【今週はこれを読め! ミステリー編】何が出てくるかわからない潮谷験『エンドロール』

文=杉江松恋

 もはや潮谷験という名前を見ただけで条件反射的に本を手に取ってしまうレベルだ。

『エンドロール』は第63回メフィスト賞を受賞して2021年にデビューを果たした作家の第3長篇である。メフィスト賞にはジンクスがあると思っていて、伸びる作家はとにかく受賞してからの執筆が速い。第1回受賞作『すべてがFになる』の森博嗣しかり、第9回『QED 百人一首の呪』の高田崇史しかり、第23回『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』の西尾維新しかり。デビューしてから次が出るまでが長かった、第45回『図書館の魔女』の高田大介のような例もあるから絶対ではないが、この賞を獲って出世する作家の条件は、とにかくデビューした時点でたくさんタマを準備していることだと思う。潮谷の前、第62回『法廷遊戯』の五十嵐律人も速い作家であった。この2人に共通するのは、シリーズものではなくて単発作品を次々に送り出していることである。

『エンドロール』は2022年に最も書かれるべき作品、つまり新型コロナウイルス蔓延の後を描いた小説である。感染拡大予防を第一とする社会はそれまでのシステムを大幅に変更することを余儀なくされた。それで最も割を食ったのは、若い世代である。まだインフラストラクチャの恩恵を享受していないのに、それを突如制限されることになった。教育機会も十分ではなかった。リモートによってそれを行うという前例がなかったため、満足な対応がとられなかったのである。すべてにおいて上の世代よりも少なく、しかも文句を言うことが許されない。さらには社会を元通りにするために貢献しろともせっつかれる。世代間格差がまかり通るなかで潜在的な厭世観が増大していく。その中である有名評論家が、世界に背を向けて自殺することを奨励した書を著し、自ら命を絶つのである。その危険な思想は、文字通りウイルスのように拡散を始める。

 念のために書いておくが、上記は作中のお話。つまり虚構だ。しかしこういうことが現実に起きないと断言できる人は少ないのではないか。自死を美化する人々は、生命自律主義者を名乗るようになる。実際にそうした形の死も頻発するのである。主人公の雨宮葉は、この生命自律主義の蔓延を、ある理由から阻止したいと願い若者だ。その理由というのが極めて個人的なものであるというのがいい。大義ではないのである。自分自身が立っている場所を守るために頑張る主人公というのはエンターテインメントの基本だろう。

 展開を詳しく書くと未読の方の興を削ぐことになりかねないので、飛ばし飛ばしで紹介する。自律主義者と議論によって闘うことになるというのが序盤の山だが、ここで早くも一回目のどんでん返しがある。それまでの思い込みがすべて無に戻されて、新しい見方で物語に向き合わなければならなくなる。この繰り返しで『エンドロール』という作品はできている。どんでん返しというよりも、馴れてきた頭に活を入れるための仕掛けというべきか。油断しているとすぐに活を入れられ、そのたびにびっくりする。

 中盤は謎解きミステリーの展開になる。何が起きるかわからないなあ、と思って恐る恐る進んでいたら、突然最も狭義のミステリーになるので逆に面食らってしまうくらいだ。この小説には複数の謎が存在するが、5W1Hのうちでもwhatの疑問符が頭上に浮かんでいる時間が最も長いはずである。何が起きているかわからない、何を作者が企んでいるか見えない、という状態である。続いて多いのがwhyである。その時点で何が起きているか判明すると、次にその行為に臨む者たちの動機が知りたくなってくるのだ。小説の中心にあるのが自殺という極めて個人的な行為なのだから当然だろう。その人物はなぜ死というやり直しのきかない手段を選ぶのか。それが中心にある謎である。

 死が不可逆の現象であるということを常に念頭に置きながら、各登場人物の動機については考えていかなければならない。これが特殊な点だ。主人公である葉の場合、病魔のために若くして亡くなった姉・桜倉が死に瀕してどんなことを考えたか、ということが行動を縛る鎖になっている。彼以外の登場人物も、自分以外の誰かの死に思いを馳せないことには何もできない状態になっているのだ。行動を縛る鎖が強固であればあるほど、その物語は動的なものになる。鎖を解こうとしてこめられる力が強いからだ。これも物語作法の基本である。

 狭義の謎解きミステリー的展開になってからのことはあえて触れずにおく。新しい情報が判明するたびに仮説が入れ替わって論理が組み立て直されるから楽しい瞬間が何度もくるよ、とだけ書いておく。ちゃんとwhoとかhowなどの謎についても扱われるから古典的な探偵小説ファンが読んでももちろん楽しめるよ、とも。あと、ねじれた論理も披露される。180°とか360°じゃなくて540°くらいねじれているので一見飲み込みにくそうに見える謎解きも出てくる。乞うご期待だ。

 手前味噌になるが、千街晶之・若林踏両氏と私の三人で決定している「リアルサウンド認定2021年度国内ミステリーベスト10」の第1位に輝いたのが、潮谷の第2長篇『時空犯』であった。この作家の非凡な点は、毎回作品の内容がまったく違うところである。デビュー作の『スイッチ 悪意の実験』は「押すだけで一家族を破滅させられるスイッチ」を渡された人々の中で、誰が実際にそれを押したのかという犯人捜しが行われる話だった。『時空犯』はタイムリープが現実に起きてしまうようになったという設定で、繰り返される時という特殊な条件下での事件が描かれる。探偵が真相に到達するために現実から最も遠い場所を経由することが求められるのに、謎を解くべき事件はしっかりと現実に足のついたもので、その逆転した構図に妙味があった。今時珍しい鉄道ミステリーでもあったし。

 こんな感じで毎回毎回何が出てくるかわからない小説を書くのだ。読者はそりゃ本を手に取るだろう。読むだろう。気になって仕方ない作家、潮谷験の次回作はすでに『エンドロール』巻末に予告が出ていた。題名は『あらゆる薔薇のために』、2022年秋発売の予定だ。あと半年か。やっぱり速いな。

(杉江松恋)

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