第1回 驚異の「ムー脳補完計画」SFを発見した!

  • スキャナーに生きがいはない (人類補完機構全短篇1)
  • 『スキャナーに生きがいはない (人類補完機構全短篇1)』
    コードウェイナー・スミス,伊藤典夫,浅倉久志
    早川書房
    1,320円(税込)
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 SFを読むようになってよかったことの一つに、SF的感性とムー脳を比較する能力を獲得できたことが挙げられる。おそらく、ほとんどの人が獲得したいと思わない能力だとは思うが、私個人的にはたいへん面白い。

 例えば、「エヴァンゲリオン」。昨年、テレビシリーズ「新世紀エヴァンゲリオン」を全部見直し、つい最近は新劇場版「ヱヴァンゲリヲン」四部作を観たが、どちらも「SFよりはムー脳の濃度高し」と(誰にも頼まれないのに)判定を下した。

 エヴァにおいてはSFとムー脳を見極める最大のキーワードは「人類補完計画」である。SF幼年期の今、これがコードウェイナー・スミス著〈人類補完機構〉シリーズ(伊藤典夫、浅倉久志訳、ハヤカワ文庫)に由来することは推測できる。『スキャナーに生きがいはない 人類補完機構全短篇1』(ハヤカワ文庫)収録の大野万紀氏の解説によれば、この「人類補完機構」とは「一度滅びかけた人類が、二度と滅ぶことのないように組織された、非情で厳格な支配組織」だとのことだ。

 かたや、エヴァの「人類補完計画」は呼称こそ似ているが内容は似て非なるもの。はっきりとはわからないが、どうやら「不完全な人類を完全な状態へ進化させる極秘計画」らしく、もろに陰謀論である。おわかりだろうか、このちがいが。

 ディストピアの非情な世界観はSFファンには受けても、甘い夢を追いがちなムー脳には響かない。むしろ、主人公(=自分)の動き一つで人類が生き延びたり滅んだりするという都合のよい作品の方がずっとムー脳向き─と両者を比較できる明晰な頭脳をもつ私は判断したのである。

 さて、この辺で本題に入ろう。前からムー的なSFに出会わないと嘆いていた。唯一ムー的だったのは光瀬龍著『百億の昼と千億の夜』ぐらいだ。でも今回、山本弘著『神は沈黙せず』(角川文庫)を二十年ぶりに読んで驚愕したのである。たしか「人類は神か異星人にプログラミングで作られた人工物(あるいは仮想現実)?」というようなメタ世界もので、夢中で読んだ記憶があるが、例によって詳しいことは一切憶えていない(本書は二〇〇三年刊行で「古典」では全然ないが、「SF本の雑誌」でベスト100入りしているので良しとする)。

 なんと、上下巻合わせて八百ページ越えの大著を大部分がムーネタで埋め尽くされていた。UFO、超能力、占星術、予言、臨死体験、ポルターガイスト......。

 しかも、主人公の女性と主要登場人物である超常現象研究家の人物がそういった超常現象の報告例を片っ端から科学的に論破していく。ストーリーが遅々として進まないことはSF小説では珍しくないが、それは世界観の描写に時間がかかるからで、ムー脳批判で進まないなんて初めてだ。ただし、このムー脳批判部分がめっちゃ面白い。特にアメリカ・ネバダ州の砂漠の地下にマンハッタン島と同じくらい巨大な極秘UFO基地があるという説に対して「誰がゴミを回収するんだろう」と疑問を呈した人の話には笑った。

 読んでいくうちにやっと思い出した。著者の山本さんはトンデモ本を批判すると学会の会長だったんだ! しかし不思議なのはその情熱である。ムーネタが好きじゃないのなら、ここまで調べるだろうか。ネットで山本さんの略歴を見て驚いた。と学会の人だとばかり思っていたら、筒井兄弟が主宰していた「ヌル」にも参加していたことのある、バリバリのSF者だというのだ。もとはライトノベルでSFを書いていたのだが、その後「と学会」で一気に知名度があがったあとで、今度は本格SFに参戦したという。

 かつてムー脳の教祖として私が崇めていた南山宏氏がSFマガジンの元編集長にしてハヤカワSF文庫の創設者だと知ってひっくり返ったが、またしてもムー脳とSFの交錯。

 さらに下巻を読み進めていくと意外な展開になる。大半の超常現象を否定していながら、主人公たち(=著者)は「ハイ・ストレンジネス」という現象にだけ深い関心を寄せる。ハイ・ストレンジネスとは意訳すれば「めっちゃヘン」。本書で紹介されているのは京都の山の中で野武士(!)の一団を目撃した人の話とかインドで発見された新品同様の十七世紀の帆船などの事例だ。UFOや幽霊なら話題にもなるが、そんな異常にへんなものを見たと言っても誰も感心してくれないし、陰謀論的な意味もない。無意味であるがゆえに本当に超常現象かもしれないと考えるのだ。その辺りから小説の本筋も大きく動き出す。山本さんはSF者でありながら、やはり心の底にはムー脳を飼っていた......。

 それにしてもハイ・ストレンジネスか。実は私もそうなのだ。UFOや超能力には興味を失って久しいが、めっちゃヘン現象に出会った人から直接聞いた目撃談は今でも忘れられない。例えば、絶対に謎の動物なんていそうもないような中国の田舎で「野人」を間近で目撃した夫婦の話。あるいは奄美大島で目撃される妖怪ケンモン。中にはケンモンだけでなく、未知との遭遇に出てくるものとそっくりのUFOに出会ったという人もいた。しかもそういう人たちはその体験談をあまり人に話さないし、特に意味があることとも思っていなかった。

 めっちゃヘン現象はムー脳人間が最後に見る希望なのだろうか?

『神は沈黙せず』は仮想現実を扱った極めて現代的な小説だが、私からすれば片っ端からムー脳を滅ぼし、でも最後に残った一握りのムー脳から新しいSF世界を切り拓こうという意欲作だった。名づけて「ムー脳補完計画」。不完全なムー脳が完全なムー脳になっていいことがあるかどうかは本書を読んで確認されたい。