【今週はこれを読め! SF編】神話空間としてのジャングル、知性と引き替えの不死

文=牧眞司

 冒頭に掲げられているのはAP通信の記事(1995年3月19日付)で、「有名科学者、性的虐待の容疑」とセンセーショナルな見出しがついている。著名人のスキャンダルは珍しくないが、この記事にはとりわけ目を引く内容がふたつ含まれている。

 ひとつめは、逮捕されたエイブラハム・ノートン・ペリーナ博士が四十三名もの孤児を養子にしていた事実。全員がミクロネシアの国ウ・イヴ出身で、博士は1950年以来そこを何度も訪れて調査をおこなっていた。

 ふたつめは、博士の研究内容があまりにも特異なことである。彼はセレネ症候群の発見によってノーベル医学賞を受賞した。この疾患は希少種のカメを捕食することで発症し、知能低下を引きおこすが、肉体はいつまでも老化せず何百年も生きつづける。

 不死をもたらす病。すぐに思い浮かぶのは半村良『石の血脈』だが、その霊感源となった吸血鬼伝説からもわかるように、「不死」はかならずしも「永遠の生=僥倖」ではなく、しばしば「生ける屍=呪い」として捉えられる。本書『森の人々』のメインパートは科学者であるペリーナ博士の回想として語られるので、怪奇小説的なフィルタはかかっていない。しかし、セレネ症候群の発病地帯であるウ・イヴでは、病態が土俗の風習(さらに深くみれば世界認識)とわかちがたく結びついており、現地調査は異様な神話空間へ入りこむ感覚さえともなう。

 たとえば、1950年にペリーナ博士がセレネ症候群の罹患者と遭遇したときのこと。発見地点の近傍の村に入りこんだ調査団は、そこで開放的で自由な性行為が蔓延していることを知って衝撃を受ける。村のカップル(男女の場合もあれば、そうでない場合もある)は小屋の中や森の中で欲情しており、子どもも例外ではなかった。あらゆる年代の子が同世代の相手ではなく、大人にも身体を押しつけてくる。少年が一人前になる儀式として、村長による肛門性交がおこなわれる。同じ少年はそれから一週間後、森の奥で自分より歳上の青年の性器を口唇愛撫しているところを目撃された。

 調査団の一員である女性人類学者エスメ・ダフは、少年が性奴隷にされたのだと憤るが、ペリーナ博士はそうではないと反論する。エスメとペリーナの見解は平行線で、その後、両者の反目はずっと尾を引く。調査団のトップである人類学者ポール・タレントは、どちらの肩を持つこともなかった。ペリーナ博士はこの一件を通じて「どんな倫理も道徳も、一部の文化の中でしか通用しないこと」を学ぶが、そうした理性的な判断をしながらも情緒面の動揺は抑えられず、それ以降「夢の中にますますタレントがあらわれるようになった」と告白している。明言はしていないものの、ペリーナはタレントにセクシャルな関心を抱いていたのだろう。

 さて、こうした一連のできごとは、後年ペリーナにかけられる性的虐待容疑とつながりがあるのだろうか? また、『森の人々』のテキストは、ペリーナ博士が綴った回想記を、彼の共同研究者で無二の親友であるロナルド・デボラ博士が編集した形式で、枠組のようにデボラ博士の「序」と「エピローグ」が付されている。デボラがペリーナに寄りそうようになったのは1970年、すなわちウ・イヴでのできごとの二十年後だ。デボラが中立的な立場ではないことは、ペリーナがこうむった性的虐待容疑に対して、やや過剰ともいえる否定をしていることからうかがえる。それを念頭におけば、この作品をテキストとして全面的に信じるわけにもいかない。もしかすると仕掛けも誤魔化しもないプレーンな文章かもしれないが、疑いはじめるといくえにも謎をはらんでいるように思えてくる。

 それをひとまず脇におくとすると、物語の山場はセレネ症候群の発見とその病理の解明だ。スタンフォード大学の人類学者ポール・タレントは、ウ・イヴにいまだ発見されていない部族がいるという証拠を掴み、それを実証するために調査隊を組織した。部族が発見できれば、血液などのサンプルを取り、記録をおこなう必要がある。そのためにペリーナが抜擢されたのだ。ウ・イヴ王国は三つの島からなり、そのうちのひとつイヴ・イヴは禁断の島とされ公式にはひとが住んでいない。調査隊はそのジャングルへ分けいり、獣まがいの外見とふるまいの人間七名を発見する。男が四人、女が三人。裸の者もいれば、奇抜な服を部分的にまとまっている者もいる。ウ・イヴ語で意思疎通できる者もいるが、こちらの質問に反射的に答えるだけで、意図を察して会話することはできない。彼らは意識が半ばかすんだ状態であって、よだれを垂らし眠りながら足取り重く歩くようにみえるところから夢人(ゆめびと)と呼ばれることになる。

 やがて、彼らを発見した地点からそう遠くないところに村があることがわかる。その習俗は前述したとおり。近代的な文化規範からみれば未開だが、彼らには彼らの文化と秩序があった。夢人たちはそこからもこぼれ落ちた存在である。

 粘り強く調査を進めてわかったのは、村ではオパ・イヴ・エケと呼ばれる希少種のカメを神聖視していることだ。若いうちはふれることすら許されないが、六十歳に達した者はこのカメの肉を食べる儀式をおこなう。そんな高齢になるまで生きる者は少ない。

 この習慣の起源は、島の創成神話でつぎのように語られる。広大な海の王国を支配する神イヴ・イヴと太陽の神ア・アカのあいだに、三人の子どもがいた。この三人がウ・イヴの各島である。彼らは成長すると寂しさを感じるようになり、父のア・アカに頼んで、自分たちにも子どもを授けてもらった。それが人間である。人間が神々を敬っているあいだは、イヴ・イヴは海の幸を、ア・アカは大地の恵みを保証してくれる。しかし、人間たちはやがてその恩恵を忘れるようになっていった。ある日、マヌ・エケという男は川で捕らえたカメを、ほんらいならまず神に捧げるところを、その作法を抜きにして自分ひとりで全部食べてしまった。このカメがただのカメではなく、イヴ・イヴとア・アカのあいだを取りもった長寿のオパ・イヴ・エケだった。マヌ・エケには天罰がくだり、永遠の命と引き換えに人間らしさを喪失する。知能が後退し得体の知れぬわめき声をあげるようになり、ついには村から追放され追い払われてしまった。いまでもマヌ・エケはジャングルをさまよっている。

 オパ・イヴ・エケの肉を食べてもすぐに深刻な病状があらわれるわけではなく、知能後退が顕著になるまでは村にとどまっていられる。しかし、いったん知能が後退しはじめると(その状態はモ・オ=クア・アウと呼ばれる)食いとめるすべはなく、森の奥へ遺棄される。調査隊が見つけた七名の夢人も、そうやって村から追いだされたのである。

 その七人のいずれも本人の記憶は曖昧になっていて正確な年齢は特定できないが、側面的な状況を照らしあわせると、もっとも若い者でも百歳を超えている。最年長者はゆうに二百歳を超えていると推測される。村人たちにとって彼らは禁忌だ。それでも六十歳に達したときにカメの肉を食さずにいる選択肢はない。神の意志に逆らうことだからだ。

 調査隊を指揮するタレントはこの発見を慎重に扱おうとするが、ペリーナ博士はそれに従わずサンプルをアメリカに持ち帰り、動物実験によってオパ・イヴ・エケ摂取とセレネ症候群発病との因果関係を確認する。その成果に色めきたったのは政府機関や製薬会社である。ひっそりとした小国だったウ・イヴにアメリカ資本が入りこみ、荒廃をもたらす。ペリーナが同地から孤児を受けいれるようになったのは、こうした事態への罪滅ぼしの意味もあった。しかし、はたしてそれだけだろうか? 

 イヴ・イヴ島の調査に赴いたときのペリーナは青年だったが、この回想記を綴っている現在は老齢に達している。あの村の住人だったらすでにオパ・イヴ・エケの肉を食べ、そろそろモ・オ=クア・アウになっているころだ(そう考えてみると、ノーベル賞受賞はいわば象徴的な意味での不死性の獲得かもしれない)。夢人が村から出ていかなければならなかったように、ペリーナも性的虐待容疑というスキャンダルによって共同体のなかでの居場所を失っている。彼が身を潜められるジャングルがどこかにあるのだろうか。

(牧眞司)

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