さまざまな家族の形〜原田ひ香『母親からの小包はなぜこんなにダサいのか』

文=松井ゆかり

  • 母親からの小包はなぜこんなにダサいのか (単行本)
  • 『母親からの小包はなぜこんなにダサいのか (単行本)』
    原田 ひ香
    中央公論新社
    1,760円(税込)
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 "本のタイトル大賞"みたいなランキングがあったら、『母親からの小包はなぜこんなにダサいのか』は間違いなく上位を狙えるであろう(かなりの破壊力ですよね)。

 収録されているのは6つの短編。連作になっている作品もある。いずれも家族にまつわる内容だ。特に共感したのは第三話の「疑似家族」で、最も泣かされたのは第六話「最後の小包」。「疑似家族」は、同棲相手・幸多に自分の母親からの荷物が届いたように見せかけている愛華が主人公。愛華と幸多は、行きつけの小料理屋で知り合った。幸多は典型的な「都会の良い家庭」育ちで、一方の愛華は貧しい家庭の出身であることが随所で描写される。学生時代からのたったひとりの親友・楓によれば、愛華は「奨学金をもう全額返したの、本当にすごいと思うよ」と言われるほどの努力家。「そんなに卑下することないよ。今まで頑張ってきたじゃん」と励まされても、幸多と自分とでは釣り合わないと悩む愛華の心は晴れない。

 実は通販で注文した野菜類なのに、愛華は母親が送ってきたものだと嘘をついている。そうせざるを得なかった彼女の心情を思うと胸が塞がれる思いがする。このような家庭もあるのだという事実に改めて衝撃を受けざるを得なかった。愛華の注文を受けて野菜などを贈り続ける農家の主婦・都築さんが素敵で、自分と同世代である彼女のように若い人の力にならなくてはいけないなと感じる。

 「最後の小包」は、主人公の弓香が新大阪からあわてて新幹線に乗ったらしいことがわかるシーンから始まった。離婚した母親の再婚相手とはぎくしゃくしているような様子も、すぐに明らかになる。急いで駆けつけたにかかわらず、母・優子は帰らぬ人となっていた。優子の死後も「自分のことを本当の親だと思って頼ってください」と申し出る義理の父親の「まさお」を疎ましく思い、弓香はつっけんどんな態度をとってしまう。優子と真の血縁であるのは自分だけであるにもかかわらず、まさおやその家族たちが葬儀の段取りをつけて通夜もどんどん進行していくのに反発し、弓香は告別式に出席することなく帰りの電車に乗ってしまう。

 正直なところ弓香の反応は大人げないと感じたところもあるのだが、もし自分の親の葬儀をその再婚相手と家族たちが(たとえよかれと思ってやっていることであっても)取り仕切っているの見たらどのように感じるかはわからない。

 「家族だからわかり合える」という物言いについては、愛情というものを免罪符にしている場合もある。家族同士だって、気持ちは簡単に行き違うし、その不和は往々にして深刻な状況に陥りがちだ。しかし、もしそこに真の愛情があるならば、時間はかかってもいつか歩み寄ることができるはずだとも思う(本書では、残念ながら和解できなかったであろう親子も描かれている)。家族というのはひとつとして同じ形はなく、抱える問題も千差万別であることを思い知らされた一冊であった。

 「ダサい」のは別に悪いことではないと思う。むしろ、母親からの小包なんてダサければダサいほどいいくらいではないだろうか。母(と父)はすでに亡くなっているので、私はもう親からの小包を受け取ることはかなわない。親と一緒にいられた時間は自分が思っていたよりもはるかに短かった。家族であれば無条件に愛する気持ちを持てたりわかり合えたりするなどとは私も思わないし、だから家族を受け入れられない人がいても自分を責める必要はない。でも、少しでも愛情や理解できると思える余地があるのであれば、「家族を大切にしてください」と言いたい。現在の「家族」だけでなく、将来あなたがともに生きていくことになるかもしれない「家族」も含めて。この本を読めば、きっとその理由がわかるから。

(松井ゆかり

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