【今週はこれを読め! ミステリー編】世界で最も高貴な探偵の物語『エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人』

文=杉江松恋

  • エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人 (角川文庫)
  • 『エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人 (角川文庫)』
    S・J・ベネット,芹澤 恵
    KADOKAWA
    1,430円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

 世界で最も高貴な探偵である。

 S・J・ベネット『エリザベス女王の事件簿 ウィンザー城の殺人』(角川文庫)は現在も英国王の位にあるエリザベス2世がお膝元で起きた事件に取り組むという物語だ。ウィンザー朝第四代の君主にあたるエリザベス2世は1926年4月21日生まれ。本作は2016年4月の出来事として書かれているので、女王89歳の出来事ということになる。

 ウィンザー城で宿泊晩餐会が行われた翌日の朝、女王は残念な報せを告げられる。前夜の集まりに呼ばれた若い男性が遺体で発見されたというのだ。ピアノを演奏するために招かれたロシア出身の音楽家である。死についての第二報は、さらに忌まわしい情報を含んでいた。それは殺人事件だったのである。クロゼットの中から発見された遺体は、全裸にドレッシングガウンという身なりで縊死していた。その恰好は、快楽を求めて自ら窒息状態になり、誤って事故死してしまったようにも見える。しかし体重がかかったことで締まるはずの紐の結び目は緩いままだった。何者かが彼を絞め殺した後で、そのような偽装を施したのだ。結び目には女性のものと思われる長い毛髪が一本挟まっていた。

 ウィンザー城はエリザベス女王にとって幼き日々の思い出が詰まった、わが家と呼ぶのに最も近い場所である。もし革命が起きたならばそこを居所とすることを請うて王位を退くだろうと考える大事な居館だ。そこで殺人事件が起きたというだけでも耐え難いのに、さらに女王を悩ませる出来事が続く。事件の捜査に当たった保安局(МI5)長官のギャヴィン・ハンフリーズが愚かしいことを言い出したのである。犯人は、ウィンザー城の使用人だというのだ。

 亡くなったマクシム・ブロツキーは、ロシアの現行政権に対する批判をたびたび行っていた。それを苦々しく思ったウラジーミル・プーチンがウィンザー城に潜入させたスパイ、すなわちスリーパーに彼を殺害させたというのである。そんな偶然がありうるものだろうか。そしてウラジーミル・プーチンほどの策略家が、他にいくらでも場所はあるだろうに、よりにもよって最も汚してはいけない、他国の王宮内で暗殺の手を下すというような愚行を犯すだろうか。MI5頼むに足りずと考えた女王は、若き秘書官補のロージー・オショーディの手を借りて、事件の捜査を開始する。

 頭脳役の老婦人探偵と手足となって働く若い女性という組み合わせの元祖はアガサ・クリスティーが1957年に発表した『パディントン発4時50分』(クリスティー文庫)におけるジェーン・マープルとルーシー・アイルズバロウあたりだろうか。C・C・ベニスンが『バッキンガム宮殿の殺人』以下の〈女王陛下のメイド探偵ジェイン〉シリーズでエリザベス2世とメイドのコンビ探偵を登場させており、女王と行動役のコンビという着想はベネットのオリジナルではない。日本のミステリーに近代以降の実在する天皇や皇族が登場することは極めて稀だが、英国での作例は結構多いのだ。人気のあるサブジャンルと言っていいかもしれない。たとえばピーター・ラヴゼイ『殿下と騎手』(ハヤカワ・ミステリ文庫)で探偵役を務めるのは、後のエドワード7世であるアルバート・エドワード皇太子である。

 本作の特徴は行動役のロージーだけではなく、エリザベス2世の視点で描かれる場面も多いことで、夫であるエディンバラ公フィリップの温厚な人柄が物語を和ませる重要な味付けになっている。ロージーにとってエリザベス2世は尊敬すると共にお気持ちを測りがたい存在であり、女王というヴェールの向こうに隠された真意を窺い知りたいという気持ちを読者は彼女と共有することになる。女王の人格を問うことが隠された主題にもなっているのだ。

 女王は探偵役ながら表立って推理を開陳するようなことはしない。周囲の者に与える影響を慮るからだろう。ここが残念な点でもあり、真相は他の者の口から語られる。他人のゴシップやスキャンダルについてべらべら語る女王というのはありえないだろうが、なんとか書きようはなかったものだろうか。本作はシリーズ化されているようなので、次作以降での改善を望みたい。「初歩的なことですよ、ロージー」とか得意げにのたまう女王というのもちょっと読んでみたいものである。

(杉江松恋)

« 前の記事杉江松恋TOPバックナンバー次の記事 »