【今週はこれを読め! ミステリー編】ネタばらし厳禁の白井智之『エレファントヘッド』に注目!

文=杉江松恋

 ネタバラシ厳禁。

 だから触れられることがほとんどないです以上。

 これだと書評する意味がほとんどないのだが、白井智之『エレファントヘッド』(KADOKAWA)はまさしくそういう作品なのである。帯にも「絶対に事前情報なしで読んでください」「驚愕の読書体験を約束します」と書いてあるくらいだ。

 こういうとき書評家は、仕方がないので白井智之の過去作を紹介する、という選択をするものである。過去の作例から最新作について類推してもらう、ということだ。だが、『エレファントヘッド』の場合はそれもしたくない。なぜか。まだ白井智之を手に取ったことがない、新しい読者を逃がしてしまうかもしれないからだ。白井は前作『名探偵のいけにえ』(新潮社)が話題となり、2022年度の各種ベストテンで上位に入ったほか、本格ミステリ大賞も同作で受賞している。そういう意味では『名探偵のいけにえ』を紹介すればよさそうなものだが、あれは「きれいな白井智之」なのである。つまり作者を構成している要素のうち、かなり一見さん向きの部品ばかりで作られている。急いで書いておくと、膨大な量の証拠を手がかりとして呈示しておき、それを使って多重解決、つまり一つの事件に対していくつもの解を示す、寄せては返す無限のフーガのような推理展開に読者は悶絶し、もっと白井をもっと智之を、とうわごとを言うようになる、といういつもの特徴はそのままだ。ただ、きれいな部品ばかりで作られている、というだけなのである。ならばそればかりでいつも作ればいいのに、と思った人は挙手。

 白井は読者を選ぶ作品をたまに書く。その最たるものが連作短篇集『少女を殺す100の方法』(光文社文庫)で、題名通り、少女がさまざまな方法で殺される物語ばかりを収めた作品集である。読者を選ぶだろう、それは。人体を一つの物体と見なし、それがどのように損壊されたのか、なぜそうされたのか、という論理を突き詰める、という作品の系譜が謎解き小説にはある。それを最も極端な形でやったのが『少女を殺す100の方法』なのである。白井が駆使する論理の中には、そうした形で人体及び人命の尊厳を軽視せざるを得ない方向に行くものが少なくない。だから「きれいじゃない白井智之」が存在するのだ。

 読者を事前に減らさないようにする、と言いながら危ないことを書いている気がする。軌道修正だ。以上のような理由から、『エレファントヘッド』のあらすじはまったく書かないことにする。しかし、それでは書評の体を為さなくなってしまうので、ネタばらしには絶対ならないようにして、おもしろさの要素を抽出してみることにする。

 第一に、本作は純粋な犯人当て小説である。舞台設定は特殊で、その中で犯人を見つけなければならなくなる理由、そのために適用される規則と禁止した際の罰もこの小説でしか読んだことがないものだ。いわゆる特殊設定ミステリーで、ここにしかないルールでここでしか起きないような事件の謎を解く、という楽しさが存分に味わえる。感心したのはルールのわかりやすさで、かなり奇想天外なものなのにすんなりと頭に入ってくることに驚いた。それもそのはずで、本作の命はこのルールなのである。新しいカードゲームをやるとき、ルール説明を適当に聞いていると後で絶対に揉め事になる。それと同じことだ。このへんの手順に関しては、白井は絶対に手を抜かないのでご安心いただきたい。

 これが最低限書いておかなければならないことだろう。次いで個々の要素に移る。第二の美点は巧みな手がかりの呈示である。推理の種になる手がかりは、物語の表面に配置すると違和感を催す元凶になる。そこだけ妙に出っ張ったり、逆に隠そうとして過度に装飾したりすることで、なめらかな読み味を損なうからだ。白井の場合は、そもそもの物語運びを刺激的なものにし、その中に手がかりを埋め込むという技巧を選ぶことが多い。刺激的な物語は突起物があっても目立たないからである。本作もそれに近いやり方をしているのだが、それにしても埋め方が上手い。これは白井が空間把握とその視覚的な表現を得意としているからではないかと思う。読者が二次元的にしか受け止めていない場合でも、その中に三次元的な意味が秘められていることがある。なるほど、と思ったあとでもさらに踏み込んで文章を掘り下げて読む意味があるのが白井作品なのである。それでもたぶん、仕掛けは見抜けないだろうと思うけど。

 第三の美点は伝統的な技巧を分解して用いていることだ。たとえば、話芸の世界にテンドンと言われる技巧がある。同じシチュエーション、語順などを二度以上繰り返して使うことで笑いを引き出すもののことを言う。短いくりかえしギャグだけではなく、落語の「時そば」などもこれに該当する。テンドンは天丼だと思うが、語義はよくわからない。

 このテンドンの技法を、そうか、テンドンというものがあるのか、とそのまま使うのが普通の書き手である。白井の場合は、テンドンはなぜくりかえすのか、と考えるところから始まる。同じ言葉を重ねるだけではなく、「時そば」のようにシチュエーションを繰り返していくことでも笑いは生まれるのだとしたら、そのくりかえしという行為にはどういう意味があるのか、と考える。何がくりかえされているのか、逆に言えばくりかえされないでいい省略はどこにあるか、絶対に落とせない部品はどこか、と検討するのが分解である。白井は『エレファントヘッド』で多重解決の技法を分解することに挑戦した、と私は考えている。前作『名探偵のいけにえ』では、多重解決展開が持つ弱点を克服することに挑んだ。今回はまた違って、多重解決に含まれる要素を抽出することからプロットを作ったのではないだろうか。ここがたぶん小説の肝だ。

 それ以外にも複数の魅力がある。ミステリーとしては設定が極北まで行っている小説なので、他ジャンル、たとえばSF読者の中に関心を示す人も多いはずだ。ミステリーの系譜中には、あえて論理で回収しきれない感情の澱を作中に生じさせ、その不安感で読者の心を奪うことを目的とするものもある。本作をそうした「変格」探偵小説として読む人もいるだろう。白井は人間が心の中に持っている負性に着目する作家で、正の面だけではなくてそうした部分も書いてこそ小説ではないか、と考えている節がある。もちろんそういう小説でもある。そのほかいろいろ。いろいろあるんだ、本当にいろいろ。

 そんなわけであらすじをまったく紹介しなかったのに長い書評になってしまった。こういうものを書かせたくなる小説ということである。気になった方はぜひ。

(杉江松恋)

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