【今週はこれを読め! SF編】潜水球、戦車、先史ロマンス〜H・G・ウェルズ『深海潜航』
文=牧眞司
創元SF文庫では、すでに《ウェルズ傑作集》として『タイム・マシン』『世界最終戦争の夢』の二冊が刊行されており、本書は第三弾にあたる。といっても、前の二冊は初版が出たのはそれぞれ1965年と1970年(当時の書名は『ウェルズ傑作集1』『同2』、翻訳はどちらも阿部知二)なので、三冊をひとまとめに扱うのはちょっと座りがよくない(ただし、『タイム・マシン』も『世界最終戦争の夢』も新版が出たばかりなので、本棚に並べると統一感がある)。こんかいの新しい一冊『深海潜航』は、ウェルズに詳しい中村融による作品選定・翻訳だ。氏が「訳者あとがき」で述べているように、それぞれの作品の雑誌初出時(すなわち1900年前後)の挿絵を復刻掲載している。たいへん雰囲気があって嬉しい。
収録作品は五篇。順に紹介していこう。
「盗まれた細菌」は、自宅で研究をしていた細菌学者が、アナーキストにコレラ菌を詰めた瓶を盗まれる。逃げる者と追う者とのドタバタ劇が軽快で、ちょっとしたオチがつく。小品ながら、細菌学者の「わたしとしては、全宇宙のコレラ菌を片っ端から殺して、染色したいところです」という大仰な台詞や(染色は標本にするため)、大慌ての細菌学者に対して冷静な彼の妻の立ち振る舞いなど、巧まざるユーモアが楽しく、愛すべき一篇と言えよう。
「深海潜航」は、自分が発明した鋼鉄の球体に乗って八千メートルの超深海を探険した男、エルステッドの物語。沈降・浮上のメカニズムや圧力への対策など、技術的ディテールが面白い。現代のハードSFと違って、説明的な叙述がむしろ読者の興味をそそるのが、科学ロマンスならではの醍醐味だ。エルステッドが深海で見たものは......。ジュール・ヴェルヌ流の《驚異の旅》に、ウェルズの大胆な想像力を投入し、コンパクトにまとめた作品。潜航球が深海から浮上するシーンで、「真空をまとったエーテル生物が、われわれの大気圏を舞いあがって故郷のエーテルにもどるように」との形容がある。まさに文章によるSFXだ。
「石器時代の物語」は本邦初訳。イングランドがフランスと地続きだった五万年前、人間がまだ言語をじゅうぶんに発達しきらず、身ぶり手ぶりで意思伝達を補っていた時代の物語だ。若い娘ユーデナは、絶大な力を持つボスのウヤ(彼にはすでに老齢で狡猾な妻がいる)に色目を使われ、身を守るため集落を逃げだす。彼女に従ったのは、青年ウッ=ロミだった。ふたりの行く先には集落からの追っ手、狂暴な野生動物、未踏の自然......いくつもの障害が立ちはだかる。ウッ=ロミは石と木を組み合わせて斧を作ったり、野生馬を乗りこなしたり、知恵と冒険心によって運命を切りひらいていく。
この作品で特筆すべきは、部分的にではあるが、野生動物の主観からの叙述がなされている点だ。第二章に登場する洞穴熊、アンドゥーは擬人化されたものではなく、洞穴熊が動物として備えている感覚や本能に沿って、世界やできごとを感知する。ちなみに「石器時代の物語」の初出は1897年。博物学者アーネスト・トンプソン・シートンがのちに『シートン動物記』として知られるようになる一連の物語を書きはじめたのと、ほぼ同時期である。
もうひとつの注目点は、アニミズム的思考である。一族のボス、ウヤはウッ=ロミによって返り討ちに遭うのだが、ウヤの妻である老女をはじめとする一族の者たち、そしてウヤを倒したウッ=ロミさえ、ウヤがこの世から去ったとは思わない。入れ替わるようにしてこの土地にやってきたライオンを、ウヤとして扱うのだ。ライオンは相手かまわずに襲って食らうのに、それでもウヤはウヤなのだ。このあたりの展開は、悪夢のような雰囲気がある。
「新米(しんまい)幽霊の話」は、純然たる怪奇小説。うまく成仏できずクラブハウスに取り憑いてしまった幽霊に対し、ひとりの紳士が親身になって相談に乗る。そのやりとりが可笑しい。
「陸の甲鉄艦」は、前線が舞台(交戦している国名は明かされない)。長く膠着状態がつづいていたが、敵軍が投入した驚異的な新兵器によって一挙に状勢が変わってしまう。新兵器を目の当たりにした従軍画家(報道のために記者に付き添っている)は、「でかいトーチカと巨人の皿覆いを足して二で割ったようなもの」と表現する。現代ではあたりまえになった戦車だが、この時代(作品の初出は1903年)はまだ空想的な超兵器だったのだ。勇ましくマッチョな味方軍の中尉と、たんたんと機械を操作する敵軍の戦車乗員との対比が絶妙だ。
(牧眞司)




