【今週はこれを読め! ミステリー編】立体的なキャラクターのぶつかり合いがおもしろい!〜エリー・グリフィス『見知らぬ人』

文=杉江松恋

  • 見知らぬ人 (創元推理文庫 M ク 28-1)
  • 『見知らぬ人 (創元推理文庫 M ク 28-1)』
    エリー・グリフィス,上條 ひろみ
    東京創元社
    1,210円(税込)
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 やはり英国ミステリーの醍醐味とはキャラクター小説の魅力なのだ。

 と、エリー・グリフィス『見知らぬ人』を読んで再確認したのである。

 ここで言うキャラクター小説というのは、奇矯な人間がわんさか出演する作品、という意味ではない。いや、変人小説の系譜もあって、大学教授探偵のジャーヴァス・フェンを創造したエドマンド・クリスピンが好例なのだが、それはそれとして、だ。

 キャラクター小説とは、主要な登場人物の性格や行動様式などが、プロットと分かちがたく結びついている作品である。主人公に癖があれば、物語もそれに沿って歪む。愛する人に真意を伝えることができないシラノ・ド・ベルジュラックのような男の一代記は、おかしくもやがて哀しき恋物語となるのが当然だろう。そういうのがキャラクター小説だ。

 本作の舞台は、かつて「見知らぬ人」という怪奇短篇を書いたことでカルト的な人気があるヴィクトリア朝の作家が住んでいた館である。そこは今タルガースという中学校になっていて、語り手のクレア・キャシディも英語教師として教鞭を執っている。彼女はまた「見知らぬ人」の作者R・M・ホランドの研究者であり、出版のあてもなく評伝を書き続けているのである。ホランドの書いた手紙が見つかった、という連絡を受けてキャシディが相手の勤めるケンブリッジ大学に行く場面など、いかにも英国ミステリーの序盤という感じがしていい。オックスフォードとケンブリッジ、併せてオックスブリッジとも言われる両校は英国の最高学府だが、彼女は自分がそこの出ではないことに潜在的な劣等感を抱いている。曰く、「オックスブリッジ出身者はそう言わなければならない。そうでない人は"大学にいたころ"と言わなければならない。それがルールなのだ」と。彼女は「そうでない人」なのだ。このへんは日本における東大出身者の扱いに似ている。

 離婚した夫がいて、それが再婚したあとどんな俗物になったとか、キャシディの娘がタルガースに在籍中だが21歳の恋人ができて気をもんでいるとか、そういう身辺の話が興味深く語られているうちに事件が起きる。キャシディの同僚であるエラ・エルフィックが殺されてしまうのだ。彼女とキャシディはタルガースに一緒に就職した、いわば同期だった。あることがきっかけでキャシディが故人に対してわだかまりを持っていた、ということもおいおいわかってきて、ようやく彼女の本音が見えてきた、というところで語り手が交替する。

 第二部の語り手は事件を捜査する地元警察のハービンダー・カー部長刑事だ。彼女がクレア・キャシディに最初から反感を抱くのがおもしろい。



――クレア・キャシディはまちがいなく幼少期にバレエを習っていたはずだ。まさにそういうタイプに見えた。おそらく背が高くなりすぎてあきらめたのだろう。



 これこれ。つまり、一人のキャラクターの印象が強くなった瞬間に、その人物を客観的に眺める視点を出して人間像を立体的にしていくわけである。キャラクターの立体視、という言葉はとっさに今作った造語だ。この技術は英国ミステリーの伝統芸と言ってもいいが、あえて前面に押し出すことで一時代を築いたのがミネット・ウォルターズである。英国ミステリーの影響を受けた現代作家はみなこれをやる。ハービンダー・カーはシーク教徒であり、同性愛者であることもおいおいにわかってくる。クレアに対する反感はそのへんにも理由がありそうだ。異性愛者様の考えることはようわからん、とこぼす場面もある。有能そうでまっとうな人物に見えるのだが、周囲がちょっと引いてしまっている形跡もある。この人物が好評だったので、カーが登場する第二弾をグリフィスは書いたそうだ。もしかするとフロストとかダルジールみたいな人気が出るかもしれない。

 さて、殺人の話題である。この殺人はクレア・キャシディと骨絡みに関係があるように見える。なぜならば、死体のそばには「見知らぬ人」でたびたび引用されるシェイクスピア作品の一節が書かれた紙片が置かれていたからだ。明らかに犯人は、ホランドの短篇と自身の行為とを結びつけようとしていた。さらに事件が起こり、「見知らぬ人」との関係をカーは無視できなくなる。キャシディも無視できない出来事によって、身辺近くに犯人が迫っていることに怯え始める。

 架空の小説家ホランドの作品「見知らぬ人」が分割された形で本文の随所に挿入されている。詳しく書くと中盤以降の展開を明かすことになってしまうが、物語の中では小説の虚構が登場人物たちの日常を侵してくる瞬間が到来するのである。現実と非現実の境界があやふやになるゴシック・ホラーの黒い空気が、そのことによって作品中にも流れ込んでくる。ここが第二の魅力である。キャラクター小説であり、怪奇小説的な世界観を持つミステリーでもあるということだ。

 ここまで書いていないが、語り手はもう一人いる。その人物も含めての三つ巴の視点転換が、読者に複数の容疑者を呈示するのに貢献している。登場人物たちがみな複数視点で語られるのだから当然だ。後半、このミネット・ウォルターズ的手法によって、犯人当ての興趣はどんどん増していく。古典的な探偵小説は作者も意識しているようで、終盤には語り手が怪しい人間を上げて容疑者リストを作るという実に懐かしい展開が出てくる。英国ミステリーのお家芸である意外な犯人像の創造に作者は挑んだが、それが成功しているかどうかはぜひ実際に読んで確かめてみていただきたい。

 エリー・グリフィスには未訳だが本国では人気を得ている人気作品のシリーズがある。そちらで複数の賞にも輝いているのだが、初めて書いたシリーズ外の作品である本作で2020年度のアメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)の最優秀長篇賞を獲得した。大西洋の両岸で期待される作家なのである。上に書いたようにいろいろな魅力があるが、なんといっても自意識の強いクレア・キャシディとハービンダー・カーのぶつかり合いが読みどころだろう。陰口を叩くカー部長刑事が愛らしく、喝采を送りたくなるのだ。

(杉江松恋)

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