【今週はこれを読め! ミステリー編】夢と現実が不思議にシンクロする『アリス殺し』

文=杉江松恋

  • アリス殺し (創元クライム・クラブ)
  • 『アリス殺し (創元クライム・クラブ)』
    小林 泰三
    東京創元社
    1,860円(税込)
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 ルイス・キャロルは、ミステリー・ファンが愛してやまない幻想作家である。この欄で以前に紹介した今年の江戸川乱歩賞受賞作、竹吉優輔『襲名犯』(講談社)も、キャロルの詩「スナーク狩り」から想を借りた「ブージャム狩り」が応募時の題名であった(こっそり書いてしまえば、今でも元の題のほうが素敵だったと思っている)。

 フレドリック・ブラウン『不思議な国の殺人』(創元推理文庫)は、事件関係者が『不思議の国のアリス』マニアばかりという粋な趣向の作品、辻真先の日本推理作家協会賞受賞作である『アリスの国の殺人』(徳間文庫)のように、アリスの世界に迷いこんでしまい、その中で殺人(被害者は猫なのだが)事件の捜査を行わなければならなくなる、というおもしろいものもある。そもそも物語の主人公アリス自身が、お姉さんの朗読を聞いているうちに本の世界の中に迷いこんでしまうという内容なのだから、現実と幻想の間の壁を飛び越える行為には非常に親和性の高い題材なのである。

 小林泰三『アリス殺し』(東京創元社)は、その『アリスの国の殺人』に似た構造を持つ作品だ。

 主人公の栗栖川亜理は理系の大学院生である。彼女は不思議の国に迷いこんでしまったアリスの夢しか見たことがないという人物なのだが、その中で玉子人間のハンプティ・ダンプティが墜死するという事件に遭遇する。夢から覚め、大学に行った彼女は王子玉男という博士研究員が死亡したことを知らされる。彼は玉子と綽名されるほどのまんまるな体型であり、死因もハンプティ・ダンプティと同じ建物からの墜落であった。目撃者によれば死の直前の王子は、屋上の端に座って足をぶらぶらさせていたのだという。なぜそのようなことを。そして死は自殺なのか事故なのか、それとも殺人なのか。

 偶然の符合に驚く亜理は、もう一つの世界で理不尽な事態に遭遇する。ハンプティ・ダンプティが割れた直後、アリスを現場付近で見たという証人が現れたのだ。もし彼女がその死に責任を負うべきと判断されれば、女王の裁きによって首をちょん切られてしまうだろう。

 夢の中では第二の犠牲者が出る。そしてそれと符合するかのように亜理の世界でも死者が出てしまうのである。二つの世界は同調しているらしい。夢の世界での登場人物は別の世界にも形を変えて存在している。その人物でも一方で命を喪えば、もう一方でも同じように死んでしまうのだ。アリスを理不尽な死から救おうとして亜理は奮闘するのだが、ご存じのとおり不思議の国の住人は当たり前の論理では動いてくれず、とんちんかんな言動しかしない。循環論法や詭弁を繰り返す相手に疲れ果てた亜理は、現実界でも不思議の国の住人の化身である人間を探し始める。

 二重写しの不思議な物語。この中盤までの展開を紹介しただけでも読みたくなってうずうずしてきたはずだ。しかし、さらに先がある。なんといっても『大きな森の小さな密室』の作者が書いた長篇ミステリーですから。奇想天外なSF『天獄と地国』を書いた小林泰三ですから。

 最後の数章では波乱に満ちている。あっと驚くような事実が茶飲み話でもするかのような当たり前さでつきつけられるので、さらにびっくりさせられるのである。そして、哀しみに満ちた終章。こんなに切なくなる終わり方の小説にはひさしぶりに出会った。客船が出航し、別れのテープが少しずつちぎれていく。水平線の向こうに船が消えるまで、その後ろ姿を見送り続ける。そんな感じで、物語は去っていく。さようなら、さようなら、と読者はいつまでも手を振り続ける。

(杉江松恋)

  • 大きな森の小さな密室 (創元推理文庫)
  • 『大きな森の小さな密室 (創元推理文庫)』
    小林 泰三
    東京創元社
    924円(税込)
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