【今週はこれを読め! ミステリー編】"死"を描く復讐の物語『ミン・スーが犯した幾千もの罪』

文=杉江松恋

  • ミン・スーが犯した幾千もの罪 (集英社文庫)
  • 『ミン・スーが犯した幾千もの罪 (集英社文庫)』
    トム・リン,鈴木 美朋
    集英社
    1,210円(税込)
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 死が人に追いつく。人が死に追いつく。

 トム・リン『ミン・スーが犯した幾千もの罪』(集英社文庫)は、誰の身にも訪れる死という不可避の運命を題材とした、痺れるような犯罪小説だ。大陸横断鉄道が間もなく開通するという19世紀半ばの北米に物語の舞台は設定されている。登場人物の主たる移動手段は馬。つまり西部小説なのだ。おお、21世紀ウェスタン。

 根幹をなしているのは復讐の物語である。中国系移民のミン・スーは妻のエイダを奪われ、判事によって有罪にされて10年間の強制労働を課せられた。従事するのは大陸横断鉄道敷設の作業である。だから物語は、東海岸から伸びた鉄道の終着点であるコリン駅周辺から始まる。当時は準州だったユタの首都、ソルトレイク・シティの北方にある駅だ。そこでミンは最初の敵を殺す。残りの敵はカリフォルニアにいる。大陸を横切って行かなければならない。自分を陥れた者たちを皆殺しにし、エイダを取り戻すことが彼の目的だ。殺し、殺し、取り戻す。物語の構造自体は非常に単純だ。

 ミンは自由を奪われる前から殺人者だった。孤児の身の上だった彼を、サイラス・ルートという男が引き取って育てた。殺しの技術を仕込んだのだから、初めから自分の手先として使うつもりだったのだろう。エイダと出会い抱きしめたとき、すでにミンの手は血で汚れていた。殺人者の正体を彼女に知られてしまった瞬間の苦痛をミンは記憶している。エイダはミンにとって汚れなき純潔の象徴だ。死に直結する暴力を行使することでしか生きてこられなかったミンとは対極にいる存在である。

 ユタ準州、アイダホ準州、ネヴァダ州、カリフォルニア州と、ミンは西へ進んでいく。一人ではない。まず預言者が仲間に加わる。彼はミンと同じ中国人で、過去の記憶がまったくないが、未来を見通すことができる人物である。次いでミンはリノに向かう奇術ショーの一座と合流する。座長から用心棒として雇われたのだ。この座員はすべて特殊能力の持ち主だ。別人に変身できるプロテウス、他人の記憶を消すノタ、耳は聞こえないがその代わりにテレパシーと思われる形で声を発する本物の腹話術師ハンター、そして炎をまとう女ヘイゼル。ヘイゼルはエイダに瓜二つの風貌で、ミンの心を安らがせてくれる。北米大陸の中央部には大きな空白が広がる。人を拒み、その常識を超えたことが起きる虚無の空間だ。一座がまとう魔術的な力がそうした背景と融合して見える。

 本書の文章は魅力的で、「ずいぶん前から、人を殺しても良心の呵責に苛まれなくなっていた」という書き出しから読む者の心を捉えて離さない。いつまでも記憶に残りそうな場面や表現が随所にあり、やがて目の前に死という現象の影が立ち上ってくる。点線で輪郭を描いているようなもので、文章を追っていく読者は目でそれらをつなげているのだ。たとえばこんな記述がある。野営の夜、ミンは毒蛇が自分のすぐそばにいることに気づく。明らかに死の象徴である。だが、蛇はミンを襲おうとはしない。

――すると、蛇は動きだし、悪魔の目のように赤くくすぶっている燃えさしのほうへ這っていき、熾火の前で止まった。それから、するすると燃えさしのなかへ入っていった。蛇の皮は油布と同じくらい燃えやすいのか、ふたたびめらめらと炎があがった。蛇は煙もあげず、音もたてずに燃えた。燃えながら動き、炎の中心でとぐろを巻いてしばらくすると、目に紗がかかったようになり、じっと動かなくなった。格子模様の鱗はきらきら光る灰になって剥がれ落ち、次には筋状の肉が燃えて塵になった。(後略)

 本書で扱われる死はすべてこの蛇の如しで、あらかじめ定められた場所に到達したかのように人々は命を落としていく。ミンにとって導師と言うべき存在が前出の預言者で、彼はあらゆる命が終わる期日を察知する。運命はすべて記されており、それを読み取っているのだ。苛酷な旅の中で、ミンと預言者が乗る馬は次第に弱っていく。ある時点で預言者は「そろそろ彼らの期限が来る」と宣言する。正確で、決して死の期限を読み間違えることはないのだ。

 ミンの復讐もこの形で描かれる。普通の物語であれば、目的が成就するか否かが話の焦点となるだろう。主人公は偶然の出来事に邪魔をされ、裏切りによって窮地に陥り、自らの弱さのために足踏みをする。しかし本書ではそうした些事によってミンが惑わされることはない。彼はしなければならないことをするだけなのだ。しかるべき場所に到達すれば預言者はミンに行動を促す。「存分にやれ」と。ミンは不可避の運命をもたらす死者なのであり、引き金にかけられた指、ナイフを奮う腕に過ぎない。

 このことがミンという主人公の、存在の哀しみを逆説的に浮かび上がらせることになる。殺しによって彼が得られるものは何もないからだ。殺して、殺して、殺す。奪われた妻、エイダを取り戻すという旅の目的はあるものの、彼の行動は何も生み出さない。何もない空間に向かって虚無を生み出すためにミンは動き続けるのである。

 作者のトム・リンは1996年に北京で生まれ、幼少期にアメリカに移住したという経歴の人物だ。カリフォルニア大学デービス校博士課程在籍中の2021年に本書を発表した。25歳の鮮烈なデビュー作である。黒々とした死の淵を覗き込むような小説なのに、透徹した文章のゆえに物語は清明で、荒野を一人彷徨っているような静けさに包まれている。その中に突如殺戮の場面が描かれるのだ。活劇は映像的で、動き続けて止まらない激しさがある。静と動の繰り返しの中で無数の死が描かれ、ミンと預言者のやりとりによってそれらは諦念に満ちた世界理解として昇華されていく。誰にでも訪れる死、突然の死をここまで印象的な形で物語化した小説は珍しい。その中に身を浸す読書には他では味わえない興趣がある。

 存分にやれ。

(杉江松恋)

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