【今週はこれを読め! ミステリー編】有栖川有栖『捜査線上の夕映え』のチェンジ・オブ・ペースがすごい!

文=杉江松恋

 このチェンジ・オブ・ペースがすごい賞を差し上げたい。

 いや、そんな賞はないのだが。

 有栖川有栖『捜査線上の夕映え』(文藝春秋)の話である。

 チェンジ・オブ・ペースというのはご存知の方も多いと思うが、小説の途中で主人公が遠い場所に旅に出たりして、それまでとは雰囲気ががらりと変わる、あの感じのことである。ジブリファンの方は『千と千尋の神隠し』で千尋が列車に乗った後のことを思い浮かべるといい。ここ数年で出たミステリー・犯罪小説の中でいいな、と思ったのがビル・ビバリー『東の果て、夜へ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)で、それまでのひりひりと火傷しそうな熱い空気が、ある場面で一気に変化する。温度が下がるだけではなくて、時間の流れが遅くなるような感覚さえあった。ニック・ハーカウェイ『世界が終わってしまったあとの世界で』(ハヤカワ文庫NV)なども実にいいチェンジ・オブ・ペースが使われていた。こうして題名を挙げてみてわかったのだが、私はどうもこの技法が好きなようなのである。チェンジ・オブ・ペースだ、と思うとそれだけで作品に加点する癖がある。

 で、『捜査線上の夕映え』である。

 本作で使われているチェンジ・オブ・ペースの技法は横溝正史『悪魔が来りて笛を吹く』(角川文庫)を思わせる。有名作でもあるし、くどくど説明はしない。第十三章「金田一耕助西へ行く」からの数章こそがこの小説の読みどころなのではないかと私は考えている。それを連想させる展開が『捜査線上の夕映え』にはあるのだ。これだけの情報で琴線に触れるものがあった読者ならば即買いで間違いない。

 そうではない方のためにもうちょっと説明しておこう。『捜査線上の夕映え』の初出は「別冊文藝春秋」353(電子版37)号から356(電子版40)号である。雑誌の刊行で言えば、2021年4月から10月であり、日本列島全域に新型コロナウイルスが蔓延していた時期にあたる。そのため探偵役を務める英都大学准教授の火村英生と相棒の推理小説作家有栖川有栖(アリス)も窮屈な自粛生活を強いられている。物語はアリスが、住んでいる大阪府の周縁部を列車で巡る、小さな鉄道旅を試みる場面から始まる。束の間の解放感を得ようとしたのだ。その際に大阪駅で見た夕景が物語を貫くモチーフとなる。



――美しくて、優しくて、どこか懐かしい。
 世界はこんな貌も持っているのか、と私は見惚れる。言葉がなかった。



 有栖川有栖読者には説明の必要がないが、このシリーズには1997年に発表された『朱色の研究』(角川文庫)という長篇があり、その中でも夕景が重要な意味を持って描かれる。序章は同作と対応しているのではないか、とファンならば期待が高まるところだ。

『捜査線上の夕映え』で火村&アリスが取り組むのは、元ホストの男がスーツケースに詰め込まれた死体となって発見される、という事件だ。建物に出入りする者は監視カメラで撮影されているため、すべて記録に残される、というのが大前提になる。何人かの容疑者が浮上するのだが、いずれもアリバイが成立する。だが、おかしなことに事件を巡る状況はちぐはぐで、どうも上手くいっていないのではないか、という印象を受ける。火村に同行したアリスの目を通じて読者にそう伝えられるのだ。

 新型コロナウイルスが猛威を振るっている最中ということで、捜査会議が変則的な形で行われるなど、現実と地続きの形で描かれる点が興味深い。今ここ、まさに2021年の日本で起きている事件なのだ。事件をめぐるちぐはぐさも、今までとは違ってしまった現実に感じる違和と重なって見える。同時代の読者に働きかけようとする作者の嗅覚は優れている。

 物語の前半がこうした感じでじりじりとした進みで綴られるのは、後半部にチェンジ・オブ・ペースが待ち受けているからであることがやがてわかる。どういう風に空気が変わるのかはあえて書かない。ああ、なるほど、これはコロナの時代の小説だ、と私は感じた。その感覚を読者にも味わっていただきたい。

 チェンジ・オブ・ペース以外のことを書いておく。ここしばらくの火村英生シリーズは、名探偵が登場して推理するタイプの謎解き小説のフォーマットに新たなバリエーションを加えるような実験を常に行っている。たとえば2015年の『鍵の掛かった男』(幻冬舎文庫)がそうで、監視カメラを前提とした社会、科学捜査が当たり前となった時代において、どのような筋道で探偵が思考するかを再検討した作品だった。本作もそうだ。監視カメラの前提は疑われない。そこをかいくぐるというのは完全なシステムエラーである。エラーはよほどのことがない限り起こらないのだ。そうした世界に例外中の例外が起こりうるのか、起こるとすれば読者が納得できる形でそれを示すことができるか。そうした試行を作者は行っているのである。どんな論理が用いられるか、ということだけではなく、どのようにそれは示されるのか、にもぜひ注目していただきたい。

 実に凝ったことをやっている、というのは後半部を読めばわかるはずだ。いかに珍奇なものを持ってこずに、それまでなかった推理の形を作れるか。スーパーマーケットで売っている素材だけを使って豪華料理のフルコースを調理できるか、という比喩を使ってもいい。そういうことをこの作者はやっている。有栖川有栖はエラリー・クイーン推理小説の信奉者だ。だが、クイーンの時代に実作者がこうした労力を強いられることはなかっただろう。さまざまな技巧が使い尽くされ、新しい手などないと思われている現代だからこその挑戦なのだ。これこれ、こういう職人芸にも私は弱いのである。

(杉江松恋)

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