J・ディーヴァーの創作の秘密とは?

文=杉江松恋

  • ロードサイド・クロス
  • 『ロードサイド・クロス』
    ジェフリー・ディーヴァー,池田 真紀子
    文藝春秋
    2,650円(税込)
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 ジェフリー・ディーヴァーという作家がいる。このWEB本の雑誌を読んでいる人にはあらためて説明するまでもないだろうが、事故によって身体の自由を奪われた天才鑑識官リンカーン・ライムと、元モデルの刑事アメリア・サックスのコンビが活躍するミステリー・シリーズを書き、ベストセラー・リーグの仲間入りを果たした作家だ。日本でもディーヴァーは幅広いファンを獲得しており、彼の新作を心待ちにしている読者が多数いる。また困ったことに、翻訳のペースが追いつかないほど、彼は書くのが速いのである。

 そのディーヴァーにも不遇の時代はあった。日本初紹介は1994年刊行の『汚れた街のシンデレラ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)だったが、まったく話題にならず、売れなかったと記憶している。翻訳のせいではなく、ディーヴァー自身がまだ、エンターテインメントの書き手としては未熟だったのだ。彼が完全に覚醒したのは、1994年の『眠れぬイヴのために』(ハヤカワ・ミステリ文庫。翻訳は1998年)あたりから。完全に書き方を変えたのだという。以降着実にヒットを飛ばす作家に生まれ変わったのだから、選択は成功だった。
 そのディーヴァーが先日来日し、新作『ロードサイド・クロス』(文藝春秋)のためのプロモーション活動を行った。その一環として11月10日(水)に日本では初めてとなる講演会を開き、自身の創作の秘密を明らかにしたのだ。開口一番、「今日は『ロードサイド・クロス』の話をするつもりはありません」と言って観衆を驚かせたディーヴァーは、新作について語る代わりに、自分が小説を書くときにどのようなプロセスを辿っているかを、あたかも日記を公開しているかのような詳しさで話し始めた。その模様は別所でレポートされる予定なので譲るが、大事な言葉をいくつか抜き書きしておこう。

・作家がメーカーだとして、もしレバーペースト味の歯磨き粉の企画を思いついたらどうするか。正解は書かない。なぜなら顧客である読者はペパーミント味を求めているからだ。
・飛行機を製作するとする。必要な部品はこれ、それからあれ、といった具合に計画もなくかき集めても飛行機はできるだろう。だが、あなたはそれに乗りたいと思いますか?
・ヘミングウェイの言葉に「素晴らしい書き手(writer)はいないが、素晴らしい推敲者(rewriter)は存在する」というものがある。私もこの意見には賛成だ。一つの作品を完成させるまで、最低5、60回は書き直す。

 など、などと。とにかく感心させられたのは、自分は読者を楽しませるのだ、という信念をディーヴァーが持っていることであり、その信念に基づいて、馬鹿がつくほどの正直さで創作に向き合っているという、その姿勢だった。

 新作『ロードサイド・クロス』についても書いておこう。これはリンカーン・ライム・シリーズからスピンオフしたキャラクター、キャサリン・ダンスが登場するシリーズの第2作だ。ダンスはキネシクスという技能の持ち主で、話し相手が無意識に示すボディ・ランゲージから、その人の真意を見抜くことができる。別名「人間嘘発見器」だ。
 ディーヴァーはリンカーン・ライム・シリーズとキャサリン・ダンス・シリーズを明らかに区別して書いている。ライム・シリーズの魅力は、天才であるライムが、自分に匹敵する知能の持ち主である犯罪者と真っ向から勝負をする、昔ながらの探偵対悪漢の冒険小説図式にある。ライムの周囲を、サックスをはじめとする有能なスタッフが固めているのも特色で、TVドラマ〈鬼警部アイアンサイド〉(車椅子の探偵というところも似ている)や、江戸川乱歩の創造した明智小五郎と少年探偵団チームを連想させられる。
 それに対し、キャサリン・ダンスにはライムほどの天才性はない。それどころか、私生活では思い出したくない過去があったり、事件では捜査の進め方のせいで困った立場になったりと、弱点が多いキャラクターなのである(新作ではお母さんが大変なことになってしまう)。そうした主人公の成長を見守るシリーズなのだろう。喜怒哀楽を素直に表わすダンスに、リンカーン・ライム以上の親しみを感じる読者は多いはずだ。

 最後に情報を。今回の講演会の模様は、まもなくエキサイト・レビューにてほぼ全部が掲載される予定だ(第一回:http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20101117/E1289938110846.html)。そのときに会場で出たものを含め、ディーヴァーがファンの質問に答える、Q&Aも情報サイト「翻訳ミステリー大賞シンジケート」で近日中に公開される。また、同サイトにはディーヴァーの六日間の日本滞在記が掲載済みなので、関心がある方はぜひアクセスしてみてもらいたい(http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/20101115/1289777951)。

(杉江松恋)

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