【今週はこれを読め! ミステリー編】こどもたちが不可能犯罪に挑む〜シヴォーン・ダウド『ロンドン・アイの謎』

文=杉江松恋

  • ロンドン・アイの謎
  • 『ロンドン・アイの謎』
    シヴォーン・ダウド,越前 敏弥
    東京創元社
    2,090円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

 何気なく読み始めて、あ、これ不可能犯罪ものなんだ、と気づいた。

 シヴォーン・ダウド『ロンドン・アイの謎』(東京創元社)である。作者はヤングアダルト系の作品を多く発表した人で、本作もビスト最優秀児童図書賞(現・KPMGアイルランド児童図書賞)を贈られている。ファーストネームのスペルがSiobhanなのにシヴォーンと表記されるのは不思議なのだが、アイルランド語の読み方なのだろうか。

 作者はもともと国際ペンクラブに属して作家の人権擁護運動に関わっていた人で、英国ペンクラブでも恵まれない若者のための事業に関わっている。作家としてのデビューは2006年、『ロンドン・アイの謎』は第二作である。惜しくも本作発表の直後に乳がんのために亡くなったが、その構想を元にパトリック・ネスは『怪物はささやく』(東京創元社)を執筆、同作でカーネギー賞を受賞した。シヴォーン作品も、死後の2009年に刊行された『ボグ・チャイルド』(ゴブリン書房)が同賞を獲得している。『ボグ・チャイルド』は北アイルランド紛争にした犯罪小説で、社会の背景をしっかりと描き込んだ力作だった。ダウドは、47歳で夭折しなければこの分野に大きな足跡を遺していたことだろう。

 題名になっているロンドン・アイとは1999年に開業した大観覧車のことで、2006年までは世界一の規模を誇っていた。一周するのに約30分かかるという。主人公のテッドは12歳の少年で、ある日姉のカット、初めて会ったいとこのサリムと共にこの大観覧車を見物にやってくる。サリムは母親のグロリアおばさんに連れられて、間もなくニューヨークに移住するのである。三人がロンドン・アイに近づくと、チケットはあるものの高所恐怖症だから乗りたくないという男性が現れて、サリムにそれをくれる。喜び勇んで乗り込んだいとこだったが、一周して観覧車のカプセルが戻ってくると、降りてくる乗客の中に彼の姿はなかった。どこかに消えてしまったのだ。

 中心に据えられているのは密室からの消失という謎である。当然だが一家は大騒ぎになり、愁嘆場が繰り広げられる。その中でテッドはカットと共に事件の謎解きに取り組み始める。早速八通りもの仮説を提示するのが見事だ。その中には人体自然発火やタイムワープといったまったくありそうもないこともあるが、ほぼすべての可能性を網羅していると言ってもいい。八つの仮説をカットに否定された後にテッドは九つ目を提示しようとする。変なやつじゃないでしょうね、と疑いの眼を向ける姉に対して「変な仮説じゃない」「それどころか、このなかでいちばんいいと思う」というとっておきを披露しようとした途端に邪魔が入って章の切れ場になる、というのはかつてディクスン・カーが多用した手だ。

 本作の重要な点は、テッドやサリム、カットといったこどもたちの世代の物語だということだ。騒ぎの中で我が子が探偵活動を続けていることを嫌がる母親は「ご近所にどう思われてるものやら」と激昂する。それに対してカットは「あたしたちは、なんとか力になろうとしてたんだよ」「でも、そんなこと、ママにはどうでもいいってわけね。あたしたちが何を考えてたか知ろうともしないんだよね」と言い返すのだ。こどもには自身の世界があり、正義があり、その中で秩序を保とうして努力している。そのことに無理解な大人とのすれ違いが描かれる。こどもは大人の付属物ではない。本作の主題の一つはそれだろう。

 もう一つ重要なのは、テッドのキャラクターだ。やたらと数字や、頭韻など言葉の法則性にこだわること、慣用句や比喩などをそのまま真に受けてしまう常識の欠落など、彼に思考形態が独自のものであることは読んでいてすぐわかるだろう。それらは「症候群」と呼ばれている。他人の気持ちを斟酌するようなことは苦手だが、物事の仕組みなどを見抜くのは得意である。サリムの母親であるグロリアおばさんは言う。「あたしたち全員を合わせたよりも、あんたの頭のほうがすごいって思うことがあるのよ、テッド。もし考えるだけでサリムが帰ってくるとしたら、それができるのはテッド、あんたしかいない」と。この小説における名探偵は、世界をみんなと違うやり方で見ているのかもしれない少年なのだ。誰にでも、その人にしかできない役割がある、とダウドは言いたいのだろう。

 一つのトリックで成り立っている小説なので、謎が解かれてしまうとあっけなく感じてしまうのは仕方ないが、よく読むと作者がフェアに手がかりを提示していることがわかる。あそこの表現、あの描写、そういえば気になったよな、と注意深い読者なら思うことだろう。また、推理を開陳する過程にも芸があり、最後までスリルが継続する。こどもたちにはこどもたちの世界がある、という大きな主題が結末で再び立ち上ってくる構成も見事だ。謎は、解かれるまでがいちばんわくわくして楽しい。だがこの作品は、謎が解かれた後にもう一つのお楽しみが待っているのである。小説として見事だな、と思う。

(杉江松恋)

  • 怪物はささやく (創元推理文庫 F ネ 2-1)
  • 『怪物はささやく (創元推理文庫 F ネ 2-1)』
    パトリック・ネス,ジム・ケイ,シヴォーン・ダウド原案,池田 真紀子
    東京創元社
    880円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • ボグ・チャイルド
  • 『ボグ・チャイルド』
    シヴォーン ダウド,Dowd,Siobhan,茂樹, 千葉
    ゴブリン書房
    2,200円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

« 前の記事杉江松恋TOPバックナンバー次の記事 »