第3回 「煮物がおいしかった」と話しかけたら、奥にいたおかみさんは嬉しそうな顔をした。

その店は目黒線西小山駅から東横線学芸大学駅へと向かう住宅街の中に突然現れた。一帯に大通りはなく小さな路地が入り組んでいる。中でも特に小さな通り沿いにポツンとあるから、その様子にひどく驚いた。もちろん近隣に店はない。飲食店どころか、クリーニング店さえない。なにより人通りがない。こんなところでやっていけるのだろうか。そう思って戸を開けようとしたら、店の横から小さなバイクが出ていった。店外には「出前承ります」の看板。仕出し弁当屋として大きな需要があるのかもしれない。

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昼下がりだった。昼時であったが、先客は1組だけ。おそらく近所で工事をしている建設作業員だろう。作業着を着て、無心にご飯をかきこんでいる様子が微笑ましい。たっぷりソースをかけたとんかつをあっという間に食べ終わり、親方らしき年長者が会計を一緒に払った。「領収書は?」と聞かれ「いらない」と答えてあっという間に店を出ていく。汗水垂らして真面目に働く男たちの匂いがした。

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改めてメニューをながめる。ロースが一番目立つ位置にあるから、とりあえずこれが人気なのだろう。妙齢の女性店員にオーダーしたら、水を取りに席を立つ。この店のそれはセルフサービスで、給水機の前にお茶のTバックも置いてある。小さな小さなドリンクバーである。

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「とん吉」はカウンター席とテーブルで20席ほどの店だ。厨房がかなり広く、その中に3人が作業をしている。おそらく家族経営で、背中を向けている長身の男性は3代目だろうか。カウンターと厨房の間に小窓があるがカーテンがかかっている。

先ほどの女性店員が私のオーダーを厨房で復唱したのち、もう一人の女性が肉にパン粉をつけている様子がちらっと見えた。衣をつけたかつを油に投入したのだろう、揚げ物のぱちぱちという音が聞こえる。私のかつが無事に育っている様子に安心してスマホを眺めていると、注文したロースカツが5分ほどで届いた。他に客はいないから、おそらく最短時間だろう。手元に届いた定食をざっと見渡し、箸を手にして、深呼吸をする。

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いつもの私は、とんかつを目の前にした瞬間、とんでもない顔をしているはずだ。なぜなら血液が逆流した状態で、目を三角にしてとんかつと向き合っているからである。彼らは私の食欲をかきたてる「凶器」だ。肉感的なビジュアルは扇情的といってもいい。はやる気持ち、いや、たぎる肉食獣のような衝動を必死に抑えて、私はキャベツをむしゃむしゃと食べはじめる。私はとんかつになんか興味がないのだというフリをして、キャベツを口いっぱいに放り込む。これは血糖値が急に上がるのを防ぐ工夫なのだが、とんかつは不本意だろう。主役の私を差し置いて、なぜ脇役に夢中になっているのか。とんかつの叫びを無視して私はキャベツを口に運び続ける。そうして味噌汁に口をつける。ここでひと心地。

キャベツを食べ尽くしたら、残るのはとんかつと白飯だけ。そうしてようやくとんかつと向かい合うのだが、やっと振り向いてもらったとんかつはツヤツヤして色っぽく見える(油が戻っただけである)。そしてこちらに手招きをし、私はそれに応えてとんかつに手を伸ばすのだ。

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だが、この日は様子が違った。

とんかつの横には小鉢があった。大根の煮物は、いかにも味が染みておいしそうだ。ひと口食べて、その予感は確信に変わる。定食の煮物のうまさは砂糖の量に比例すると思っているのだが、「とん吉」の煮物はとにかく甘くておいしい。年配の人はこういう煮物を作る。うちの母親もそうだった。ということは、調理場に立つ調理担当の女性が作ったに違いない。

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そして、私は禁忌を犯した。キャベツを食べた後はとんかつという暗黙の約束を破ってしまったのだ。とんかつに向かいかけた箸がいうことを聞かないのだから仕方ない。コーナーを攻める峠の走り屋よろしく、とんかつへ向かう箸はヘアピンカーブをして、煮物に突入した。さらに、あろうことか煮物のあとにごはんを口に放り込んだのだ。

これは落語で言うところの、前座が大きな笑いをとってしまったような事態かもしれない。主役はとんかつと決まっているのに、師匠たちをさしおいて、笑いをかっさらう若手落語家。その名は煮物亭大根。自分勝手な噺家は疎まれるという。なぜなら、落語会は最後に向けて次第に盛り上げることで、お客様が満足するいい会になるからだ。自分のことしか考えていないやつはどこの世界だって爪弾きにされる。

だが、この煮物は果たして脇役なのだろうか。大根とにんじん、そしてしいたけ。寄席では落語の合間に挟まれる演芸は色物と呼ばれるが、艶々とした小鉢もまた、とんかつを輝かせるための、大事な(茶)色物ではないか。

ふと、食事における甘味について考える。煮豆や卵焼きなど、甘い料理は和食に欠かせない。だが、とんかつはどうだろう。甘さを担当するものはないではないか。とん汁から甘さは感じるが、甘い料理とは言い難い。ソースも甘い?いや、あれは甘辛い。

もう一歩踏み込んで考えれば、私たちはおせちの栗きんとん、崎陽軒の弁当におけるあんずの役割をこれまで蔑ろにしてきたのではないか。「俺は左党だから」と自負する中年男性は多いから、甘いものは自然と食卓から排除されていった。(甘納豆は意外と酒にあうけれど)

話が脱線したが、とんかつ御膳には甘みがないことに気がついたのだ。だから、煮物の甘さはとても新鮮だったことは間違いない。煮物をじっくり味わったあとに、塩で食べるとんかつはさらにうまく感じた。

そして、一気呵成に食べ終わったあとで印象に残ったのは、とんかつよりも煮物であった。

とんかつより煮物のほうがうまかったといえば決してそんなことはない。残念だがとんかつの横で煮物は決して主役になれない。

だが、端役が主役を喰う、そんな錯覚を覚えた瞬間もあった。そして改めて、色物が主役を彩っていることに気づかせてくれた。とんかつという主役がいるから、脇役はいい仕事ができる。若い頃は誰もがとんかつになりたがる。だが、こんな煮物のような人の方が稀有だろう。とんかつは時間が経てば味が落ちる。だが煮物は時間が経てばうまくなる。

会計の際に「煮物がおいしかった」と話しかけたら、奥にいたおかみさんは嬉しそうな顔をした。昭和35年に開業して、今の場所に移ってから30年近く経つという。なるほど年季の入った味である。

とん吉の煮物には中毒性がある。あの味を求めふたたび店を訪れると、なぜか中学生らしきジャージ姿の若者が3人、所在なさげに店内をうろうろしている。聞けば近所の中学生で、こちらで職業体験をしているらしい。まさに暮らしの中に息づくとんかつ店である。

いつもより機嫌がいい女性店員が、なぜか中学生たちに自己紹介をうながす。その初々しさに思わず笑みが溢れる。彼らにとっては地元の店の一つでしかないかもしれない。だが町のとんかつ屋ってのは素晴らしいものなのだ。

彼らに伝わることを願って、いつもよりうまそうに食べて、いつもより大きな声でごちそうさまと言って店を後にした。そして、煮物のためにごはんを大盛りにしてよかったと思った。


とん吉
東京都目黒区目黒本町6-18-23