【今週はこれを読め! SF編】間近にあるディストピア、奪われた声をいかに取り戻すか

文=牧眞司

  • 声の物語 (新ハヤカワ・SF・シリーズ)
  • 『声の物語 (新ハヤカワ・SF・シリーズ)』
    クリスティーナ ダルチャー,オートモアイ,市田 泉
    早川書房
    2,090円(税込)
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 舞台は近未来のアメリカ。いや、近未来というよりも、現代というべきだろう。ここに描かれた事態は、アメリカでまさに進行中の悪夢だ。保守化、パターナリズム、押しつけの道徳、差別の正当化。

 そして、ぼくたちにとって、それは対岸の火事ではない。

 すべての女性の手首にカウンターが取りつけられる。自分では外せない。カウンターが計測するのは、発した言葉だ。装着者が口にする言葉は一日百語に厳しく制限され、それを超えると電気ショックが襲う。繰り返されるたび強度が上がる。

 声を奪う。ディストピアのシチュエーションとして、ひどく寓話的に思える。

 しかし、本篇を読み進み、この施策の背後にある、アメリカ政府の思想、そして政府を支持する大衆の意識を知ると、これがたんなる象徴ではないことを思い知る。

 作中で、ひとりの青年が悪びれもせず、「ぼくはただ、女にある仕事をさせて、男にほかの仕事をさせるほうが生物学的に理にかなっていると言ってるだけ」と言う。つづけて、彼は高校で履修している宗教学入門の教科書を引用する。



 女性は投票などしなくてよいが、大きな責任と重要性を伴う独自の領域を持っている。女性とは神によって指名された家庭の守護者である......。妻として、母として、家庭の天使としての立場は、人間に割り当てられた中で、もっとも神聖で責任重大な、女王のごとき立場である。女性はそのことをもっともよく認識すべきだろう。それ以上の野心は捨てるべきである。



 それ以上の野心とは、学問、キャリア、参政、自由、そして人権だ。

「女性は天使だ」という建前のもとで、人間としての尊厳を剥奪する。これを主導したのはカール・コービン牧師であり、彼の思想はピュア・ムーブメントと呼ばれた。

 女性は何をするにも「夫の許し」「父親の同意」が必須とされる。もともとはバイブル・ベルトと呼ばれるアメリカ中西部から南東部の諸州で支配的だった保守的風潮が、しだいに全土へと浸透し、大統領サム・マイヤーズの政策によって強制力を持つようになる。それに対する批判は、早々に封じこめられてしまう。

 主人公ジーン・マクラレンはイタリア出身の女性。アメリカへ渡って博士号を取得、大学院で知りあったパトリックと結婚し、四人の子どもをもうけた。認知言語学の分野で成果をあげつつあったが、ピュア・ムーブメント台頭によって職を失い、いまは専業主婦だ。長男のスティーヴンは高校生で、しだいにピュア・ムーブメントへの傾斜を深めてる。その次に、サムとレオという男の双子がいる。そして、末娘がソニアだ。

 ソニアは、ジーンの最大の気がかりである。ソニアはまだ幼いが、すでにカウンターをつけられている。一日百語の制限があるため、その日、学校であったことを母に話すこともできない。この先、ピュア・ムーブメントの圧力に晒され、ソニアはどう成長していくのか?

 ジーンは研究ばかりに打ちこみ、政治に見向きもしなかった大学院時代を後悔している。あの時点で、私たちが積極的に声をあげていれば、いまの状況は回避できたかもしれない。しかし、友人のジャッキー・ファレスから女性判事を支持するためのデモに誘われたとき、すげなく断ってしまった。ジーンばかりではない。多くのひとが体制に流されるままにしたせいで、気づいたときは後戻りできなくなっていたのだ。

 キャリアを失ったジーンだが、ひょんなことから復帰の機会が訪れる。

 しかし、かならずしも喜ばしいとは言えない。ジーンに選択権はほとんどないのだから。経緯はこうだ。大統領の参謀役である兄ボビー・マイヤーズが、事故で脳内のウェルニッケ野と呼ばれる言語機能を司る部位に損傷を受け、正常なやりとりができなくなった。回復させる技術は確立されていない。かつてこれを研究していたのが、ジーンなのだ。

 ジーンとともに、同じ研究に取り組んでいた女性研究家リン・クワンも、プロジェクトチームに呼ばれる。そして、もうひとり、ロレンツォ・ロッシも。

 ロレンツォは、ジーンと共同研究をしていたイタリア出身の研究者だが、ピュア・ムーブメントの台頭を嫌い、早い時期にイタリアへと帰国していた。それ以前に、ジーンとは不倫の関係にあった。

 ジーンの心情は微妙だ。夫パトリックへの愛情をなくしたわけではない。ただ、気持ちが冷えているのも確かだ。パトリックはピュア・ムーブメントに同調してはいないが、積極的に批判するわけでもない。なにごとも穏やかに受け流すのが、彼のやりかたなのだ。それに対してロレンツォは、自分の価値観を押し通す。皮肉を言い、必要とあれば実力行使も辞さない。ジーンが彼に惹かれるのもそこだ。

 ジーンとロレンツォの関係は、ほかのひとには知られていない。ピュア・ムーブメントのもとでは、婚外交渉は違法だ。さらに婚前交渉も禁止。夫婦間であっても膣性交以外は「自然に反する」の理由で禁止。避妊も許されていない。ヴィクトリア朝の性道徳へと逆戻りをしている。しかし、裏へまわれば、ある程度財力のある独身男性が、娼婦を買うことは認められている。ダブルスタンダードだ。

『声の物語』のストーリーは、ふたつの面で読者を惹きつける。

 ひとつは、ウェルニッケ野の回復術と引き換えに、ジーンが体制側とどう渡りあうかという興味。かならずしもジーンに有利とは言えないのが、成果を引き延ばしにできないところだ。政府は期限を区切ってくる。そして、最高の研究設備が与えられるが、研究の一部始終、交わす言葉のすべてが監視される。

 もうひとつは、ジーンの個人的なロマンスだ。夫パトリックと恋人ロレンツォのどちらを選ぶか? 家族を優先するか? それとも、自分の情熱に従うか? そして、ことのなりゆきによっては、破滅を覚悟しなければならない。

 これらジーンを主体とした物語に、ピュア・ムーブメントに対するレジスタンスが絡んでくる。がんじがらめになったディストピア社会でも、これを覆すべく、小さな活動を積み重ねているひとびとがいるのだ。

 物語を大きく動かす要因がもうひとつ。ジーンたちが取り組んでいるウェルニッケ野の回復プロジェクトと並行して、やはり脳機能に対するプロジェクトがおこなわれていたのだ。その目的を知ってしまったジーンは震撼する。

 終盤では、何段階かのどんでん返しが仕掛けられていて、めくるめく展開に息もつけない。

(牧眞司)

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