【今週はこれを読め! SF編】星間宇宙船という完全密室、被害者も容疑者も探偵役も自分たち

文=牧眞司

  • 六つの航跡〈上〉 (創元SF文庫)
  • 『六つの航跡〈上〉 (創元SF文庫)』
    ムア・ラファティ,加藤 直之,渡邊 利道,茂木 健
    東京創元社
    1,371円(税込)
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  • 六つの航跡〈下〉 (創元SF文庫)
  • 『六つの航跡〈下〉 (創元SF文庫)』
    ムア・ラファティ,加藤 直之,渡邊 利道,茂木 健
    東京創元社
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 SFミステリ。航宙中の宇宙船は理想的な密室だ。外からは侵入できず、逃げてもいけない。まあSFだからと開き直り超常的あるいはガジェット的な要素を足して、その前提を覆すことも可能だが、それをやったらミステリの要件がガバガバになる。『六つの航跡』はそういう抜け道をせず、こと「密室」の成立に関してはじゅうぶんフェアだ。

 この作品が密室ミステリとして出色なのは、物語開幕時に、六人の乗組員が全員死亡もしくは意識不明の瀕死状態になっているところだ。つまり、いきなり『そして誰もいなくなった』状況で、犯人も死んでいる。

 この惨劇の捜査をおこなうのは、船にそなわったクローン装置により新しい身体で甦った六人だ。彼らの記憶は宇宙船が出発した二十五年前で途切れているため、犯人本人も自分が犯人だとわからない。閉ざされた空間で誰が犯人かわからないという疑心暗鬼に加え、自分自身をも信じられないシチュエーションである。

 いま、自分自身といったが、正確には違う。二十五年のあいだにひとは変わる。未来に冒す罪を過去の自分が背負うのはおかしい。それがクローンの立場だ。しかし、この事件に限っては、そうスッキリとはいかない。乗組員六人とも表立ってはいえない秘密を抱えているからだ。彼らは重罪犯であり、その罪の免除と引き換えに、このドルミーレ号----くじら座タウ星をめぐる惑星アルテミスへの移民船----に乗ったのだ。それを考慮に入れると、出発時点から船内殺人をおかす動機なり素質を抱えていた可能性も否定できない。

 被害者でもあり容疑者でもあり探偵役でもある、ドルミーレ号の六人の顔ぶれは次の通り。

 船長カトリーナ。元軍人、非常に強い。
 副長ウルフガング。月出身、強面の巨躯。
 航海士ヒロ。小柄で陽気。
 船医ジョアンナ。沈着冷静、足が不自由。
 機関長ポール。内気で神経質。
 保守係兼機関長補佐マリア。雑用を押しつけられる立場。

 さらに加えるなら、宇宙船を司るAIのイアンがいる。また、この移民船には冷凍睡眠中の二千五百人も乗っているのだが、彼らはいってみれば貨物なので、この殺人事件に直接関与はしない。

 それにしても、この事件には不審なところが多い。稼働しつづけているはずのAIのイアンが停止している。航路がずれている。ほんらいならクローン作製時に二十五年分の記憶が転写されるはずなのに、記憶保存のマインドマップの削除によってそれがされていない。殺された乗員のうちヒロだけ外見が若く、二十五年のあいだにすくなくとも一度はクローンされていると思われる。そして、クローン作製用プログラムが壊されており、もう新しいクローンはつくれない。

 こうした現在進行形の事態のなかでの謎解きがあるいっぽう、乗組員たちがドルミーレ号に乗るにいたった経緯も少しずつ明かされていく。個人的な事情は入り組んでいるのだが、なによりも注目されるのは、いずれの事情にもクローン技術の浸透によるモラルや死生観、人間関係の変化が関わっている点だ。

 この作品のクローンは、オリジナルの最盛年齢の状態で新しい身体をつくり、そこへマインドマップでデータ化した記憶を転写できる。技術的には自分を増やすこともできるのだが、法律によってそれは禁止されており、ふつうは死に際したときにクローンがつくられる。そのため、この世界では死への忌避感が薄れている。また、クローン運用の基準が厳格に定められているが、それを遵守しない闇商売も横行している。そして、基準施行の前につくられたクローンの存在の扱い、クローンへの差別意識など、社会的な軋みも少なくない。

 それらが非常にあやういバランスで、宇宙船密室殺人事件と関わってくる。事件そのものの成立においてだけではなく、事件を究明していく過程においても。このように未来社会やテクノロジーの大状況と、密室事件の道筋をたどる捜査とがわかちがたく結びついているところに、この作品のSFミステリーたる醍醐味だ。

 もっともスリリングなのは、宇宙船に乗りこむ以前、地球もしくは月で暮らしていたころの六人がそうとは知らず、因果の糸に絡めとられていたとわかってくる終盤である。しかし、それ以上はここではいえない。これから読むかたの楽しみを奪いかねないという以上に、因果の糸があまりに複雑に交錯しているため、そう簡単に絵解きができないのだ。

 はたして六人はその糸を断ちきれるか。それとも、また密室の悲劇が繰り返されてしまうのか。

(牧眞司)

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