本屋について改めて考えていく。
その話を聞いた九人の本屋さんの個性が強烈なのだ。それは気を衒うというのとはまったく異なり、生身の人間がもつ本来の個性であり、思考である。
もうそれがめちゃくちゃに面白い。ある本屋さんは教師ようであり、ある本屋さんは哲学者のよう。また別の本屋さんはパンクロッカーのようであり、さらにプロレスラーのような本屋さんもいる。
辻山さんがレジで釣り銭を用意しながら自著を「面白いですよ」と言ったわけは、そういうことだ。「自分の中からはでてこない言葉(考え)がでてくるので」とおっしゃっていたのだ。
私からすると、同時代の、隣のクラス(本屋さんと出版社)に、こんなに考え、実行している人たちがいたのかと驚き、憧れることしきり。また、私自身、こんなに深く、丁寧に考えて、本と向き合っているか?と強く反省もした。
そして本屋と出版社というものが圧倒的に別物だと思い知った。
この本の中で何人もの本屋さんが、あの人がこの本を買うだろうという個人を思い浮かべて本を仕入れていると話されている。
しかし出版社である私は本を作る時、売る時にそんな個人を想像することは正直言ってない。まったくないのだった。
例えば高野秀行さんの本を作る時は高野さんのファンとそのときのテーマに興味ある人が、そして初めて本を出す著者ならば、きっとこの感じの本を好きな人が手に取ってくれるだろうくらいの感覚でしかない。営業としてはどうにか一人でも興味を持つ人を増やそうと考えてはいるが。
ならば誰を思い浮かべて本を作っているかと言ったら、第一に著者だ。著者が満足する、あるいは著者に恥をかかせない、さらに著者が想像する以上の本を作りたいとは常々考えている。
それから自分自身が胸を張って、この本は私が作りました、と言える本にしようと思っている。
そこに特定の個人というものは、やっぱり想像したことがない。本屋さんと違って本を買う人と接することがほとんどないので、特定の個人を想像しようがないのだ。
ここで思い出すのは夏葉社の島田潤一郎さんだ。島田さんが本(出版社)を作ろうと思ったのは、兄弟のようにして育ったいとこが亡くなり、それで大変落ち込んでいる叔父さんと叔母さんを励ますためだった、というのは著作で何度も記されている。
これは完璧な個人であり、私的な対象だ。そこまで明確な読者対象というはその一冊だけかもしれないが、夏葉社の本は、この本を見つけたあなたのためにある、という空気をまとっている。夏葉社の人気の一部はこの姿勢にあるのかもしれない。
というのも、『しぶとい十人の本屋』の中で、これもまた何人かの本屋さんが語っているのだけれど、やはり今、コミニケーションが求められていると。その救いの場として本屋が必要とされているのではないかというのだった。
もしそれがそうなのであれば、島田さん=夏葉社というのは、その役割も引き受けているように思える。転職が思うようにいかない人から手紙をもらい、その人を週一で一年雇い、ブックマーケットなどで出店している夏葉社のブースはいつも島田さんと話す人であふれている。
私はそれを見て、出版社を作りたいという人の相談にのってるんだなあと思っていたけれど、実はもっと個人的な話をしている気がしてくる。夏葉社は、出版社でありながら本屋なのだ。
何の話をしているかというと、本を作るとき誰を思い浮かべるか、ということだ。
前述のとおり、私は特定の読者を思い浮かべない。思い浮かべられない。それでも受け取ってくれる人がいる。
先日、閉店を控えたオークスブックセンター南柏店で高野秀行さんのサイン会を開いたけれど、その際、かなり多くの人が、『謎の独立国家ソマリランド』で高野さんを知ったと話していた。男性も女性もいて、年輩の人も若い人もいた。この誰ひとりとして思い浮かべずに、私は『謎の独立国家ソマリランド』を作っていた。
島田さんのように誰か思い浮かべて作った方がいいのかも、とこの本を読みながら少し考えたけれど、それは本屋さんがすることなのかもと思い直した。役割分担だ。
責任放棄のように聞こえるかもしれないし、そんなマーケティングもできないで本を作るなとお叱りを受けるかもしれないが、いかんせん私は、本を買う人と接してないのだから、やはりそこは毎日接している人に任せるしかない気がしてくる。
読者と接するということと、その土地で商売をするという感覚(これはウララの宇田さんがこの本の中で指摘しているように東京に向けて本を作っている可能性は大いにあるが)は、出版社(私)はなかなか持ちようがない。そのことを改めて深く深く思い知った。
本屋さんはもちろん、出版社の人はこの『しぶとい十人の本屋』を読んだ方がいい。
われわれが作る本を、こんなにも真摯に受け止めてくれる本屋さんが、そして個性いっぱいの本屋さんがいることを知ることで、改めて本というものを強く信じられることだろう。
「自信を持ってあなたが信じる本を作りましょう!」という声が聞こえてくる。
さらに深く耳をすますと、「あなたはそこまでの覚悟を持って作りたい本はありますか?」という恐ろしい声も聞こえてくる。
5月26日(日)お祈り
午前中、母親の車椅子を押して散歩していると、私たち親子を見て微笑む女性がいた。きっとそれは年老いた母親に寄り添う息子というものを見て、心朗らかになったのだろう。
女性が抱いたその気持ちを、一編の小説で再現させようとしたらどんなに大変だろうか、なんてことを考えながら父親の墓参り。
線香をあげ、自由にならない手を合わせて、母親が声をあげて、お祈りする。
「お金が増えますように」
5月25日(土)梅仕事
朝9時、介護施設へ母親を迎えにいく。先週は神保原ブックフリマで迎えに行けなかったので、母親は2週間ぶりの帰宅となる。家に着いて玄関を開けると、「あーうちの匂い」と言って、深呼吸を繰り返す。
バイトがない娘も今日はやってきており、一緒に折り紙を折って遊んでいる。
午後になると母親の近所の友達や、亡き父の友人らがやってきて、いつも通り賑やかになる。
庭の梅を収穫。去年の4分1程度しか獲れず、自然の厳しさを垣間見る。
5月24日(金)本屋Title
荻窪駅からてくてく歩いて、本屋Titleさんを訪問。店主の辻山さんが日本各地の本屋と対話した新刊『しぶとい十人の本屋』(朝日出版社)を先行発売で購入する。
この春、本の雑誌社に転職してきた編集の近藤は、「自分が作った本をTitleに並べてもらうのが夢なんです」と話していたけれど、そういう編集者は今、たくさんいることだろう。
今日、Titleさんに行って、入り口の平台を見ると、そこには成瀬も変な家も東野圭吾も心に効く美容もなかった。それなのに、いやそれだからこそ、金曜日の午後に関わらず、お客さんが5人も居て、みな本を手に棚と真剣に会話しているのだった。
ベストセラーという価値観ではなく、世の中に必要だと思われる本を並べ、これだけのお客さんを惹きつけ、編集者に目標とされるお店を作った辻山さんはすごい。
5月23日(木)海苔弁
晴天。朝、8時半に出社。大机に坪内祐三『日記から』の再校ゲラを広げ、確認作業。
11時半、昨日沢野さんから届いた1万円をもって、九段下の「いちのや」に海苔弁を買いに行く。5人分の弁当がずしりと重い。さらに帰路、成城石井でデザートも追加。社内ランチで大いに盛り上がる。
満腹になり、再校ゲラの確認作業を一旦やめて、来月から八重洲ブックセンター京急上大岡店さんで開催いただくフェアの品出し。在庫僅少本を並べていただくため、社内の倉庫を物色。
午後、営業。
銀座の教文館さんを訪れる。階段あがった踊り場では朝日文庫のフェア。たいへん売れているそう。相変わらず隅々まで手が入り、しっかり耕された売り場が楽しい。文庫がいまどき棚からたいそう売れるというので驚く。夏目漱石、三島由紀夫、川端康成、太宰治などは補充が追いつかないのでストックももっているそう。
その後、八重洲地下街を覗き、来月14日にオープンする八重洲ブックセンターグランスタ八重洲店の場所を確認。窓の隙間から覗くとまだ棚ひとつない店内だけれど、ここが本で埋まるのかと思うとワクワクしてくる。
夜、家に帰ると娘が恩田陸『spring』(筑摩書房)を読んでいた。
「今日は本を買うのに電車乗って本屋行ったよ。恩田陸の新刊出てるの知らなかったよ」
一昨年、私の住む街は本屋が2軒閉店し、本屋のない町になっている。
5月22日(水)原稿依頼
朝9時出社。
坪内祐三『日記から』の再校ゲラを大机に広げ、終日確認作業。
夜、栗原康さんに原稿依頼の打ち合わせにいくという編集の近藤についていく。栗原さんが長渕剛と尾崎豊を愛聴し、さらに浦和レッズが好きというので、大いに盛り上がる。
5月21日(火)春近書店
中井の伊野尾書店さんへ「本の雑誌」6月号追加注文分をお届け。
椎名町に移動し、「南天」で肉そばを食べた後、デザイナーの松本さんと坪内祐三『日記から』の装丁について打ち合わせ。
帰路、道順を変えたら古本屋さんを発見。春近書店。創業昭和22年の大変年季の入った古本屋さんで、古本パワーに圧倒される。戸川幸夫『イリオモテヤマネコ』(自由国民社)とジュディス・オークリー『旅するジプシーの人類学』(晶文社)を購入。
夜、ランニング、6キロ。
5月20日(月)OJT(岡島・ジョブ・トレーニング)
「杉江さん、いま何本くらい積んだ?」
6畳ほどの部屋のすべての壁と真ん中が書棚になっている書庫で、本を抜き出し縛っていた立石書店の岡島さんが顔もあげずに訊いてきた。
岡島さんも私も、古書現世の向井さんに依頼のあった蔵書整理の助っ人に来ているのだった。
岡島さんは古本屋業界でも仕事に厳しい人と知られ、私はその厳しさを「OJT(岡島・ジョブ・トレーニング)」と呼んでいた。
岡島さんが私に訊いているのは、本を20冊から30冊に束ねた本数で、私は岡島さんと向井さんが束ねた本を駐車場に停めているハイエースに運びいれる役割を担っていた。
「本が20本に、文庫新書が20本の約40本くらいっすね」
と答えると岡島さんは爆笑した。
「どこの古本屋だよ! いや並の古本屋だって答えられないよ。」
岡島さんは爆笑しているけれど、それは最上級の褒め言葉だった。厳しいけれど、褒めるのも上手な人なのだ。
実は私は、そろそろ岡島さんに訊かれる頃だろうと思い、車に積みながら数えていたのだ。数えやすいように積んでもいたのだ。
岡島さんの仕事は、三手先まで考えて段取りをするというやり方で、5年以上の付き合いで、まさしく私はOJTされてきたのだった。
岡島さんは笑いながら話を続ける。
「本数聞かれてさ、わからないからって、数えにいかれると、それはまた困るんだよね。こっちも何となく感覚でわかってるのを、ただ確かめたいだけだからさ」
そのやりとりを、床に座ってごしごし古本を縛りながら聞いていた古書現世の向井さんが、ニュースのアナウンサーの口調で言う。
「杉江由次、(古本の)出し子。自称営業。」
「自称営業ってなんだよ! 30年やってるわ!」
三人揃って爆笑する。
本を縛って運ぶ、という単純作業をこうしたやりとりで楽しくしていく二人の仕事ぶりが私は大好きだ。
だから今日も代休を取って手伝いに来てるのだった。
5月19日(日)高野本の聖地
朝9時に出社。神保町ブックフリマ二日目。
土曜日と日曜日の神保町はまったく人の出が異なる。土曜日は家族連れや若い人たちが本やランチやコーヒーを求めて(キッチン南海やラーメン二郎は平日以上に行列ができていた)やってきており、東京堂書店さんの売り場も大混雑しているが、日曜日は古本屋さんもシャッターを下ろして閑散としている。その閑散とした神保町がなかなかよい。
昼に売場を離れ、来週26日に閉店する南柏のオークスブックセンターさんへ。高野秀行さんのサイン会のお手伝い。
このお店は「高野本の聖地」と呼ばれているけれど、そもそもは別の書店で働いていたTさんが、6年ほど前にオークスブックセンターに転職され、前売場でも展開していた高野さんの本をはじめとする内澤旬子さんと宮田珠己さんの著作を集めた「エンタメノンフ三銃士」コーナーを移転設営されたのだった。
さらにその前段階として、千葉の書店員さんが集まり、酒飲み書店員大賞というのを開催し、第一回目の受賞作が高野秀行さんの『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)だった。それはなんと2006年のことで、今から18年も前のことだ。
それまで高野さんの本は重版がかかることがなく、知る人ぞ知る作家だったわけだけれど、酒飲み書店員大賞受賞を契機にたくさんの人が高野さんの面白さに気づき、その後は講談社ノンフィクション賞を受賞したり、クレイジージャーニーに出演したりと大活躍、さらにファンが増えていくこととなった。
高野さんは高野さんで新刊が出ると2時間近く電車に揺られ聖地を訪問、100冊以上の本にサインをして帰るということを繰り返してきた。そのおかげで本は売れ続け、聖地は弾劾されることなく本日に至ったのであるが、聖地とは関係なく出版の世界は第三次出版不況の戦禍から逃れることができず、残念ながらお店の閉店を迎えることになってしまった。
サイン会に参加していただいた方に話を伺えば、埼玉や神奈川といった遠方から駆けつけてくださったファンの方もいたけれど、日頃このお店で本を買っていた地元の人も多く見受けられた。
しかもその人たちが高野さんの本を知ったのもこのお店の棚(聖地)のおかげで、そこで『イスラム飲酒紀行』(講談社文庫)といった仰天タイトルに惹かれて手を伸ばされたそうだ。
本があって、読者がいるわけではなく、本屋さんがあって、読者が生まれるのだ。
サイン会は2時間を大盛況で無事終了となる。
帰路、今週末は介護施設に預け放しにしている母親の顔が思い浮かぶ。
5月18日(土)神保町ブックフリマ
朝9時、会社に向かう。今日は神保町ブックフリマ初日。
神保町ブックフリマとは、コロナ禍に神保町ブックフェスティバルが休止となってしまい、その寂しさを紛らわすために白水社の営業の小林さんなどと相談して始めた出版社による産直イベントで、今年で4回目を迎えた。
ただしイベントといってもゲリラ的に開催しているので、実行委員会や会議もなく、ただただハッシュタグをつけてつぶやくだけで運営しているのだった。
それでも白水社には朝から行列ができ、青土社や青弓社、左右社、作品社、文学通信が出店する八木書店のガレージには人が詰めかけ、本を買ってくださる。これぞまさしく神保町の力だろう。
5時まで対談をまとめつつ、いろんな人とお話し、本を売って帰宅。
5月17日(金)雑談日和
午前中、市ヶ谷の地方小出版流通センターへ。Kさんと長話。取り寄せていただいていた小川祥平『ラーメン記者、九州をすする!』(西日本新聞社)を購入。
昼、神保町に戻り、古書会館で行われているフリーダム展を覗く。(フリーダム展ってなんだろう?と思ったのだが、のちに立石書店の岡島さんに伺うと、かつて古書会館で行われてた古書展は目録発行と即売会がセットになっていたのだが、目録販売は抜きにして、ただここで自由に古本を売ることにしょうと始めたのがフリーダム展だったそう)
フリッチョフ・ナンセン『極北(上下)』(福音館日曜日文庫/800円)と桜田育夫『タイの象』(めこん/500円)を買い求む。
午後、竹橋の毎日新聞社へ。坪内祐三『日記から』の連載担当だった大井さんに当時の話を伺う。
夕方会社に戻り、デスクワークをしていると、栃木で図書館館長をしている読者の方が訪れる。しばし図書館の話を伺う。
本日はいろんな人と話をし、大変充実した一日だった。私はなにより雑談が好きだ。
5月16日(木)嵐ゴーゴーまぜそば
高野秀行さんと新潟から帰る。
出張パックで取った新幹線のチケットが乗車変更できず、改めて新幹線のチケットを取り直す。しかしそれでも正規の値段でチケットとホテルを取るより安いのはどういう仕組みなのだろうか。新幹線は横浜Fマリノスの選手と一緒だった。
出社し、ちょうど届いた坪内祐三『日記から』の再校ゲラの確認作業に没頭する。
夕方、大森望さん来社。文庫化とドラマ化で大変盛り上がっている劉慈欣『三体』(ハヤカワ文庫SF)の話を聞きつつ、らあめん花月嵐の期間限定メニュー「ゴーゴーカレー監修 嵐ゴーゴーまぜそば」をおすすめいただく。
5月15日(水)北書店
高野秀行さんの新作の取材で新潟へ。
高野さんより一足早く新潟に入り、一年半ほど前に移転した北書店さんを訪問する。
新しいお店は信濃川沿いにあり、マンションの一階が浅草の仲見世通りのような商店街になっている不思議な作りのその真ん中に北書店の白い看板が立っていた。
以前よりコンパクトになった売り場には、あるべき本というか、ここならあるだろうという本がしっかり並んでおり、感動を覚える。
店主の佐藤さんにご挨拶すると、たまたまお店にいらした常連さんをご紹介いただく。60代と思われるその男性はイベントスペースを営んでおり、絵などの展示をされているとのこと。そしてなんと「本の雑誌」や椎名さんの本を読んで、自身も雑誌を作っていたという。胸熱になってしばしお話しさせていただく。
その常連さんが本を買って帰ると、入れ替わりのように段ボール箱を抱えたスーツ姿の男性が本を届けにきた。
またまた佐藤さんが紹介してくださり名刺交換をすると、教科書の取次をしている会社の人なのだが、なんとその方は以前新潟の別の本屋さんに勤めており、本屋大賞にも投票していただいていた書店員さんなのだった。
なんだろう、この場所は。
まず、佐藤さんがいて、本がある。そして、そこに人が集まってくる。
これが「本屋」なのかもしれない、と思った。
新潟に本屋あり。北書店なり。
僕はここが大好きだ。
岡村淳『忘れられない日本人移民』(港の人)を買い求む。
5月14日(火)閉店
今月26日で閉店となる南柏のオークスブックセンターさんを訪問。
以前はぎっしり埋まっていた棚にところどころ空間ができている。閉店を控えたお店というのは、何度見ても胸が締め付けられてしまう。
5月13日(月)金子玲介『死んだ山田と教室』(講談社)は2024年のベスト1
金子玲介『死んだ山田と教室』(講談社)を夢中、熱中で読んだ。素晴らしい! 最高だ‼︎ 2024年はまだ7か月半あるのだけれど、2024年のベスト1は『死んだ山田と教室』に決定だ。
穂木高2年E組の中心人物の山田は、夏休みに猫を助けようとして、飲酒運転の車に轢かれ死んでしまうのだった。
二学期が始まった教室は、ぽっかりと穴が空いたようで、そんなクラスを心配した担任の花浦は気分転換として席替えを提案する。
しかし、男子校の席替えほど盛り上がらないことはない。不平不満がこぼれてきそうになった時、教室のスピーカーから聞こえてきたのは......。
なんと山田の声だった──
この話どこに転がっていくんだと不安になった。 ホラー? SF? ミステリー?
いやいや、まさかの青春小説とは! 死んだ人間の青春小説ってなんだよ?!って思ったけれど、超ど直球の青春小説で、さらに青春の終わりまで切なく描かれる。
こんな感じの読み心地の物語は、わが最愛なる金城一紀の「ゾンビーズシリーズ」以来。そう、あの超名作『レボリューションNO.3』『ダディ・フライ・ダディ』『SPEED』『レボリューションNo.0』のゾンビーズだ。
ゾンビーズが「ギョウザ大好き!」なら、山田は「おちんちん体操第二」なのだった。
しかも最後は、もうサンボマスターかよ?!という感じで、金子玲介『死んだ山田と教室』は、「めっちゃ最高なんですっ!」と叫んでしまった。
5月12日(日)本物の編集発行人
午前中、父親の墓参り。その後、母親の車椅子を押して長い散歩。庭先に咲いている様々な花を眺めてまわる。
風強く来客なし。
実家の本棚に置いてあった『笹塚日記』を再読する。
最初の巻の目黒さんは、まだ本の雑誌社の発行人であり、実質的な編集長でもあったのだが、あんなにのんびりして見えた目黒さんのその仕事量におののく。のんびりしていたのは、隠居後のことだったのだ。
雑誌の対談のまとめから企画、依頼とすべてをこなし、さらに単行本のゲラを読んでタイトルや帯のコピーを考え、当時の書籍担当の編集者金子と本作りに勤しんでいる。もちろんこの間にもフリーで受けた仕事をこなし、本屋に行きたんまり本を買い、その本を読み、競馬にも出撃しているのだ。
その姿は、まさしく発行人であり、編集長だった。本物の編集発行人というのは、これくらい当たり前に働いていたのだ、と改めてひれ伏す。もう一度目黒さんの下で働きたい、と思った。
5月11日(土)観戦仲間
9時、妻とともに介護施設へ母親を迎えにいく。
新潟で暮らしている息子は、ビッグスワンに駆けつけ、アルビレックス新潟と対戦する浦和レッズを応援する。
介護さえなければ私も遠征していたであろうが、今は控えざるえない。人生にはそういうときもある。ある、あるのだ、と言い聞かせる。
浦和レッズが4対2で勝利した後、息子は浦和から遠征した観戦仲間にラーメンとチャーハンを奢ってもらったらしい。息子を友として認めてくれている仲間たちに深く感謝。
5月10日(金)月曜日と金曜日
週に2日だけ酒を飲む。月曜日と金曜日。アサヒ生ビールマルエフか檸檬堂定番の350ミリリットル缶を1本だ。
仕事を終え、JR御茶ノ水駅を越えて聖橋を渡ったところにあるセブンイレブンで買う。そしてすぐにプルタブを開ける。歩きながら飲むのだ。
みっともないと思うけれど、酒場に入るほど飲みたいわけでもなく、公園のベンチに腰掛けたら立ち上がることができなくなってしまいそうなのだ。
月曜日は週末の介護を無事終えたご褒美として。金曜日は1週間働き終えたご褒美と明日明後日の介護に備えて心を整えるため。実際、明日になってしまえばなんでもないのだけれど、金曜日の夜は週末のことを考えて少しだけ憂鬱になる。
今日は檸檬堂を買って、喉に流し込んだ。酸味が喉にしみる。元々酒に強いわけでもないし、歩きながら飲んでいるからすぐに酔っ払ってしまう。
坂道を下って、登って、湯島天神の手前ではもうすでに350ミリリットルの缶は飲み干している。
とつぜん涙があふれてくる。なんで泣いているのかわからないけれど、込み上げてくるものがある。人生、それなりに上手くいっているような気もするし、なにもかも上手くいっていない気もしてくる。
ゆっくりと夜を迎える空に、新潟にいる息子の顔が浮かぶ。そして去年死んでしまった父親の顔も。
上野駅から電車に乗る。家に帰ることしかできない。
5月9日(木)食べ放題1Rノックアウト
午前中、企画会議。今月は編集部にお任せなので、特に何も発言せずに終わる。
昼、友人のY氏とげんぱちでランチ。のり弁にシャケ、エビフライのついたA弁当を食す。硬めに炊かれたご飯に醤油が染みて美味。Y氏も要介護2の母親と共に過ごしているので、介護話で盛り上がる。
午後、京急線に乗って上大岡の八重洲ブックセンターさんへ。神奈川で一、二を争う繁盛店なのだけれど、なんと本の雑誌社のフェアをしていただけるというのだ。涙がでるほどありがたい。棚を見ながらいろいろ相談。
京急線に揺られて都心に戻りつつ、梅屋敷で下車。緑の暖簾が風で揺れる葉々社さんを訪問。一冊一冊の本(書籍)が大切扱われていいて、うれしくなる。それと同時にちゃんとした本を作らなきゃと背筋が伸びる。秋峰善『夏葉社日記』(秋月圓)を購入。
夜、新宿・歌舞伎町で古書現生の向井さんと東京キララ社の小林さんと待ち合わせし、寿司食べ放題の「きづなすし」へ。
ナマモノが食べられない私だけれど、一生に一度くらい思う存分(食べられる)お寿司を食べてみたかったのだ。
というわけでオーダーしたのは、玉子10貫とあなごとうなぎ2貫ずつ。全部火の通ったネタだ。
しかし諸々12貫食べたところでお腹がいっぱいでギブアップし、向井さんに呆れられる。その向井さんは50貫ほど食し、小林さんも40貫ほど食べていた。いろいろと情けない夜。
5月8日(水)中島みゆき
青いファザードが目印の駒込のBOOKS青いカバさんに「本の雑誌」6月号を納品。
平松洋子さんの連載「そばですよ!」でも紹介していた「一〇そば」にてジャンボゲソ天そばを食べた後、慈眼寺に向かい、目黒さんのお墓に6月号をお供えし、線香が真っ白い灰になるまで会話する。
夜、有楽町の東京国際フォーラムへ。今夜は伊野尾書店の伊野尾さんに誘われて中島みゆきのコンサートを堪能するのだった。
しかし、中島みゆきは私にとっては、ベストテンに出ない人であり、金八先生で沖田浩之と加藤優が暴れて警察官に捕まってしまったときの名曲を歌っている人であり、あとはプロジェクトXの歌の人でしかなかった。
それでも、伊野尾さんから「中島みゆきのコンサート(チケット取れたら)行きませんか?」と誘われた時、すぐに「ぜひ」と答えていた。
なぜなんだろうか──。
中島みゆきが本当にこの世に存在するのか確かめたかったのだ。あまりに神々しいというか、この世に本当に存在するの?と疑ってしまう人物のひとりなのだった。
だからすぐに「行きます」と返事したわけだが、ひと月ほど経った頃に「チケット取れました!」と報告が届くと、今度はプレッシャーに押しつぶされそうになった。
何せ私は、中島みゆきの歌を2曲しか知らないのだ。そんな人間が、入手困難なチケット手にして、客席に混じっていいのだろうか。さらにおよそ2時間のコンサートを興味を持って観ていられるのかも不安だった。
とにかく知ってる曲を増やそうとApple Musicを「中島みゆき」を検索した。びっくりした。ないのだ、中島みゆき。中島、サブスクやってないってよ、だ。
いや、数曲あることはあるんだけど、「はじめての中島みゆき」というプレイリストしかなくて(それと人に提供した曲のプレイリスト)、だからそれを毎日聴いて予習していたのだけど、その曲曲をどう判断していいかわからなかった。
安直な応援ソングでもないし、失恋ソングでもなく、またストーリーソングでもないと思った。
またフォークなのか、ポップスなのか、あるいは歌謡曲や演歌でもなくもちろん民謡でもなく、そしてロックなのかもわからず、私の音楽感の中でうまくカテゴライズできずにいた。
そうして期待と不安を抱えたまま迎えたのが今日だった。
雨がしとしと降る東京国際フォーラムのホールAは人でごった返していた。グッズ売り場には長蛇の列ができ、座席に向かうエスカレーターにも人の列ができていた。多くの人が私より年上だったが、それでも結構若い人もいて、「現役」のアーティストなんだなと思ったりしてるうちに、5分前のベルがなった。そして時間通りの6時30分にコンサートがスタートした。
演奏が始まる。舞台にはコーラスやストリングスも含めて15人のプレイヤーがいて、しかも今どきみんなイヤフォンでクリック音聴きながら演奏するのに、なんと指揮者がいるのだった(この指揮者が長渕剛のプロデュースもしていた瀬尾一三なのは、後のメンバー紹介で知った)。
豪華なバンド構成だなあと思っていたら、ギターを抱えた中島みゆきが登場する。二階席で遠かったけれど、隣のおばちゃんが双眼鏡覗いてうっとり頷いていたから間違いなく本人だ。
その、中島みゆきが、マイクの前に立って、一声出した瞬間に、国際フォーラムの空気が固まった。ピキピキって音がして、薄い氷が会場全体を覆ったようだった。
それから2時間。寝るどころか、目を閉じるのも忘れて、中島みゆきの歌に聞き惚れた。
曲を知ってるかどうかなんてまったく関係なかった。
慄くほど歌の上手い人がそこにいて、どんなカテゴライズもできない、まさしく「中島みゆき」の歌を、うたっていた。
これまで52年と9ヶ月生きてきて、初めての衝撃だった。中島みゆきは、正真正銘唯一無二の本物だった。
5月7日(火)定価
電車満員。ほとんどの路線が遅延。みんな会社に行きたくないのだ。
しかし私は会社に行きたい。いや、行くことが嫌ではない。なぜなら昨日、浦和レッズが勝ったから。浦和レッズが勝利すればたいていの面倒事はどうでもよくなる。浦和レッズの勝利によって推定100万人くらいの人が人生ハッピーに過ごせるのだった。すごい仕事だ。あえて仕事というけれど。
そしてわが「本の雑誌」6月号の定期購読者分が出来上がり、製本所から納品となる。
すぐに封筒に入れて発送するのだけれど、その封入作業のとき、「本の雑誌」を裏返しにして封筒に入れていく。
目に入るのは沢野画伯のイラストではなく、そこに書かれた「定価(本体700円+税)」という文字だ。
なにもかも物価の上がる現在、書店さんから「「本の雑誌」は安すぎるよ」と指摘されることもあるのだけど、果たして770円の価値があるのだろうかと封入しながら自問する。
もちろんそれだけのものを作っているという自負はある。しかし、それが自己満足になってはいけない。
私にとっての浦和レッズの勝利のように、「本の雑誌」が届いた時に、いっときでも読者の人が日常の不満やストレスを忘れられるといいのだけれど。そういうものを私は、作っていきたいと思っている。
5月6日(月)介護・ランニング・埼スタ・トライアスロン
朝、母親を介護施設に送り出し、ランニングで自宅に向かう。強風。しかもほとんど向かい風。15キロが、20キロ、30キロに感じる、が、一歩一歩足を出せば、必ず目的地に着くのがランニングなのだった。
11時前に無事ゴールし、シャワーを浴びて、ビール片手に遅い朝食をとる。気づけば意識が飛んでおり、2時になっていた。自転車にまたがって、埼玉スタジアムへ。
試合開始前、コールリーダーが呼びかけ、南、バックスタンド、メインスタンドの全員が立ちあがり、浦和レッズコールをする。その瞬間にスタジアムが勝たせる雰囲気に変わった。これぞ、サポート。これが「We are REDS」だ。
そのパワーが伝わったのか選手が躍動し、横浜Fマリノスに2対1の勝利。気持ちよくゴールデンウィークを終える。
5月5日(日)あんばいこう『力いっぱい地方出版』
午前中、父親のお墓参り。そののち母親の車椅子を押して散歩。家に帰るとちょうど母親の友達がやってきており、あがっていただいてお茶。実家のお茶の消費が半端ない。
午後は読書。あんばいこうさんの『力いっぱい地方出版』(晶文社)を読む。
なぜ今頃、1993年刊行の本を読んでいるかというと、目黒さんの蔵書整理のときに見つけ、記念にもらってきたのだった。
目黒さんとこの無明舎出版のあんばいさんは遠縁にあたり、その流れで目黒さんが読んだのか、それとも同じ出版社経営の身として読んだのか、もはや本人がいないので聞くことはできないのがとても残念。どこかで紹介していたような気もするけれど、それを探し出すのもまた困難なのだった。
『力いっぱい地方出版』は、秋田の無明舎出版の創立20年を振り返り(当時)、その成り立ちから資金繰りまでを赤裸々に描いたのが本なのだが、これがすこぶる面白いのだ。あちこち線を引いてノートに書き出してしまったほど、現在の私の心境とシンクロするのだった。
例えば
「なかでも最大の要因は、出版をはじめて十年あたりから顕著になってきた、版元の命づなともいうべき出版企画が枯渇しはじめてきたことだった。企画はいろいろと思い浮かぶのだが、そのすべてが新鮮味に欠けると感じられてしまう。なまじ十年のキャリアがあるから、それがどの程度売れるかも、出版前にほぼ想像がつく。」
というマンネリズム。これは私も抱えており、そのたびに「部数」でやる気を左右されるのは絶対おかしいと反省しているのだ。
さらに
「さまざまな駆け引きがあり、ドロドロした人間関係をひきずり、金銭的な面倒も多く、本の内容とはまったく縁のない下世話な部分に神経を磨り減らさざるをえない。それが出版という仕事の知られざる裏側である。」
という部分は、まさしく本作りというものが、ただ本を作るだけでなく、そこに著者とわれわれ出版社の生活がかかっている訳で、その辺りの苦労で、いつも押しつぶされそうになっているのだった。
そんな仕事をどうこなしていくかといえば
「でも、実をいえば、こうした単調な手仕事の類が、ぼくは大好きなのである。新刊目録を折り畳むなどという単純労働がとくに好きで、四、五時間没頭してもまったく飽きない。」
と地味な作業に没頭して気分転換をはかったりするのは、私もまったく一緒だ。
そして辿りつく心境はこうなのだった。
「結局のところ、ぼくは本が大好きなのだ。本に囲まれた生活をつづけることさえできれば、家事をすることも、お金のない生活も、かなりな程度まで我慢できる。」
5月4日(土)ディヴィッド・グラン『絶海』
ディヴィッド・グラン『絶海』(早川書房)読了。
これまで本格探検ノンフィクションの最高傑作といえばダントツで、1914年に南極大陸横断を試みたイギリスのシャクルトン隊を記すアルフレッド・ランシング 『エンデュアランス号漂流』(新潮文庫)だったわけだけれど、『絶海』はそれに並ぶ本格探検ノンフィクションの傑作だった。
時代はシャクルトン隊より遡ること1740年。軍艦5隻を中心としたイギリスの小艦隊が、財宝を積んだスペインのガレオン船を襲うという命を受け、太平洋へ向かった。
しかしそこで待ち受けていたのは「死者の路」とも呼ばれたホーン岬をはじめとする苛烈な自然環境。
現代では考えられない粗末な船と装備で彼らは立ち向かうが......いやはや人間というのはこんな過酷な状況で生き延びられるものなのか......いやたくさん死んでいるのであるけれど......。
さらにその壮絶な環境に置かれたときに人間というものはどうなるのか。そしてその人間の集合体である社会は、帰国後の彼らをどう扱ったのか。
シャクルトン隊とは似ても似つかない、まったくまとまりのない隊ではあるのだが、その分リアルで、出世や嫉妬、そして報告書に振り回される我々の生活と変わらず大変興味深い。
まさか、令和の時代に、こんな本格探検ノンフィクションが読めるとは思いもしなかった。うれしい。
★ ★ ★
朝9時、妻とともに介護施設へ母親を迎えにいく。
先週は横浜から友達がきたりと都合二日で6人もの人が遊びにきたのだけれど、今日はゴールデンウィークのせいもあって誰も来ず。静かに過ごす。
5月3日(金)武蔵小杉駅とメーカブー
介護のない休み。等々力スタジアムへ浦和レッズの応援に出かける。
等々力スタジアムには、武蔵小杉駅から向かうのだけれど、この武蔵小杉駅というのが難所なのだった。
湘南新宿ラインが到着するホームから北改札までフルマラソンのように歩かされるのだ。体感的には、赤羽駅から武蔵小杉駅までの乗車時間とホームから改札までが同じくらいだ。
もはや「シン武蔵小杉駅」と名乗った方がいいのではないかと思うが、それをするなら大手町駅も5駅くらい分裂が必要か。
というわけで試合なんだが、去年に引き続き「メーカブー」に加え、セレモニーに出てきたテツandトモにすっかり戦意を喪失させられ、1対3で負ける。
観戦仲間とため息をついて帰宅。
5月2日(木)予定ない休日
GWで休む。
朝からランニングを10キロ。
ぼんやりとYouTubeを見て、唯一何も予定のない休日を終える。もはやYouTubeはテレビであり、雑誌だ。
5月1日(水)直筆原稿
雨がしとしとと降る。
各取次店さんに「本の雑誌」6月号の部数を確認。
佐久間さんから送っていただいた坪内祐三さんの直筆原稿が届く。活字とは伝わってくるパワーがまったく違い、これをこのまま本にしたい誘惑にかられる。
杉江由次 著作紹介
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- 『サッカーデイズ』
- 小学館文庫
- 2016年2月上旬刊行
- やりたいことはただひとつ。子どもとサッカーがしたい。父と娘の熱くて愛おしい日々を綴るエッセイ、待望の文庫化。
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