【今週はこれを読め! SF編】極地探検、空洞地球、さらに宇宙へ〜アレステア・レナルズ『反転領域』
文=牧眞司
アレステア・レナルズの長篇が邦訳されるのは久しぶりだが、本国イギリスでは押しも押されもせぬ地位と、読者からのリスペクトを確立している作家である。凝った設定のもとでアイデアをふんだんにちりばめた現代スペースオペラを得意とする。本書『反転領域』は2022年の作品だ。
物語は、ノルウェー沿岸を航海中の小型帆船デメテル号ではじまる。時代ははっきり示されてはいないが、十八世紀か十九世紀。船が目ざしているのは、フィヨルドのどこかにある古代の巨大建築物だ。以前にこのあたりを通ったエウロパ号が発見したそうだが、その情報はまだ表には出ていない。
語り手のサイラス・コードはイギリス人の医師。彼を含め探検隊のメンバーは、出身地がさまざまで、それぞれに得意分野がある九人だ。まるで、ジュール・ヴェルヌの《驚異の旅》のような雰囲気である。
サイラスは趣味で小説を書いている。いま執筆中なのは『石造りの監視台、あるいは氷の大建築物、サイラス・コード医師による冒険小説』で、書きあげた章を船の仲間に語ってきかせると、なかなかの好評だ。ただし、言語学者のエイダ・コシルだけは、サイラスの文章の些細な点について、あれこれと皮肉な指摘をしてくる。
探険のなりゆきとは別に、サイラスにとっての気がかりがひとつ。自分の書き物のページに、ある単語が大きく太い字で書きつけられていたのだ。どう見ても自分の筆跡。だが、書いた記憶はまったくない。その単語とは、「裏返し(エバージョン)」である。これはこの作品のタイトル(原題Eversion)にほかならない。
デメテル号は流氷の入り江へ船首を進め、そこで思いがけないものを発見する。難破した船で、船名がエウロパ号と表示されている。例の巨大建築物を最初に発見したとされる船だ。しかし、エウロパ号が遭難したとは聞いていない。とたんにデメテル号のなかに不穏な空気が立ちこめる。なかには、船長が俺たちを騙してここまで連れてきたのだ、と考える者さえいる。
仲間割れで揉めている最中に、デメテル号に重大事故が降りかかる。舵がきかぬまま、前方に岸壁が迫ってきたのだ。惨事とパニック。サイラスの意識も途切れていく......。ただひとつ鮮明に知覚されるのは、エイダ・コシルの姿と声。
彼女は言う。「もう、コード先生ったら。今回はこんな死に方をしてなんの役にも立たないわ」。
全四百ページからなる物語のうち、ここまでで百ページ。よほどうっかり者でないかぎり、これがストレートな冒険小説ではないことに気づくはずだ。レナルズが、さりげなく読者に示している手がかりのうち、とくに大きなものは次の三点。
(1) サイラスが物語『石造りの監視台』を書いていること。
(2) エイダ・コシルが特別な何かを知っているらしいこと。
(3)「裏返し(エバージョン)」という単語。
「裏返し(エバージョン)」については、物語の少し先で船の仲間のひとり、地図制作者のレイモン・デュパンが数学的な用法を説明する。球面を三次元空間で、切れ目も入れず折り目もつけず、滑らかに裏返す(つまり表側を内側に、内側を表側にする)操作だ。"Sphere eversion"でウェブ検索をすると、いくつも動画がヒットするので、ご確認いただきたい。なんとも不思議なイメージだ。このEversionが、物語中の具体的なガジェット(現代スペースオペラの雄レナルズらしい大仕掛け)として、また小説構造の隠喩として重要なキーとなる。
さて、百ページでいったん途切れたデメテル号の航海だが、じつはまだまだつづく。ヴェルヌ的《驚異の旅》の展開としては、ホーン岬から南米の太平洋岸を北上して未知のラグーンに進入とか、飛行船による空洞地球への降下とか、なかなか見せ場が多い。あちらの書評では、エドガー・アラン・ポオの『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』や、ウィリアム・ホープ・ホジスンの『〈グレン・キャリグ号〉のボート』を引きあいにしているものもあった。同じ書評のなかで、アーサー・C・クラーク『宇宙のランデヴー』もあがっている。
ええっ! 宇宙へ行くの? と驚かれるだろうが、まったくそのとおりで、物語はとんでもない方向へと展開するのだ。私が思いだしたのは、無類の宇宙SF、クリス・ボイス『キャッチワールド』である。
(牧眞司)