【今週はこれを読め! SF編】インカがヨーロッパを席巻、波瀾万丈の歴史改変小説

文=牧眞司

  • 文明交錯 (海外文学セレクション)
  • 『文明交錯 (海外文学セレクション)』
    ローラン・ビネ,橘 明美
    東京創元社
    3,300円(税込)
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『HHhH――プラハ、1942年』の作者ローラン・ビネによる壮大なる歴史改変小説。とにかく密度が桁違いに高い。現実にあったさまざまなものごと(人物、政治、地誌、文化、宗教、産業などなど)を、重大なものからトリヴィアまで含めて、別な歴史の展開のなかに縦横に組み替えて盛りこんでいる。ヨーロッパ史を知る読者ほど深く楽しめるが、あまり知らない読者(私のような)さえ物語の細部に引きこまれ、そこから歴史への関心が広がっていくようなつくりになっている。

 作品全体は四部で構成。そのうち主柱をなすのが第三部「アタワルパ年代記」だ。西洋の暦で言えば一五三〇年代、インカ皇帝は二番目の息子ワスカルに帝位を譲ったものの、北部諸州の統治についてはその下の息子(ワスカルの異母弟)アタワルパに委ねた。嫉妬深いワスカルはこれを不服とし、言いがかりをつけてアタワルパに宣戦布告をする。兄の軍勢に追われたアタワルパとその将軍たちは、北へ北へと逃げ、キューバを経て、ついには大西洋を渡ってリスボンに到着。

 この段階でアタワルパたちは亡命者にすぎなかったが、運命の歯車のいたずらか、スペイン王カール五世を人質に取ることに成功。そこからヨーロッパの権力地図を塗りかえる快進撃がはじまる。軍事的な作戦においても有能なアタワルパだが、むしろ政治的・外交的手腕にすぐれ、とりわけ当時のヨーロッパにおける宗教的なバランスをたくみに利用した。

 現実の歴史がたどったスペインによるインカ帝国征服がこの小説では逆転されているわけだが、いきなりアタワルパの進撃がはじまるのではなく、それより前に世界の運命を転轍させる種がまかれていたのである。それを語るのが第一部「エイリークの娘フレディースのサガ」であり、第二部「コロンブスの日誌(断片)」だ。前者は北欧人のアメリカ大陸到達であり、後者はコロンブスの航海だがそれぞれが勇壮で悲劇的な大冒険である。もちろん、現実の歴史を裏返しにした局面がいくつも仕掛けられている。

 さて、第三部でインカ帝国による神聖ローマ帝国の統一がなされるのだが、その過程で多くの伝奇的エピソードが紡がれ、たくさんの魅力的な登場人物が交錯する。丹念に書かれた歴史小説ならではの厚みがある。

 そして第四部では、アタワルパの絶頂期からさらに三十年ほどを経た時代が舞台となる。なんと、文学好きの若者ミゲル・デ・セルバンテスが、ギリシア人画家ドメニコス・テオトコプーロス(通称エル・グレコ)と出逢い、数奇な運命に翻弄され、ふたりで大西洋を渡る。これが、めっぽう面白いピカレスクロマンスなのだ。

(牧眞司)

  • HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)
  • 『HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)』
    ローラン・ビネ,高橋 啓
    東京創元社
    2,860円(税込)
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