3月4日(火)遠田潤子『ミナミの春』
遠田潤子『ミナミの春』(文藝春秋)読了。
「人の「あたたかさ」を照らす群像劇」とか「痛みも後悔も乗り越えて、いつかみんなできっと笑える」と帯にあり、遠田潤子もそっちの一般小説にコロんでしまったのかと不安を覚えつつ読み始めたのだ。
しかし遠田潤子は、やはり遠田潤子だった。
坂本冬美がロックを歌おうと、八代亜紀がジャズを歌おうと、やっぱり坂本冬美であり、八代亜紀であるように、遠田潤子が「家族小説」を書いてもやっぱり遠田潤子なのだ。
息苦しくなる不穏な空気があちこちに漂っており、底知れぬ苦しみが登場人物に襲いかかるのではとドキドキしながら読み進んだ。
ところが今作で襲いかかるのは不幸ではなく幸福で、こういう遠田潤子を(も)読みたかった!と号泣しながら読み終えたのだった。
いろいろと魅力あふれているので書ききれないけれど、大阪を舞台にした(主に漫才師)6篇で構成された連作短編ながら、その一篇一篇がまるで長編のような読み応えだ。
短編の中にも遠田潤子ならではのジェットコースターなストーリーが織り込まれ、さらに全編通して感動のうねりがやってくる。
それとともに一篇一篇にことわざというか格言というか人生の支えになるような言葉が記されており、読んでるこちらもその言葉を大切に今後の人生を歩いていきたくなるのだ。
いやーシン遠田潤子あっぱれ! この進化、北上次郎さんにも驚いて欲しかった。
なんで北上さんは本が読めないところに行っちゃったんだろうか。二年の月日が経ち、より不在の穴が大きく感じている。