【今週はこれを読め! SF編】福島、イラク、新疆ウイグル自治区......核をめぐる因縁が東京で交叉する
文=牧眞司
ワン・モア・ヌーク(核をもう一度)。
新国立競技場を爆心地とする核テロ計画の中心メンバーのひとり、ムフタール・シェレペットが唱えた言葉だ。彼女は言う。
「ええ、そうよ。ノー・モア、なんとかなんて言わせたくない。どうして日本人は自分たちだけが被害者だと思うの? あれから何度もあったのよ。何万人も死んでいる」
彼女は新疆ウイグル自治区出身のイスラム教徒で、中国が極秘裏におこなった核実験で胎内被曝した。現在は技能実習生として日本で仕事をしている。
原爆に用いるプルトニウムを日本へ持ちこんだのは、元イラク原子力委員会のメンバーであるサイード・イブラヒム。彼にはイスラム国再興の目論みがあった。
そして、卓越した知能によって新方式の小型原爆を設計したのが、但馬樹(いつき)。彼女がこの作品のいちばんの主人公であるが、これほどのことをおこなう動機は中盤まで明かされず、その謎が作品の大きなテーマをなす。ただ序盤で、彼女が福島原発事故後の避難指定地区の除染を自費でおこなっていた事実が示される。費用は莫大だが、人気デザイナーズ・ブランドのオーナーである彼女にとってはじゅうぶんにまかなえる範囲だ。
福島原発事故からの根深い因縁、それは核テロの実行日が3月11日に設定されていることからも明らかだろう。
さて、この核テロ計画は、ふたつの方向から察知される。
ひとつは、シェレペットに対する公安部外事二課の調査。もともとは中国政府からの定型的な依頼(ウイグル人の活動への監視)であり、担当する早瀬隆二刑事補と高嶺秋那巡査部長のふたりも、つまらないルーチン仕事だと思っていた。しかし、シェレペットが3Dプリントショップで出力していた部品から、疑惑を持つようになる。
もうひとつは、イブラヒムの足取りである。彼は身分を偽って日本に入国したが、CIAのエージェント、シアリー・リー・ナズがそれを見破った。ナズにとってイブラヒムは、かつてシリアで煮え湯を飲まされた因縁の相手である。ナズに協力するのが国際原子力機関の技官である舘埜健也で、彼もシリアでイブラヒムに痛い目にあっている。
このふた組の捜査・追究と、テログループが秘密裏に繰り広げる作戦とが並行して描かれていく。
事態を複雑にしているのは、テログループが一枚板ではないことだ。とりわけ、イブラヒムと但馬の相手を出しぬこうとする知略合戦が凄まじい。
メインストーリーである核テロの攻防は2020年3月6日から10日のできごとであり、テロリストたちが意識しているのは(福島の放射能汚染の起点となった3月11日と並んで)およそ4カ月に迫った東京五輪である。そして、本書の発行は2020年2月1日(奥付による)だ。「このタイミングで!」という感じで、たしかに読者が受けとるリアルタイムの迫真性は無視できないものの、ただし時期が過ぎてしまえば意味が薄れてしまう作品でもない。
テロの実行犯イブラヒムは、「ここはカミカゼを生んだ国だ」と言う。
それだけではない。実行者に死ねと命じるテロが有効なことを世界中に広めた国だ。少年だったイブラヒムは、日本からやってきた共産主義者の女性革命家がそんな計画を命じたと聞いて身を震わせたが、テルアビブの空港に散った日本人は、カミカゼが有効なことを中東に教えてくれた。
そんな歴史を知っているのだろうか。篠原によれば、現在の政権を支持する団体や知識人にはカミカゼを称揚する空気さえ漂っているというが(以下略[引用をつづけると重要な展開を明かしてしまうため])。
篠原というのは、イブラヒムの核テロに協力する東大生だ。イスラムの歴史に興味をもった彼は、アラブ社会不和の起点がかつて英仏露がおこなったオスマン朝分割にあると見定め(それ自体は間違っていない)、聖地を取り戻そうとするムスリムの心情にシンパシーを抱いている。そこからテロリズムへ走るのは短絡だが、篠原は得た知識を一方向にだけ推し進めてしまったのだ。
暴力革命とカミカゼ称揚の共通性にせよ、優等生のナイーヴゆえのテロ肯定にせよ、そのなりゆきは皮肉というしかない。それは作者がものごとをシニカルに見ているせいではなく、もともと日本の歴史や社会に内在している歪みや軋み、あるいは未熟さである。そして、同様の未熟さはアメリカにも中東にもある。登場人物の行動や心情を通じて、それをあぶりだしていくのが、藤井太洋という作家の凄みだ。
(牧眞司)