【今週はこれを読め! ミステリー編】二代目名探偵が頑張る!〜潮谷験『名探偵再び』

文=杉江松恋

  • 名探偵再び
  • 『名探偵再び』
    潮谷 験
    講談社
    2,035円(税込)
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 潮谷験が名探偵について真面目に考えると、こうなる。

 新作『名探偵再び』(講談社)を読んで、ああもうこの人はいつも、と感心した。

 必然性のある小説を書く人なのである。

 ちょうど当てはまる言葉が思いつかなかったので、必然性と書いてみた。案外しっくりくる。そう、潮谷験の書くミステリーには必然性があるのだ。こういう物語だから、謎はそういう形になる。探偵のキャラクター次第で謎解きの段取りは決まる。真相はこうだから伏線がこれだけ必要になるが、小説としてそれを置ける場所はあそことあそことあそこである。だからプロットはこういうものになる、などなど。いつも部品がぴしっと嵌まって揺るぎない感じがある。どうでもいい探偵がどこにでもある謎を解く物語など、絶対書かないなのだ。

『名探偵再び』は、時夜遊という名探偵が活躍した時代から30年後に衣鉢を継ぐ者が現れる、という物語だ。名探偵といっても遊は高校生で、扱った事件はすべて、彼女の通う私立雷辺女学園で起きたものであった。なんと17歳で命を落としている。遊の解決した事件の背後には黒幕がいることが判明した。そのMなる人物はなんと、雷辺女学園の理事長だったのである。遊はMと共に、学園近くにある滝壺に落下して生を終えたものと考えられている。稀代の大犯罪者を道連れにして正義をまっとうしたのである。

 雷辺はらいへんと読む。らいへんの滝か。そして犯罪者のイニシャルはM、Mといえばあの名探偵の宿敵もそういえば、というようなトリヴィアルなくすぐりはマニア向けのものか。あの聖典にさほど関心がない方でも本作は問題なく読めるのでご安心を。

 主人公である時夜翔にとって、遊は大叔母にあたる。「親戚に、名探偵がいたらしい」と聞かされて育ったが、さして関心は持たなかった。名探偵の親戚だから謎解きが好き、というわけではないのである。

 翔の父親は探偵事務所を開いていたが、経営不振で畳むことを余儀なくされた。中学卒業を控えていた翔にとっては一大事で、高校進学資金のあてがなくなってしまったのである。だが思わぬところから救いの手が差し伸べられる。かつて大叔母である時夜遊に存亡の危機を救われた雷辺女学園が、その親戚である翔に入寮しての生活費などを支給してくれるというのである。受験を突破した翔は新入生として学園の門をくぐる。

 問題は誰もが、あの時夜遊の親族として翔を見るということだ。翔には「五段階評価ならオール四」だという自己認識があるが、周囲の人間に「それ以上に優秀な人材だと見せかけ、信じさせること」によってそれまでの人生を乗り切ってきた。当然雷辺女学園では「なんだかすごそうな名探偵の子孫」としての役割を期待されるだろう。それを装うのは得意技なのである。大丈夫、やれる、と決意を固めて学園生活の一年が過ぎた。このままなんとかなる、と危機感を和らげていたときに、二代目名探偵・時夜翔の出馬が期待される事件が起きてしまうのである。

 寮長の真舟から相談を持ちかけられたのは、小さいといえば小さい、しかし学生たち当人にとっては人生の危機ともいえる事件だった。寮生の一人がポラロイドカメラを入手した。珍しがっていろいろ撮影しているうちに、つい悪乗りして大浴場で自分と友達の下着写真を写してしまったのである。何者かがそれを奪い、写真を公にされたくなければ一人十万円を払え、と脅迫してきた。盗まれたのは、寮生たちがポラロイドカメラと写真を鍵のかかるロッカーにしまい、入浴していた間である。脅迫犯はおそらくその寮生の誰かだろう。だが、どうやって写真を大浴場から外に持ち出したのかがわからないのだ。

「なんだかすごそうな名探偵の子孫」という体面を損なわないために翔はこの事件を調べることを約束する。ここで大事なのは事件の解決ではなく、時夜遊の子孫を根拠とする名声を損なわないことなのだ。極論すれば事件は解決しなくても、これも時夜翔さんのおかげです、ありがとうございます、と周囲の者に言わせればそれでいい。翔はある手段でそれを成し遂げる。

 どういう手段か、何が起きるのか、ということは知らずに読んだほうが楽しいので一切書かないことにする。本の帯にも「事件解決にまさかそんな手があったとは!?」と書かれている。まさか、と読んでいってもらいたい。

 この写真盗難脅迫事件で名を挙げた翔の許には次々に依頼が持ち込まれることになる。翔は乗り気ではないのだが、そうなってしまう。新聞部部長で、発火剤を使ってでも物事を炎上させてみせるという気質の水間静という人物がいて、彼女のせいであれこれの事態に巻き込まれることになる。実は翔の伯父である地原錠は県警捜査一課の刑事で、刑事事件にも対応可能なのである。外堀はすっかり埋められてしまっている。

 第二の事件は美術部員が撲られて意識不明の重体になるというものだ。第三の事件ではついに死人が出てしまう。いわゆる密室ものなのだが、状況を細かく観察していくと、それまで目に映っていたものが裏返しに見える瞬間が訪れる。その驚きが肝だ。第二の事件もそうなのだが証拠の活用にこの作者ならではの特徴がある。潮谷作品においては、現場に残された痕跡はどんな些細なものでも見落とさずに記憶し、辻褄の合う形で解釈されなければならない。

 こういったことが名探偵としての責任をまったく感じない時夜翔に押し付けられるのである。翔にとって名探偵の子孫であるという証明が一度できれば十分で「脆く頼りないはしごを使って宝物を獲得した後で、次の宝物を狙うために同じはしごを選ぶなんて、猿の発想だ」と思っており、「その場しのぎで嘘を重ね、他人に頼る」のが自分のスタイルだと断言する。彼女というフィルターを透して事態を見ることで、ミステリーにとって名探偵とは何か、という問いが浮かび上がってくるのが本書の美点であろう。そしてそういう構造の物語であるからこその結末が待っている。潮谷は驚きの演出にも工夫のある書き手だが、本作の落ちには少なからず驚いた。なるほど、この人が名探偵を書くと、こうなるのだなあ。

 落語好きの人向けに言うと「お神酒徳利」である。立川こしらという落語家があの噺を『金田一少年の事件簿』風に改作したのを聴いたことがあるのだが、まさにそんな感じ。降りかかる火の粉ならぬ、降りかかる事件は払わねばならぬ、と頑張る主人公のお話なのだ。ここには書かなかったがもう一人味のあるキャラクターがいて、翔とのやり取りもコミカルで笑える。潮谷験、ユーモア・ミステリーを書いてもやはり上手い。

(杉江松恋)

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