【今週はこれを読め! ミステリー編】稼業一筋45年、60代女殺し屋の戦い〜ク・ビョンモ『破果』

文=杉江松恋

 追いついてくる時間をいかにすべきか。

 韓国作家ク・ビョンモの『破果』(岩波書店)はそういう小説だ。本作の主人公は爪角(チョガク)と名乗る女性である。偽名だ。生まれたときに授けられた名前は明かされない。爪角は六十五歳で、一頭の犬と暮らしている。犬の名は無用(ムヨン)、最後に獣医師のところに行ったときには十二歳だと言われた。

 ふたつきに一度くらい、爪角には仕事が入る。準備をして部屋を出るとき、彼女は無用を呼び、東の方角を向いて座らせると、言う。ちゃんと見な、窓が開いてるよ。無用がそっちを見ると、シンクの前の突き出し窓が外に開いている。無用が身をよじって抜け出せるほどの隙間がある。部屋の扉を開けて外に出してやれなくなったら、無用は自力で外に出なければならない。そのことを教えているのだ。爪角が扉を開けなくなる場合は二通り考えられる。一つは外で命を落としたとき、もう一つは部屋の中で死んだときだ。前者の場合、無用は室内で帰らない主人を待ってゆっくり餓死することになる。後者の場合、飢えた無用は結局主人の肉を喰うことになる。それをさせてはいけない。飼い主の肉を食った犬は、きっと安楽死させられるだろうからだ。

 六十五歳にしてひとり、そして常に自分の死について考えなければならない生き方をしている。それが爪角という主人公だ。彼女は仕事を斡旋してくれる会社と契約している身の上である。ふたつきに一度入るその任務を、会社に属する者は防疫と呼ぶ。誰かが、他の誰かが自分に害をなすと判断したら、会社に連絡をしてきて防疫を依頼する。爪角か、あるいはもっと若い同業者が派遣されて、その害をなす可能性のある者を始末する。つまり殺す。

 それが爪角の仕事だ。もう四十五年も防疫一筋で彼女は生きてきた。

 最初に姿を現したとき、爪角は普通の、無力な高齢者に見える。あることが起き、読者は彼女が見かけとはだいぶ違うことを知る。シアン化合物の塗られたナイフを使って、爪角が一人の男を防疫するからだ。そこから彼女がどのような人間かが息継ぎの少ない文章で語られていく。仕事の都合上、爪角は体を鍛えなければならないが、ジム通いはなかなかしづらい。筋骨たくましい体を見て、本当に六十代なのか、と聞いてくる野次馬が出るだろうからだ。もしくは六十五歳という年齢に気を遣い、爪角を「お母さん」呼ばわりしてくるか。そのたびに言い返さなければならない。あたしは、おたくのお母さんじゃないですよ。

 イノセンスの小説と見ることもできる。爪角は社会の仕組みから離れて、独立不羈の生き方を保っている。六十五歳の女性であるという事実は、彼女に一般常識に沿った振る舞いを強要する。しかし、それに爪角の価値観はなじまないのだ。ゆえに世間から浮き上がって生きざるをえない。無垢を保つのだ。彼女が防疫の仕事を始めた経緯は物語の中盤で明かされる。そうとしか生きられなかった事情があったのである。他の何者でもなく爪角という生き方を選んだ彼女は、六十五歳という年齢に達しても他人からお母さん呼ばわりされることを拒む。爪角の孤立を表現するため、作中ではいくつかのモチーフが用いられる。表紙にも描かれているネイルアートはその一つだ。この主人公にとって爪とは身を守るための武器以外の何物でもない。それを装い、飾るという行為は爪角が自らの生き方を捨てて、社会に身を委ねる行為なのだ。彼女は果たして無垢なままでいられるのだろうか。

 殺し屋小説としては、老いた主人公がより若いライバルによってその地位を脅かされ、不利な闘いを強いられるというパターンの作品である。その若いライバルとなるトゥと爪角との間には因縁があるのだが、ここでは書かない。トゥの若さが爪角に迫ってくる。同時に自身の体内時計もまた、爪角に老いという事実をつきつけてくる。過去に因縁のある相手が若さという武器を持って敵対し、自分の体が積み重ねてきた時間に疲弊して悲鳴を上げる。その二つと闘わなければならなくなる主人公の物語なのだ。追いついてくる時間をいかにすべきか。

 訳者あとがきによれば、本作が発表されたのは2013年だが、その後国内におけるフェミニズム運動の高まりを経て再評価され、2018年に改訂版が刊行されたのだという。邦訳は後者に拠っている。作者について訳者あとがきに記された以上の知識は私にはない。読みながら新鮮な驚きを覚えたのは、文体はまったく異なるのにローレンス・ブロック〈殺し屋ケラー〉シリーズで受け取ったようなユーモアを感じたからだ。社会から飛び出た主人公像というところが共通しているからだろう。そして洗練されている。

 韓国ミステリーは1920年代に出現した金來成に始まり、1970年代に活躍した金聖鐘によってその方向性を決定づけられた。まだ紹介された作品数が少ないため迂闊なことは言えないが、『破果』のように洗練された文体と展開を持つものには初めて出会ったように思う。爪角の振るう暴力の描き方も含め、完璧な犯罪小説である。爪角を縛るものは二つ、時間と社会のしがらみである。爪角はそれを暴力によって打破していく。犯罪小説はこう書くものなのだ。

(杉江松恋)

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