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8月30日(金)台風10号

  • 孤独への道は愛で敷き詰められている (単行本 --)
  • 『孤独への道は愛で敷き詰められている (単行本 --)』
    西村 亨
    筑摩書房
    1,760円(税込)
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台風10号の影響で、昨夜から土砂降りの雨。会社に着いたら靴の中もびしょびしょ。

事務の浜田が昨日、今日と家庭の事情でお休みのため、終日電話番。

編集の近藤と取り組んでいた北上次郎『新刊めったくたガイド大大全』のゲラ読みがひとまず終わる。次なる作業の前に、構想中の別冊『落語の雑誌』と別冊『ノンフィクション 本の雑誌』の企画を考える。

雨が止んだので、6時に終業。丸善お茶の水店さんでふらふらと平台を眺めていて胸が躍った、西村亨『孤独への道は愛で敷き詰められている』(筑摩書房)を買って、上野駅まで歩いて帰る。

8月29日(木)焼肉食べ放題

夜、古書現世の向井さんと東京キララ社のKさんと、新宿歌舞伎町の「ホルモン焼肉 縁」に集合する。前回お寿司の食べ放題にいって10貫しか食べられなかった汚名を返上すべく、本日は焼肉食べ放題に挑むのだった。

大好物の肉ならばと思ったのだが、食べ始めて20分もしたらすっかり満腹になってしまい、その後は食べ放題から焼き放題にシフトし、向井さんとKさんのために70分間、肉を焼いて過ごした。

そういえば先日、この「炎の営業日誌」の読者の方が、わざわざ古書現世を訪れたようなのだが、私、向井さんと大変親しくさせていただいているものの、向井さんが「A-Studio」のように私のとっておき素敵エピソードを話せるとは思えないので、ご遠慮なく本の雑誌社にいらしてください。

8月28日(水)妥協癖

営業も編集も相手が驚くくらいのことをしてはじめて「次」があるわけで、それなのになんだか最近「これくらいでいいか」と妥協癖がついている自分に気づき、こんなことじゃいかんとフェアの準備に勤しむ。

結局本というものは、人の思いをのせるものであり、思いのない本は読者に届かないものなのだ。だからありったけの思いを詰め込んで、本を届けなければならない。

夜、南浦和の「初恋屋」にて、浦和レッズサポーター仲間のS君と酒。議題はもちろん今後の浦和レッズがどうなるか。紅ショウガと枝豆の入った手づくりさつま揚げがぷりぷりで美味。

夜、左足の親指の付け根が痛くなる。まさかの痛風発症。浦和レッズのストレスが原因だろう。

8月27日(火)本屋イトマイ

  • 「本屋」は死なない
  • 『「本屋」は死なない』
    石橋 毅史
    新潮社
    3,880円(税込)
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朝、京浜東北線に揺られていると息子からLINEが届く。浦和レッズがヘグモ監督を解任し、昨年指揮をとっていたスコルジャが新監督に就任したという。いやはや......。労働意欲が急減する。

直納に向かおうと神保町の駅に向かうと、『「本屋」は死なない』(新潮社)の石橋毅史さんとばったり。私にとって石橋さんは同年代のライバルというか並走者というか、今のように活発に本屋さんのことが語られる前から、私は「本の雑誌」で、石橋さんは当時編集長をしていた「新文化」を通じて、書店のことを発信し続けていた人だ。石橋さんは私と異なる視点で本屋さんを見つめており、それに私はおおいに発奮されられてきたのだった。というわけでまた本屋さんのことを書いてくださいとお願いして別れる。

東武東上線ときわ台の本屋イトマイさんに直納。喫茶も含めて雰囲気をもった素晴らしい本屋さん。納品後、充実の棚を眺めながら考える。10代の僕が、もしこのお店を訪れたとしたら...。おそらくわからない本だらけだろうけれど、それでもここにある本がわかるようになりたいと通いつめ、背伸びして本を買って、必死にページをめくったことだろう。実際の私は53歳だけれど、本屋イトマイは、いまいちばん憧れの本屋さん。

8月26日(月)介護ボケ

  • オオクワガタに人生を懸けた男たち
  • 『オオクワガタに人生を懸けた男たち』
    野澤 亘伸
    双葉社
    1,980円(税込)
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週末介護を終えて、実家のある春日部から出社。午前中は例によって介護ボケ。

来年1月刊行予定の北上次郎『新刊めったくたガイド大大全』のゲラを読み続ける。

野澤亘伸『オオクワガタに人生を懸けた男たち』(双葉社)を買って帰る。

8月25日(日)号泣する準備

週末介護生活で実家にいると、夕方「つぐちゃん、おかず買ってきたよー」と近所のおばさんがやってきた。ここらで一番美味しい焼き鳥らしく、大きな手羽先が2本入っていた。

午前中は別のおばさんが「冷蔵庫で冷やして食べな」と言って、大きな梨をふたつ持ってきた。

2人とも私が子供の頃から知っているおばさんだ。いやもうおばあさんか。おばあさんたちはこの暑い中、毎週のように様子を見にやってきてくれる。

たぶん私は、母親が死んでも泣かない。しかし葬儀の場で、このおばさんたちにねぎらいの言葉をかけられたら、立っていられないくらい号泣するだろう。

‎8月24日(土)車谷長吉『癲狂院日乗』

  • 癲狂院日乗
  • 『癲狂院日乗』
    車谷 長吉
    新書館
    2,860円(税込)
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車谷長吉『癲狂院日乗』(新書館)読了。

「「新潮」の編集者に「あなたを生かしているのは憎悪だ、恐ろしい」と言われ、雑誌掲載を断られている。文藝春秋には「当社はさわりのないおいしいところだけでけっこうです」と言われ(「直木賞受賞修羅日乗のこと)、「群像」からは「実名で書くのは受け容れられない」と拒絶された。読売新聞からも断られた。」とあとがき「日の目を見るまで」で、詩人であり妻である高橋順子氏が書いている。

平成十年四月十四日から翌年四月十三日までの『赤目四十八瀧心仲未遂』で直木賞を獲った年の日記で、「二十五年経ったいま、ようやく公刊され」たものだ。なかなか刊行されたなかったのは上記の理由であり、ようやく刊行できたのは書かれている人がだいぶ亡くなったからというのもすごいものだ。

直木賞受賞してそのフィーバーが落ち着いたあたりから記される新潮社の編集者との確執と、それにつけいる文藝春秋の編集者の振る舞いにページをめくる手が止まらなくなってしまった。さらに友人だった筑摩書房の編集者から届いた絶縁状など、スリリングというか、ゴシップ的にも読み応えがあって、さらに我を通したはずの車谷長吉氏も吹っ切れることなくいつまでも思い悩んでいて、様々な意味で人間の本質や業というものが曝け出されている。

そうすると読み手である私の中でもひた隠しにしていた怒りや恨みがふつふつと湧き出してきて、自身の業というものを見つめることとなる。

これぞ「私小説」作家の日記だ。

8月23日(金)古本屋さんの喜び

月曜日の続きで、南麻布へスッキリ隊出動。立石書店の岡島さんと約2000冊の本を運び出す。マンションのエントランスに8段の階段があり、激暑の中、昇り降り50回ほどしてレンガに黒いシミをたくさん残す。

お預かりした本を古書会館に運び込むと、ちょうど地下の「ぐろりや会」で出店しているBOOKS青いカバの小国さんと遭遇。小国さんは「Edit-us」というサイトで「本だけ売ってメシが食えるか」という連載をしており、次回が最終回ということで、「新刊書店をやめていく人に古本屋という選択肢もあること伝えたいんですよね」とその最後の回の原稿を練っているところだと話されていた。

私はこのようにスッキリ隊という古本仕事のある一部をさせていただいているのだけれど、やはり新刊と古本の仕事はだいぶ違うように思う。

私自身すでに5年以上こうして買い取りに関わり、また古書現世の向井さんや立石書店の岡島さんから古本屋の仕事を教わる機会があるのだけれど、実はいまだに古本屋の面白さというものの核心がつかめずにいる。

以前も書いた気がするけれど新刊の仕事の喜びといえば、本がたくさん売れることで、それも同じ本がたくさん売れること、すなわち重版が何度もかかったりして部数が伸びることで、自分たちが作った本がそれだけ多くの人に求められていることによる喜びが大きいのだった。数の喜びだ。

きっと新刊書店の書店員さんたちも自身の読み通り、あるいはそれを超えて本が売れることが大きな喜びであると思うのだけれど、古本の場合は、同じ本が何冊も売れることはほとんどないわけで、そうなると何が喜びになるのか、新刊の仕事をしている私にはまだ掴めずにいる。

新刊と古本の最も大きな違いは仕入れ値と売値を自分でつけられることだろう。そうなると例えば100円で仕入れたものが1万円で売れた!というなことがあればそれは商売として大きな喜びなると思うのだけれど、その場合、本来は高値で買い取るべきものを安く仕入れたわけであり、そこに罪悪感が生まれそうで、そうなると喜びとともに苦しみも生まれてしまい、なかなか純粋な喜びならなそうな気がするのだ。

ならばなぜ私がスッキリ隊を続けているかといえば、それはいろんなお宅に伺い、その人ならではの集めた本を眺められるという面白さがあるからなのだった。そうそう人様の本棚を眺められることなどなく、そこには10年、20年あるいはそれ以上の年月をかけて集められた本が並んでおり、大型書店でも出会えないような本が背表紙を向けているのだ。

そのときに生まれる「こんな本があるんだ!」という純粋な喜びは、おそらく新刊書店さんが毎日届く新刊の箱を開けたときのような喜びに似ていて、本好きとしては普遍の喜びだろう。

果たして古本屋さんの喜び(面白さ)とはなんなんだろうか。改めて向井さんにでも聞いてみようと思うのだけれど、本当の意味で、それがわかったら私もそっちに行ってしまいそうなので、わからないほうがいいのかもしれない。

ちなみに私の実感としては、新刊書店をやめて(やめざるえず)図書館で働きだす人というのはここのところ増えているけれど(東京の場合それと同じくらい版元営業になる人も多い)、まだ古本屋さんになる人というのは小国さんが話すように少ない気がする。

なにより一人でも多くの人が新刊書店で働き続けられるために何ができるのか──ということを私が最も考えなければならないことであるのだけれど。

8月22日(木)フェアの準備

夏休みを終えた事務の浜田が出社し、会社に安定感が戻る。もはや本の雑誌社のヘソか。

9月半ばよりジュンク堂書店草津滋賀店さんで展開いただくフェアの出荷準備に勤しむ。

SNSで八重洲ブックセンター京急上大岡店さんで先月展開いただいたフェアを見ての申し出で、最近このようにフェアの連鎖反応の結構ある。SNSのおかげで「どこかで誰かが見ていてくれる」というのが実感できるわけだが、ならば常々手を抜かず、しっかりやらねばならぬと身を引き締めるのであった。

8月21日(水)鈴本演芸場

夕方、上野の鈴本演芸場で高野秀行さんと待ち合わせし、8月下席夜の部を観覧する。昨日、高野さんに落語にハマったことを報告したら、なんと本日寄席にいくというので、ご一緒させていただくことにしたのだ。

高野さんの目当てはトリの林家きく麿さんと三遊亭白鳥さんとのことだそうだが、私は人生初の寄席であり、ついふた月ほど前に春風亭一之輔さんの落語に出会いApple MusicとYouTubeで聴いているだけなので、初めから最後まで知らない人ばかりなのだった。唯一知っていたのはきく麿さんの師匠で特別出演した林家木久扇さんで、この人だけは笑点で見たことがあった。

そんな超初心者の私だけど、一番最初の林家きよ彦さんからトリの林家きく麿さんまで笑いっぱなしだった。途中挟まれるジャグリングや紙切りや奇術といった色物も大変面白く、月一で観覧することを誓った。なにせ鈴本のある上野は通勤路なのだから、通うのは簡単なのだ。

なぜにこんな突然落語に目覚めたのだろうと不思議に思っていると、高野さんの落語鑑賞仲間のひとたちと向かった飲み会で、高野さんがこう言うのだった。

「杉江さん、最近酒の美味さがわかったっていっていたじゃん?」
「はい。酒の味自体が美味いというか、これまでそもそも酒を飲んでいる時間をすごい無駄な時間だと感じていて、飲み会が始まると早く終わらないかなあって時計ばかりみていたのですが、ここのところ酒も飲み会も愛おしく感じるようになって」
「落語も一緒だと思うんだよね」
「なにがですか?」
「がんばっても解決できないことがあるってわかったときに人間おとなになって、それで酒とか落語がさ、楽しくなるんだと思うんだ」

高野さんが言うとおり、私が酒と落語に目覚めたのは父親の死と母親の介護が始まってからで、それはまさしく自分ががんばっても解決しないことだった。自分ではどうすることもできないことに出会ったのは、もしかすると人生で初めてだったかもしれない。

これまで私は強いものに憧れ、困難を薙ぎ倒すヒーローになりたいと願っていたし、いつか自分もそうなれると信じて生きてきた。

しかし、実際に自分の努力ではどうすることできないことに相対したとき、私はそこから逃げるというか、がんばらないというか、戦わないというか、流れに身を任せることにしたのだ。

酒も酒場も落語も寄席もそんな私を優しく受けとめてくれた。寄席は、大人になった私の第三の居場所になるような気がする。

8月20日(火)3時間

1時に吉祥寺の喫茶店で高野秀行さんと待ち合わせし、新刊の打ち合わせ。タイトルをどうするかというのが主題なのだけれど、最近読んだ本の話やトルコ取材の様子などを伺っていたら、お店を出た時に4時になっていたのだった。なんと3時間おしゃべりしていたとは。

夜は、Bリーグ好きの書店員さんと出版社の人たちを集めての飲み会を神保町の「サンコウエンチャイナ」で開催。なぜにJリーグ(浦和レッズ)好きの私が参加しているかというと、Bリーグ好きの書店員さんの橋渡しをしたからなのだった。

8月19日(月)ゲリラ豪雨

朝、8時半、母親を介護施設に車に乗せ、週末介護を無事終える。本日は立石書店の岡島さんとスッキリ隊出動のため、武里から麻布十番に向かうのだった。

11時半より作業スタート。前回整理しきれなかった倉庫ふたつの約千冊の本を縛る。

午後、会社に戻り、スッキリ隊からサラリーマンに変身し、夕方までデスクワーク。

6時半に会社出て、帰路につくと、なんと東浦和は土砂降りの雨と雷。バスを待つのも面倒で歩き出すも50メートルも歩かずに靴はびしょびしょ、ズボンも足に張り付く。しかも家まで半分も歩いていないところで、バスに抜かれ、そのバスはなぜかガラガラなのだった。

無事帰宅後もしばらく雨やまず。

8月18日(日)北上次郎の勘

実家で介護しながら、北上次郎さんの『新刊めったくたガイド大大全』(2025年1月刊行予定)のゲラを読んでるのだが(1200ページあるから読んでも読んでも終わらない)、辻村深月『凍りのくじら』(講談社ノベルス)を評した2006年1月号でこう書いているのだった。

「厳しく書けば、まだ未完成だ。しかしここには原石がある。数年後を楽しみに待ちたい。」

辻村深月以外にも、そもそも北方謙三や大沢在昌や意外なところでは島田荘司やらほとんどのエンタメ作家をデビューから見守っており、こうした勘はあちこちで冴え渡っているのだった。池井戸潤の『オレたちバブル入行組』では、「テレビドラマの原作にぴったりなんじゃないでしょうか」とまで書いており、思わず鳥肌が立つ。

それなのに、思い出してみれば北上さんから「ほら、おれの言ったとおりだろ?」みたいな自慢は一切聞いたことがない。

この書評集は、まさしく日本のエンタメ小説の歴史の書になるだろう。

8月17日(土)疎外感

介護施設に母親を迎えにいき、週末実家介護32週目。

トイレの付き添いやら爪を切るのやらズボンを着せるのやら入れ歯を洗うのやらはすっかり慣れてしまったのだけれど、どこにも出かけず母親と2人でいると、社会から取り残されたような疎外感に苛まれる。

そんな時、面白本の情報を伝えてくれた精文館書店中島新町店の久田さんや私が最推ししている『バリ山行』の書評掲載を教えてくれる「一冊!取引所」の渡辺さんのメッセージに救われる。

先方は何の気なしに送っているであろうが、私はそのやりとりのおかげで、かなり心が軽くなったのである。感謝。

8月16日(金)台風7号

関東に接近すると予想された台風7号により、東海道新幹線は終日運休となり、東西線なども計画運休が実施されたりしていたのだけれど、武蔵野線は平常運転。さすが最近は「風に強い武蔵野線」を売りにしているだけのことはある。

そのおかげで通常通りに出勤。浜田もすでに出勤しており、本日の出勤者はわれら営業部2人のみ。経理の小林は夏休みで、編集の松村と近藤は台風を見越して自宅作業なのだった。

営業もわざわざ来なくてもいいだろうと思われるかもしれないが、書店が開いてるなら会社に行くのが営業の勤めである。

時折雨がぱらつく中デスクワークをしていると、先日東京新聞で紹介いただいた坪内祐三『日記から』の客注の電話がポツポツ鳴る。

もしこの電話を受けられなかったら、書店さんは目の前にお客様がいる(として)にも関わらず、搬入日はもちろんのこと在庫も不確定で、翌月曜日まで宙ぶらりんの状態になってしまうのだ。

コロナ禍の時も思ったけれど、営業にとって一本の客注電話をとることはなによりも大切なことなのだ。

というわけで2時まで電話当番をして、あとは浜田に任せ帰宅。結局、台風7号はだいぶ東に逸れ、雨風ともにたいしたことなく武蔵野線も止まらずにすんだ。息子が新潟に帰る。

8月15日(木)中村計『落語の人、春風亭一之輔』

  • 落語の人、春風亭一之輔 (集英社新書)
  • 『落語の人、春風亭一之輔 (集英社新書)』
    中村 計
    集英社
    1,100円(税込)
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これまでたくさんの人に落語を薦められ、その度にカセットやらCDやらYouTubeやらで聴いてきたのだけれどいまいちハマらず、自分は落語に縁のない人間なんだとあきらめていた。

しかし、この春、実家のベッドで眠れぬ夜を過ごしていたとき、なにか気晴らしになるものはないかとApple Musicで「落語」と検索し、何気なく春風亭一之輔の「天狗裁き」を聴いた瞬間に落語に目覚めたのだった。これまでなぜにこの面白さに気づかなかったのかと思うほど目を見開かさせられ、笑い転げ、それから寝る前にはYouTubeで春風亭一之輔の落語を聴くのが日課となった。

そんなところに中村計『落語の人、春風亭一之輔』(集英社新書)が出たのだからすぐさま購入した。なにせ春風亭一之輔だけでなく、著者が中村計なのだ。中村計といえば、『甲子園が割れた日』『勝ち過ぎた監督』『笑い神』『クワバカ』の中村計だ。ノンフィクションの書き手として最も信頼している人のひとりなのだ。

なによりまずこの「長い言い訳」と副題のついた「はじめに」が面白い。著者の中村計さんと担当編集者の渡辺さんが、大ファンである一之輔師匠に近づき、本を出すまでの、いってしまえば「片思い」の様子がたまらなく面白いのだ。これはまるで落語の「まくら」のよう。

さらにこの本は、春風亭一之輔の人物伝であり落語論でありながら、落語とはなんなのか? 落語家とはどういう人なのか? 寄席とはどういうところなのか? どんな噺があって、どんな落語家がいるのか? 私のような超初心者にも落語の魅力がとてもよく伝わってくる構成になっている。

落語とはきっちり覚えて語るだけのものなのかと思っていたら、その場で相対するお客さんの反応を見て、間を詰めたり、声を大きくしたり、時にはくすぐりを入れたりするものであり、そしていかに習い、習ったものをどう表現していくのか、そのあたりのこだわりも非常に面白く、初めて芸人の「芸」が、技術のことであることとわかったのだった。

そうなるとなんだかひとりひとりの落語家がサッカー選手のようでもあり、一門や寄席がクラブのようでもあり、私の愛するサッカーとの共通点が見えてきて、もしかするとこれから私は、スタジアムと寄席に通う日々が始まるかもしれないと思った。

ちなみに著者は、「はじめに」でこう書いている。

「凹んだ卓球の球を沸騰した湯に入れるともとの球形に戻る。落語も似たようなところがあった。落語を聴くと、日常生活で気づかぬうちにダメージを負っていた精神の凹みが元通りになる感覚があった。」

この年で初めて落語が好きになった私も、気づかぬうちに母親の介護や生活の変化でダメージを負っていたのかもしれない。

何はともあれ春風亭一之輔"ちゃん"の落語を聴きに寄席に行こう。

8月14日(水)姉弟

夕方会社を出ると自然と駆け足になっていた。

本来は夏休みのない息子なのだけど、遠征の合間に休みが取れたということで、今日から二泊三日で帰郷することになっていたのだ。先月帰ってきた時は就活のインターンで、朝7時には家を出て、帰ってくるのは夜の8時を過ぎていた。

玄関を開けると大きなスニーカーがあり、その靴を揃えていた妻が口元を押さえながら話し出す。

「帰ってきたらさ、美園のイオンに洋服を買いに行きたいって言い出して。そうしたらお姉ちゃんもイオンに行きたい言って、2人でバス乗ってイオン行ってきたのよ」

23歳の姉と19歳の弟が連れ立ってバスに乗り、イオンに行く。もし願いが叶うなら私はその姿をこっそり見たかった。

服代はお姉ちゃんが払ったらしい。

8月13日(火)迎え火

お盆の迎え火とお墓参りで妻、娘とともに実家に赴く。いつもは閑散としているお寺の駐車場も満車で、参道には百日紅のピンクの花が咲いている。お線香をあげて、しばし父のことを想う。

昼食に越谷の「珍来」に車を走らせるもなんとお休み。家族一同ショックを受けつつ、娘のリクエストで自宅近くのタイ料理レストランに向かう。

家族で外食するのは一年ぶりだった。これからこういう時間を増やそうと思う。

8月12日(月)介護宿坊

土曜、日曜と半身付随の母親と実家で過ごし、月曜日の朝、ショートステイに行く母親を送り出すという生活を始めて半年が過ぎた。

今のところ母親は左半身が動かないとはいえ、夜8時に寝てしまえばトイレに呼ばれることもなく朝までまったく起きないので、介護と呼べるほど手はかからない。

それに合わせて私も早寝早起き、母親の残したものを食べるという少食。さらに実家にはWi-Fiがないので、スマホを極端に使わなくなる。そして母親のところにやってくる80歳過ぎのおばあさんたちの人生観を聞き、亡くなった父親のことを考え、生と死を見つめる。なんだか宿坊で暮らしているような気分だ。

朝、母親を見送り、祝日なので会社ではなく、自宅に帰る。

8月11日(日)金子玲介『死んだ石井の大群』

  • 死んだ石井の大群
  • 『死んだ石井の大群』
    金子 玲介
    講談社
    1,870円(税込)
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介護の合間に、金子玲介『死んだ石井の大群』(講談社)読了。

山田がスピーカーになった前作以上に、333人の石井がデスゲームを繰り広げるという特殊すぎる設定で、そういう小説が苦手な私が読了できるのだろうかと不安を抱えて読み出したのだが、そんな不安は杞憂だった。

金子玲介はそのような不思議な設定を違和感なく読ませる魔法を持っている。そしてまだ2作しかないのだけれど金子玲介には金子玲介のテーマがしっかりある。

今作も『死んだ山田と教室』同様にある瞬間物語が反転し、強烈なメッセージを訴えてくるのだった。そのメッセージは、やはりサンボマスターであり、私の胸ぐらを掴み、感動の極みにつれていく。

次作『死んだ木村を上演』が、この冬にでるらしい。楽しみだ。

8月10日(土)教育費

昨日、晩御飯を食べようと思ったら、妻が缶ビールを出してきた。酒を飲まない我が家ではほとんどそんなことはないわけで、どうしたのかと尋ねたら、新潟で専門学校に通う息子の寮費を振り込み、ついに我が家の教育費の支払いが終わったというのだった。

子供2人を幼稚園から大学と専門学校まで通わせていったいいくらかかったんだろうか...。

私立の幼稚園2年、公立の小学校、公立の中学、公立の高校、私立の大学と地方の専門学校。小学校までは習い事、中学は塾代に、高校は交通費と部活等の出費、そして一番恐ろしいのが最後に待っていて、それは大学だった。受験料も含めてとんでもないない金額で、定期預金を取り崩して支払うこととなった。

これでやっと人生肩の荷がおりて、今までまったくできなかった外食や旅行に...と考えていたけれど、現実は介護の口がぽっかり開いて待っていて、今度は金だけでなく時間と精神をもっていかれるのだった。今日も母親を介護施設に迎えにいくのだ。

おそらくきっと介護が終わったら、今度は自分が病気になっていたりするのだろう。

まあとにかく妻も私もがんばった。乾杯。

そして我が家がこうして暮らしていけたのは、読者のみなさんのおかげなのだった。ありがとうございました。

8月9日(金)本を買うまで

  • バリ山行
  • 『バリ山行』
    松永K三蔵
    講談社
    1,760円(税込)
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昨夜読み終え、一晩経ってもいまだ作品世界の中を彷徨っているような大傑作の松永K三蔵『バリ山行』(講談社)を、私が購入するまでの流れを思い出してみた。

1、芥川賞候補になりその存在を知るが、著者名とタイトルからは特に興味をもつことはなかった。

2、芥川賞を受賞する。私はあまり芥川賞受賞作品と縁がないので、ああそうなのかと思った程度。

3、その受賞会見が記事になり、ペンネームの由来を「Kはミドルネームなんですけど、私の家族のファーストネームにKが多かったので、みんなからもらってつけております」と語っており、なんかこの著者面白いなと思った。

4、芥川賞受賞記念エッセーが朝日新聞に掲載され、それにとても親近感が湧き、『バリ山行』が読みたくなる。

5、書店店頭に並んだ『バリ山行』の装丁がかっこよく、手元に置いておきたくなる。装丁家を確認すると川名潤さんでさすがと思う。

6、その帯に「純文山岳小説」と書かれていてやはり読みたくなる。

7、親交のある山と渓谷社の編集者・佐々木惣さんが、Xで「『バリ山行』読了。まさに現代日本の登山を活写した、見事な作品。人生と登山をかさねることは多々あるけど、ここまでリアリティあふれ、なおかつ人間の強さも弱さもさらけだし、気高き自由をうたいあげた作品は寡聞にして知らず。そして鮮やかなラスト3行。しばらく席を立てなかった。」とポストしており、「読もうかなと思う本」から「読んで間違いない本」に格上げされる。

8、小野寺史宜の新刊『モノ』(実業之日本社)が出ていることを「高坂浩一の新刊番台」で知り、書店に買いに行ったところ、もう1、2冊本を買いたい気分になる。そこでこれまでずっと買うか悩んでいた『バリ山行』を改めて手に取る。それでもまだ「芥川賞だから俺には難しい? また積読になっちゃう?」と逡巡し、最初の10ページくらいを読んで、「よしこれなら読める!」と決断してレジに向かった。

というわけで、たった1760円の本にも関わらず、しかも普通の人の何倍も本を買う私ですら、見知らぬ著者の本を一冊買うのにこれほど悩んでいるのだった。

さらに深く考えてみるとお金のことよりも買ったのに読めなかった&つまらなかった(自分の勘が外れた)ときに生まれる後悔を気にしているのだ。

その代わり、『バリ山行』のように「やっぱり最高に面白かったぜ!」となったときの自己肯定感たるや、1760円どころで買える充足ではなく、それこそプライスレスな幸福なのである。

私の読書はこの本を買うか?という逡巡からすでに始まっているといえるだろう。

そしてこうして本を買うまでのことを分解してみると

1、情報
2、評価
3、来店
4、実物

とさまざまなきっかけが必要なのだった。

8月8日(木)Title

荻窪のTitleさんを訪問する。いついっても落ち着いた雰囲気に包まれる。仕事を忘れ、いや仕事だけでなく世間やよしなしごとを忘れ、自分と本だけがそこにあるような気がするのだった。

店を出たあと、辻山さんが2016年にこのお店を作ってくれたことに感謝する気持ちがふつふつと湧いてくる。

8月7日(水)中止

夜、ぽつぽつと雨降り始めた中、自転車で埼スタに向かう。埼スタに行くのは6月1日のヴィッセル神戸戦以来でなんと2ヶ月ぶりなのだった。1995年からシーズンチケットを購入して以来、こんなにスタジアムに来られない時を過ごしたことはなかった。それもこれも母親の介護が理由であるので仕方ないのだが、本日は待望の平日開催で、思う存分浦和レッズを後押しするつもりだった。

ところが埼スタに着いた頃から雨脚が強くなり、稲光があちこちで地面に突き刺している。先に来ていた観戦仲間のHさんは雷鳴轟く度に尻を浮かし、肩を抱えて怯えている。これはもしやキックオフ時間の変更があるかもと話しつつ、興梠選手への熱い思いを語り合っていた。

そんなときである。電車で埼スタに向かっている観戦仲間から、「試合中止?」と謎のLINEが届くではないか。中止ってそんなわけないだろうとスマホで浦和レッズのオフィシャルを確認すると、そこにはまさしく試合中止を知らせるポストがされているのだった。

笑うしかなかった。

まさかの2ヶ月ぶりの試合観戦が中止になるとは......。試合中止なんてわが30年以上に及ぶ観戦史上一度もなかったのに......。それが今日という日に起こるとは......。

雷なら仕方ないけれど、このあと浦和レッズは10月まで平日開催も日中開催もないのだった。私はいったいいつになったら応援できるのだろうか。

Hさんと笑いながらスタジアムを後にし、私はカミナリ鳴るなか自転車で帰宅した。途中、中止を知らずに埼玉スタジアムに向かう同志を止めて、中止を知らせて歩いた

ずぶ濡れになって玄関をあけると家族は爆笑で迎えてくれた。

8月6日(火)河出書房新社

  • 本の雑誌495号2024年9月号
  • 『本の雑誌495号2024年9月号』
    本の雑誌編集部
    本の雑誌社
    990円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS

「本の雑誌」9月号が納品となり、助っ人アルバイトの鈴木くんとともにツメツメに勤しむ。

3時に無事終わり、その後、特集でお世話になった河出書房新社にお礼方々お届けにあがる。

そのまま旧知のMさんとSさんと江戸川橋の「大衆酒場いずみ」で酒。本のことを熱く語り合う二人の姿を見て、河出書房新社のひとたちが羨ましくなる。

8月5日(月)激暑

実家の春日部から出社。介護ボケでぼんやりする。

そして暑い。暑すぎる。

もはや出社しているだけで奇跡のようだ。

8月4日(日)スズキナオ『家から5分の旅館に泊まる』

  • 家から5分の旅館に泊まる (スタンド・ブックス)
  • 『家から5分の旅館に泊まる (スタンド・ブックス)』
    スズキナオ
    太田出版
    2,090円(税込)
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介護の合間にスズキナオ『家から5分の旅館に泊まる』(太田出版)読了。著者が目指したように「疲れた自分が手に取れるような」旅エッセイだ。

スズキナオは、感情が激しく揺れ動く瞬間ではなく、そのタイトルになっている「家から5分の旅館」のような、まったく特別でない、それでいてそっと心がないだ瞬間を丁寧に書き起こしてくれる。

たとえば旅先で入った銭湯の番台でかけられた言葉や温泉たまごを作っている時にリハビリがてらに歩くおばあさんとの会話などだ。

その会話は挨拶程度のなんでもないやりとりである。決して励ましの言葉なんかではないのだが、人というのはそんな会話によって、心が軽くなる瞬間があるものだ。

何年か前、仕事か家族のことで頭と心がこんがらがってしまい、もうどうだっていいやと投げやりになっていた時が私にあった。もう死んだっていいやくらいに思いながら、通勤に向かう道すがらゴミ捨て場に燃えるゴミを捨てにいった。

そこで娘と同級生の孫をもつ、20年来の顔見知りのおばあさんと顔を合わせ、挨拶をしたのだった。たがいの子の近況を数分話したのだけれど、「いってらっしゃい」と声かけられた後の私の心はものすごく軽くなっていた。

あれは何だったのだろうか。私と仕事、私と家族以外の別の世界があるんだとまるで窓から外を眺め気づいたような感じだった。日常と非日常とまではいかないけれど、この世界ではないどこかという意味では「旅」と言ってしまっていいような感じで、この『家から5分の旅館に泊まる』にはそうした旅エッセイがたくさん詰まっているのだった。

今過ぎているこのどうでもない時間の中にもいつか大切に思う瞬間あるのだとスズキナオのエッセイは教えてくれる。本当に素晴らしいエッセイであり、旅行記だと思う。

スズキナオは令和のエッセイの名手だ。

8月3日(土) 小野寺史宜『モノ』

  • モノ
  • 『モノ』
    小野寺 史宜
    実業之日本社
    1,870円(税込)
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介護の合間に、小野寺史宜『モノ』(実業之日本社)読了。

浜松町から羽田空港を結ぶ東京モノレールを舞台に、総務部、運転手、駅員、作業員の人生の、小野寺史宜ならではの、一歩、ではなく半歩踏み出す物語。決して大きなストーリーがあるわけではなく、登場人物のそれまでの人生を丁寧に描いていく。それは私やあなたと変わらない人生だ。

小野寺史宜はそれをずっと書き続けている。きっとそこに「ドラマ」があると思っているのだ。そこにこそ「ドラマ」があると信じているのだ。そう、NHKの「ドキュメント72時間」のように。

『モノ』は、仕事小説であり、就活小説であり、恋愛小説でもある。要するに人間が暮らしている小説だ。

何よりも東京モノレールに乗りたくなる。めっちゃ乗りたくなって困る。

8月2日(金)所変われば

午後、猛烈な暑さの中、春日のあおい書店さんを訪問する。こちらには南柏のオークスブックセンターにいらしたTさんが異動となっているのだった。所変われば品変わるでないけれど、売り場が違えば売れ方も変わるわけで、その違いの話しを伺うのがとても勉強になる。

それにしても暑い。

8月1日(木)天下を取る

営業を終え夕方会社に戻ると、早川書房のYさんが成生隆倫さんを引き連れてやってきた。成生さんは新宿駅の書店員さんで、今年の本屋大賞で金髪の勇姿が中継配信に映り、「ホストの書店員さん?」と話題になっていたのだった。

前日売り場を覗くと、成生さんはご不在だったが、そこかしこに推しコメントを書いたPOPが立てられて、おすすめ本が展開されていた。

缶ビールを飲みながら、いろいろと話す。駅中書店といえば、かつて上野駅で数々の本をベストセラー仕立て上げた上村さんや長谷川さんという書店員さんたちがいたことを老婆心でお伝えすると、31歳の成生さんは「僕も天下を取りたいです」と真顔で答えるのだった。

あまりに露わにされる野心に思わず笑ってしまいそうになったが、よくよく考えてみると私も成生さんとまったく同じ歳のときに、「出版業界の坂本龍馬になる!」と息巻いて、本屋大賞創設に力を傾けたのだった。

そして目黒さんが言っていた言葉を思い出した。

「若いときは生意気なほうがいい」

7月31日(水)英検

今週いっぱいインターンで新潟から帰郷している息子。早朝より武蔵野線に揺られインターン先に通っているのだが、帰宅時に舞浜から乗ってきた異国の人に話しかけられたという。

息子はサッカークラブ(学校)のユニフォームで通勤しており、その異国の人はそのユニフォームが気になるらしく、「どこのチームなのか?」「君は選手なのか?」と聞かれたそう。

そのユニフォームは新潟にあるサッカーの学校であること、自分は選手でなくマネージャーだと伝えると、世界中を旅していろんなクラブのユニフォームを集めていると話す彼に、カバンに入れていた着替え用のユニフォームをプレゼントしたという。

たいへん素敵なエピソードだが、息子がそんなに英語で会話できるとは思えず、疑いの目を向けると

「は? 俺、英検三級だから。舐めんなよ」

と唾を飛ばしてきたのだった。

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