焦燥感と暴力に満ち溢れた犯罪小説『黒き荒野の果て』

文=杉江松恋

  • 黒き荒野の果て (ハーパーBOOKS)
  • 『黒き荒野の果て (ハーパーBOOKS)』
    S・A コスビー,加賀山 卓朗
    ハーパーコリンズ・ジャパン
    1,210円(税込)
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 俺は俺の知っている俺ではありたくない。

 S・A・コスビー『黒き荒野の果て』(ハーパーBOOKS)とはそういう願いの物語である。自分を縛るものは自分の外にはない。自分が自分であるという事実そのものが、決して外すことのできない重い鎖なのだ。そこから抜け出そうとあがく男の姿を描いた犯罪小説である。吹きすさぶ風と銃撃の音、そしてじりじりと身を焼くような焦燥感に満ち溢れた物語だ。

 そして暴力。

 バグことボーレガード・モンタージュは、ヴァージニア州シェパーズ・コーナーで自動車修理工場を経営する男だ。妻キアとの間にジャヴォンとダレンの二人の男の子を授かった。そのほかにもう一人、元妻に引き取られたアリエルという娘がいる。アメリカ南部州で誰にも頼らずに暮らしている黒人男性としては、まずまずの人生だと言える。しかし、ボーレガードはここまで表街道ばかりを歩いてきたわけではない。裏稼業の符丁で、車を飛ばす運転手をホイールマンと呼ぶ。かつてのボーレガードは伝説級の腕を持つホイールマンだった。金を稼ぎ、引退して、今の暮らしを手に入れたのだ。

 ボーレガードの中に、裏稼業の人間だったころの荒々しさがまだ残っていることが冒頭の章で示される。ボーレガードに車のレースを挑んだ男は汚いやり口をした。にせ警察官に賭け金を押収させたのだ。男をつかまえたボーレガードはレンチでそいつを殴り、右足首の骨を折る。金を取り返すだけではなく、吐いた言葉を撤回させた。男はボーレガードがレースでインチキをしたと言ったのだ。それは根も葉もない嘘だった。

 初めから熾火は燻っている。それはいつか燃え上がるだろう。ボーレガードの周りで次第に事態が悪化し始める。大金を必要とすることがいくつも持ち上がったのだ。キアは夫が悪い仕事に戻ろうとしていることを察知し、止めるように懇願する。しかしボーレガードはすでに歩き始めている。昔の仕事仲間であるロニ・セッションズに声を掛けられた。一度だけだ。一度だけ仕事に戻って、金を稼いだらまた堅気に戻るのだ。

 その一度の仕事で、ボーレガードがどんなホイールマンなのかははっきり判る。神業だ。これまでさまざまな強奪小説が書かれ、逃走場面が描かれてきたが、ここまで鮮やかな印象を残す作品はなかったのではないだろうか。犯罪小説作家としての並々ならぬ膂力を、コスビーはこの場面で見せつけてくれた。拍手するしかない。そして、なんと。小説はまだ200ページ以上残っている。このあとさらに何を見せてくれようというのか、と怖くさえなってくる。

 本作が2020年に発表されるとたちまち話題になり、マカヴィティ賞、アンソニー賞、バリー賞の三冠に輝いた。コスビーがどのくらい期待されているかは、先輩作家たちがこぞって彼を絶賛しているという事実でもわかる。誰でも褒めちゃうスティーヴン・キングはまあ別格として、リー・チャイルド、ウォルター・モズリイ、デニス・ルヘイン、ローラ・リップマン、などなど。アメリカ犯罪小説界が総立ちでスタンディング・オベーションを贈っているようなものだ。『ゴーストマン 時限紙幣』のロジャー・ホッブズ以降、最も有望な新人なのではないだろうか。ホッブズが夭折したのは犯罪小説にとって大きな痛手だったが、その穴を埋めるように新星が出現した。ホッブズはどちらかといえば複数のプロットを組み合わせて新しいものを作るのが巧い作家だったが、コスビーは既存の物語類型をそのまま使い、キャラクターの存在感を前面に押し出して中央突破していく。力の1号、技の2号という感じ。念のために書いておくと、コスビーが1号だ。

 本作を魅力的なものにしているのは第一にバグことボーレガードの人物造形で、堅気でいたい、よき家庭人でありたいと考えながらも、流されて闇の側に進んでしまう。彼が運命に弄ばれるようになったのは、父親であるアンソニーの呪いかもしれない。やはりプロの犯罪者であったアンソニーは、彼なりのやり方で息子を愛した。ボーレガードは自分を捨てていなくなった父親への思慕を捨てきれないのである。彼の愛車であるダスターは父親から譲り受けたものでもある。妻のキアはその車が夫を縛る鎖であることに気づいている。いくら廃車にするように勧めても、夫は絶対に同意してくれないのである。

 ボーレガードは他人に誠実であろうとしているのに自分自身に対しては嘘を吐いてしまう男だ。だから自分の嘘の象徴であるダスターを捨てることができない。手にした銃を捨てない限り他の人と同じような平和な日常を送ることはできないのに、俺は安全装置をかけてしまっておける男だから、とそれをダッシュボードの中に入れっぱなしにしてしまう。それがボーレガードだ。この弱さが何を産みだしてしまうか、という物語に小説の後半はなっていく。

 主人公以外のキャラクターも実に濃い。殺した相手に火をつけて始末するのが好きで、自らも顔にひどいやけどの痕があるバーニング・マン、どうしようもなく愚かで嘘吐きなロニー、その兄貴に運命を狂わされっぱなしの不幸な弟レジーなど、強烈な印象を残す面子がぞろぞろ出てくるので楽しみにしていただきたい。ワイルドカードとして物語の筋をねじれまくったものにさせるロニーは、貧しいゴミ白人には戻りたくない、ゴミでもいいが貧しいのは絶対に嫌だ、と考える男で、執着だけで生きている。よくぞこんな人間を作り出したものだ、と感嘆させられるような名脇役である。人間の生々しい欲望を描かせると上手い作家なのだろうな、と思う。

 加賀山卓朗の訳文は力が入っていて、本作にかける意気込みを感じさせる。まるでボーレガードが乗り移ったような箇所を最後に紹介しておこう。この緊張感がずっと続くのである。背筋に電流が走りまくるってものだ。

――バンを時速百五キロまで加速してスロープを狙ったそのとき、それを感じた。この夜初めてだった。ハイな感覚、活力(ジュース)、人と機械の象徴的な結びつき。血管を流れて手の先まで届く血のように、アスファルトからハンドルとサスペンションを経由してのぼってくる律動を感じた。馬力と時速という言語でエンジンが語りかけてきた。走りたくてたまらないと語っていた。
 とうとスリルがやってきた。
「飛ぶぞ」ボーレガードはささやいた。

(杉江松恋)

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