3月28日(土)優しさ
朝、母親を施設に迎えに行き、実家へ。結局、3日ほど考えて、母親のサービス付き高齢者向け住宅への入居は取りやめることにした。やはり一人では身の回りのこともできないし、きっと転んで大惨事となるだろう。もうしばらく週末実家介護を継続することにした。
そのことをケアマネジャーに報告すると、罪悪感を持たずに特養などに入所することも悪くないと薦められ、そしてそうすることによってお母さんにもっと優しくなれますと返事が届いた。
思わずそこでLINEのスクロールが止まる。「もっと優しくなれます」とはどういうことだろうか。私が母親に優しくないということだろうか。それとも一般論だろうか。
もしかすると私と母親の会話が、まるで毒蝮三太夫のように毒舌だからそう感じられているのかもしれない。しかし、たしかに私は本当に優しくないのかもしれない。
私は母親を冥土の土産に旅行に連れていってあげようなんてつゆとも思わない。美味しいものを食べさせようと外食に連れ出すわけでもない。正直に申せば、一日でも長生きしてほしいなんて一切考えていない。
それはなぜか? もう充分だろうと思っているからだ。母親はこれまでたくさん旅行もしたし、外食もした。そして86年生きてきたから思い残すこともないだろう。
いやそれだけではない。私はすでに充分親孝行をしていると思うのだ。旅行にも連れていったし、相撲も枡席で身体を寄せ合い観戦した。埼スタには二十年以上連れていき、一緒に浦和レッズを応援してきたのだ。いい年した息子がそれだけの頻度で親と一緒にいることはそうそうないだろう。
介護をはじめて2年以上になるが、その週末ごとに私は母親の車椅子を押して、最低でも1時間は散歩している。しかしこの間、同様に車椅子を押して散歩している人などほとんど見たことがない。見たとしてもそれはジャージを着た介護施設の人だ。
私もジャージを着ているのでもしかしたら介護施設の人に思われているかもしれないが、息子が母親(もしくは父親)の車椅子を押している姿なんて一度も目撃していない。
これ以上優しくなれと言われても私には無理だ。
たぶん優しさは目に見えないものなのだ。





