第2回 『失われた世界』はなぜ迷走(ロスト)しているのか?

  • 失われた世界【新訳版】 (創元SF文庫)
  • 『失われた世界【新訳版】 (創元SF文庫)』
    アーサー・コナン・ドイル,中原 尚哉
    東京創元社
    968円(税込)
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 SF幼年期宇宙の旅、第3作目は超古典にして「不朽の名作」と謳われる、アーサー・コナン・ドイル著『失われた世界』(中原尚哉訳、創元SF文庫)である。

 南米アマゾンの奥地に恐竜が生き残っているという物語を描き、SFの世界に「ロストワールドもの」というサブジャンルを打ち立てた。まだSF幼年期の私は正直、具体的にどんな作品がロストワールドものに含まれるのかわかっていないが、有名なところでは映画の「キングコング」がそうらしいし、なによりマイケル・クライトン原作、スティーヴン・スピルバーグ監督の「ジュラシック・パーク」が直系の子孫だろう。

 昨年万城目学氏は『ひとこぶラクダ層ぜっと』という、イラクで自衛隊員が謎の空間に迷い込み、恐竜や古代シュメール人に出会う秘境冒険小説を書いた。万城目さんの作品はSFと呼んでいいのか微妙だが、やはりロストワールドものと言っていいと思う。その万城目さんに飲み会の席で聞いたのだが、取材の過程で「子どもの時、ジュラシック・パークがきっかけで恐竜にハマった」という四十代の恐竜(古生物)学者に何人も出会ったという。ロストワールドの遺伝子は、SFの域を超えて、後世の科学者にも影響をもたらしている。

 さらに副作用というのか、ムー脳人間(オカルト雑誌月刊ムーを愛読する・していた人)の世界にも一つのサブジャンルを作った。いわずとしれた「UMA(未知不思議生物)」である。ネス湖のネッシー、ヒマラヤの雪男、中国の野人などが代表的である。これらは正体不明と言っていながら、ネッシーは古代の首長竜プレシオサウルスの生き残りではないかと期待され、雪男や野人はやはり大昔に絶滅したはずのギガントピテクスやネアンデルタール人が生き残っているのでは?と勝手に想像されてきた。UMAは今でこそフライング・ヒューマノイドとかわけのわからない物体が増えてきたものの、20世紀の頃は主に「古代に絶滅した生物がまだどこかに生き残っていてほしい」という願望に支えられてきた。

 そして、そのロストワールド感をMAXに高めたUMAがアフリカ・コンゴの奥地に棲むというモケーレ・ムベンベだ。秘境に恐竜らしき謎の動物の生き残りがいるという設定は『失われた世界』そのものだ。ならば、ムベンベを探しに行き、その結果、謎と未知を探索する辺境ノンフィクションライターとなった私にとって、『失われた世界』は自分の原点中の原点であるべきだが、しかし......。

 実は私は小学生のとき、岩崎書店の少年向けSFシリーズで『失われた世界』を読んでいる。ストーリーはほぼ忘れているのだけど、何か重苦しくてワクワク感を覚えなかったように記憶する。

 ちなみに、小学生時代の私は同じドイル作のシャーロック・ホームズの熱狂的ファンだった。私の「謎を解きたい」という異常な欲求はホームズを読むことで始まった気がする。つまり、私は『失われた世界』に関連するあらゆる事物に強い影響を受けているのに、肝心のその作品はスルーしているわけだ。自分史における「空白の五マイル」みたいだ。一体なぜなのか?そこに何があったのか? 初めて読んでから四十数年が経過し、SF幼年期に至った今の目で読めば、何かわかるのか?

 読み始めてすぐに「うーん」と唸った。なんか、ものすごく微妙なのだ。一言でいえば、「物語の軸がはっきりしない」。主人公はマローンという駆け出しの新聞記者。でも彼はもともと冒険や探検に興味があったわけではない。ただ、好きになった女性に求婚したところ、「私は命がけで英雄的なことをする人がタイプ。あなたも何かすごい冒険をしたら候補に入れてもいいかも」みたいなことを言われ、「そうか、だったらやるぞ! うっしゃー!」と燃え上がるのだ。えー、何だ、そのギリシャ神話か「かぐや姫」みたいな展開は。そんなのは体のいい門前払いだろう。マローン、ちょっと単細胞すぎないか?と高野少年が思ったかどうかは定かでないが、いい年になった今の私は思う。

 実際マローン一人では何もできないのだが、ちょうどそこで彼はチャレンジャー教授という異端の古生物学者と出会う。彼は南米アマゾンで始祖鳥や恐竜の痕跡を見つけたと主張。博物学の講演会で大物議を醸した結果、教授本人とマローン、さらに教授の主張を「ありえない」と否定するサマリーという比較解剖学の老大家、そしてもう一人、南米を熟知した冒険家の四名がチャレンジャー教授の主張を「検証」するために現地をめざして出発することになる。

 サマリーはチャレンジャーとは敵同士なので、出発前からずっと険悪。ひたすら口論をくり返している。重苦しくもなる。さらにチャレンジャー教授のキャラクター。ウシガエルのような低身長の巨漢で、傲岸不遜。口を開けば悪態をつき、周りの人を不愉快にさせる。こちらは存在が重苦しい。

 ドイルは不思議な人だ。シャーロック・ホームズなんてとんでもなく魅力的な人物を創造したのに、次に作ったキャラが傲慢なウシガエルか。もっとも、ドイルもウシガエル教授に親しみをもたせようと、この人物が実は愛妻家だったり、ユーモラスなシーンを盛り込んだりするのだが、かえってチグハグ感が目立つ。

 一方、マローンは出発後、求婚相手のことをほとんど思い出さず(おいおい!)、むしろ「大発見をして会社に認められ、次は戦争特派員に抜擢してもらいたい」という出世欲に燃え上がっている。もはや神話の時代は終わり、会社員の時代になったらしい。

 子供時代の私もさぞかし困惑したことだろう。

 明らかに著者は迷走している。もし恐竜の生き残りを見つけたら大変なことである。それだけで探検の動機は十分なのに、なぜ「結婚」とか「出世」なんて余計で不純な動機を引っ張ってくるのか。どうして、ウシガエル教授みたいなむかつきキャラを主人公格に据えるのか。探検隊の士気が最初から上がらないのはなぜなのか。

 後世のSFや学者やムー脳人間に巨大な影響を与えた「不朽の名作」とは思えない。むしろ、私はそこに興味をそそられてしまった。「ロストワールド」が迷走(ロスト)しているのはなぜかという謎である。次回は私なりにその謎を解いてみたい。