【今週はこれを読め! ミステリー編】モーリス・ルヴェルの恐怖の世界『地獄の門』

文=杉江松恋

  • 地獄の門 (白水Uブックス)
  • 『地獄の門 (白水Uブックス)』
    モーリス・ルヴェル,中川 潤,中川 潤
    白水社
    2,200円(税込)
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 どーして、そーなるのっ。

 コント55号時代の萩本欽一ばりに読みながら叫んでしまったのが、モーリス・ルヴェル『地獄の門』(白水Uブックス)である。どうしてそういう展開に持っていけるのかなあ。持っていけないだろう、普通は。

 そういう展開とは読者が恐怖を覚える物語ということである。ルヴェルは1875年にフランスのロワール地方に生まれ、パリで医学を学んだ後に短篇小説を書き始めた。その多くは惨たらしい死や皮肉な運命を描いた恐怖小説であるという。残酷趣味で知られるパリのグラン=ギニョル劇場のためにも戯曲を書き下ろしており、『グラン=ギニョル傑作選 ベル・エポックの恐怖演劇』(水声社)にも「闇の中の接吻」が収録されている。これも、本当に舞台で演じられたの、信じられない、というような怖いお話である。

 ルヴェルの恐ろしさは、たとえば本書に収録された「鐘楼番」のような作品によく現れている。町の鐘楼上で老いた番人が寝起きをして暮らしている。ある深夜、彼は下界で火事が起きているのを発見する。それも火元は娘の家だ。住民たちは寝静まっていて、誰も気づいた様子はない。老人は狼狽するが、鐘を鳴らして変事を知らせることを思いつく。だが、老いた身のおぼつかなさで、なかなか鐘を鳴らしに行くことができない。挙句、梁に膝をぶつけてしまったりする。コントかっ。ああ、鐘を鳴らすことはできないのか。決定的な破局はもうそこまで迫っている。

 こんな内容だ。この話、普通ならハッピーエンドになるだろう。なんとかして鐘を鳴らすことに成功し、大惨事は食い止められる。物語の必然としてもそれしかありえない。しかしルヴェルは違うのである。ここから残酷劇へと物語を向かわせていく。しかも読者の誰も想像できないような、とんでもない展開を使って。結末を読めば、絶対に叫びたくなるはずだ。どーして、そーなるのっ。

 これが36回繰り返される。読んでいるうちに生じるグルーヴ感のためにだんだん頭が麻痺してくる。ルヴェル界とでも表現するしかない因果律の中に呑みこまれていくのだ。各篇も恐ろしいが、そういうルヴェル脳に自分が侵されていくのも怖い。『地獄の門』とはよく言ったもので、目の前に真っ暗な闇を覗かせて扉が開いているような幻を見る。

 ルヴェルは医学生でもあったので、治療の失敗を題材にした作品も多く書いている。近代的で清潔な印象のある医療の現場が見る見るうちに血で汚されていく。その心象風景は、当時の読者の肝胆を寒からしめたに違いない。たとえば「変わり果てた顔」は、戦争でひどい怪我を負い、風貌も損なわれてしまった男が、息絶えるまでの作品だ。これほどまでに死を絶望的に描いた短篇は珍しい。「奇蹟」も同じで、ある絶望的な結末に向けて話は淡々と進んでいく。人間はあまりに絶望すると、落ちるところまで落ちることに逆の喜びを見出すのだということが書かれた短篇である。

 医療ものの白眉は「消えた男」で、ガスパールという人物が行方不明になることから話が始まる。すると一人の男が警察署に現れ、長い告白を語り出すのである。男は前途に絶望した医学生なのだが、この話が出だしの失踪とどう関わるのだろう、と思って読んでいると、ある事実が判明し急転直下の落ちにたどりつく。やはり読者は叫ぶはずだ。どーして、そーなるのっ。

 百戦錬磨の変化球投手みたいなもので、どんな話を始めても絶対に恐怖のストライクゾーンに収めることができる。練達の技が素晴らしい。話を無理に残酷なほうにねじ曲げていくのではなく、ストーリーテリングの技術によって自然に誘導しているのである。心理の綾を熟知した書き手であり、人間は決定的な場面で間違った決断をしてしまうもの、取り返しのつかない失敗で人生を損なってしまう生き物であるということを繰り返し作品では書いているのである。ミステリーとして素晴らしいのは三角関係を描いた「足枷」だ。莫大な財産を残して夫が死に、後には妻とその愛人が残される。設定自体はありふれているのだが、ここに心理の逆転が描かれる。題名の足枷が示す意味が判明したとき、私はひたすら感嘆するしかなかった。なるほど、そういうことか。こういう風に人間を書ける作家だから、恐怖を描いて読者を手玉にとれたのか。

 ルヴェル作品は戦前から日本でも『新青年』などの雑誌に訳載され、人気を博していた。だが、作品集は『ルヴェル傑作集』(創土社)、『夜鳥』(創元推理文庫)の二冊しか刊行されていない。これは本国でも同じでルヴェルは数百に上る短篇を書いているというが作品集は二冊しか出ていないのだ。本書は1910年に刊行された『地獄の門』から選抜したものに、単行本未収録の作品を加えた日本オリジナルの短篇集である。

 ルヴェル、という名を聞いただけで恐怖の感情が湧き上がってきてしまう読者がいる。一定以上の年齢に限られるだろうが、あなたもどうぞその仲間入りを。夜中にルヴェルを読んで飛び上がろうではないですか。

(杉江松恋)

  • 夜鳥 (創元推理文庫)
  • 『夜鳥 (創元推理文庫)』
    モーリス・ルヴェル,Level,Maurice,田中 早苗
    東京創元社
    1,100円(税込)
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