昨夜読み終え、一晩経ってもいまだ作品世界の中を彷徨っているような大傑作の松永K三蔵『バリ山行』(講談社)を、私が購入するまでの流れを思い出してみた。
1、芥川賞候補になりその存在を知るが、著者名とタイトルからは特に興味をもつことはなかった。
2、芥川賞を受賞する。私はあまり芥川賞受賞作品と縁がないので、ああそうなのかと思った程度。
3、その受賞会見が記事になり、ペンネームの由来を「Kはミドルネームなんですけど、私の家族のファーストネームにKが多かったので、みんなからもらってつけております」と語っており、なんかこの著者面白いなと思った。
4、芥川賞受賞記念エッセーが朝日新聞に掲載され、それにとても親近感が湧き、『バリ山行』が読みたくなる。
5、書店店頭に並んだ『バリ山行』の装丁がかっこよく、手元に置いておきたくなる。装丁家を確認すると川名潤さんでさすがと思う。
6、その帯に「純文山岳小説」と書かれていてやはり読みたくなる。
7、親交のある山と渓谷社の編集者・佐々木惣さんが、Xで「『バリ山行』読了。まさに現代日本の登山を活写した、見事な作品。人生と登山をかさねることは多々あるけど、ここまでリアリティあふれ、なおかつ人間の強さも弱さもさらけだし、気高き自由をうたいあげた作品は寡聞にして知らず。そして鮮やかなラスト3行。しばらく席を立てなかった。」とポストしており、「読もうかなと思う本」から「読んで間違いない本」に格上げされる。
8、小野寺史宜の新刊『モノ』(実業之日本社)が出ていることを「高坂浩一の新刊番台」で知り、書店に買いに行ったところ、もう1、2冊本を買いたい気分になる。そこでこれまでずっと買うか悩んでいた『バリ山行』を改めて手に取る。それでもまだ「芥川賞だから俺には難しい? また積読になっちゃう?」と逡巡し、最初の10ページくらいを読んで、「よしこれなら読める!」と決断してレジに向かった。
というわけで、たった1760円の本にも関わらず、しかも普通の人の何倍も本を買う私ですら、見知らぬ著者の本を一冊買うのにこれほど悩んでいるのだった。
さらに深く考えてみるとお金のことよりも買ったのに読めなかった&つまらなかった(自分の勘が外れた)ときに生まれる後悔を気にしているのだ。
その代わり、『バリ山行』のように「やっぱり最高に面白かったぜ!」となったときの自己肯定感たるや、1760円どころで買える充足ではなく、それこそプライスレスな幸福なのである。
私の読書はこの本を買うか?という逡巡からすでに始まっているといえるだろう。
そしてこうして本を買うまでのことを分解してみると
1、情報
2、評価
3、来店
4、実物
とさまざまなきっかけが必要なのだった。