【今週はこれを読め! エンタメ編】永久にNo.1の恋愛小説〜中山可穂『感情教育』

文=高頭佐和子

 入荷した本を手にとって、胸が熱くなった。長く品切れしたまま絶版となっていた中山可穂氏の初期恋愛小説の傑作『感情教育』がついに復刊したのである。

 この小説を初めて読んだのは二十代の時だ。同世代の友人たちは、たいてい恋愛に夢中だった。彼女たちの中には、失礼ながらたいして魅力的とも思えない相手に夢中になって面倒なことを抱え込んだり、諦めた方がよさそうな恋愛を必死に貫こうとする人がいた。正直、私にはデメリットの方が多そうな関係に固執する気持ちが全くわからなかった。その相手があなたに必要とは思えない。厄介な相手とはスッパリ縁を切った方が人生スッキリするはず。意見を求められればそんな答えをあっさりと返していた冷血人間に、人がなぜ恋愛をせずにはいられないのかを教えてくれたのはこの小説だ。フィクションであるが、限りなくリアルな物語である。二人の女性が確かに存在して、ページをめくる私の前で息をしているようだった。

 恋愛小説としては、珍しい構成だ。恋におちる二人が出会うまで、全ページの約三分の二が費やされる。第一章では、主人公の一人である那智の半生が書かれる。那智は、横浜の産院で生み落とされるが、母親がすぐに行方をくらましたため養護施設で育った。三歳の時に建具職人の夫婦に引き取られる。暴力的な養父や自分に執着する養母と打ち解けることはできず孤独な少女時代を送るが、思春期を迎えて恋を経験し、男たちを狂わせる魅力を開花させる。社交性と設計の技術を身につけて仕事に打ち込み、いくつもの危うい恋をした後に、年上の誠実な男性から熱心に言い寄られて結婚し、女の子の母親となる。だが、その家庭生活は思い描いていたものとは違っていた。

 第二章の主人公である理緒も、親の愛に恵まれない子どもだった。母親は寺の娘だが、厳格な家風を嫌って家出し、名古屋でホステスになった。根無草の色男との間に生まれた理緒は、母親からも父親からも捨てられたという記憶を持っている。保護者が次々に変わる複雑な環境で、満たされない思いを抱いたまま成長する。おとなしい少女だったが、演劇部に入ったことがきっかけとなり、学校で注目を集める存在となる。理緒が恋心を抱くのはいつも女の子だったが、その思いを打ち明けることはできなかった。その後東京の大学に進学し、演劇と恋愛に夢中になる。たくさんの女性たちとの行きずりの恋。親友と立ち上げた劇団の解散。熱い青春時代を経て、フリーライターになった理緒は、運命の人である那智に出会う。

 それぞれの章だけで、一篇の小説として成り立つほどの迫力と臨場感があった。ここまで読み、那智と理緒の内面を理解したからこそ、この後の怒濤の展開に必然性を感じずにはいられない。違う場所で違う暮らしをしてきたはずなのに、同じ孤独を持った二人は、出会ってすぐに引き寄せ合う。性愛や、仕事や夢に打ち込むこと、大切に思ってくれる人と出会ったことを通して、痛みを克服したはずだったのに、埋めることのできなかった心の空洞が存在していることに、気がついてしまう。それを満たしてくれたのは、自分と相似形のような魂を持った目の前の人だけで、やっと出会えたその人と共に生きることを、決して諦められないと二人は思う。その強い感情と、相手を通して自分を見ることこそが恋愛で、いつか終わるものだとしても、ダメージを受けるとしても、求めずにはいられないのだということを、この長い小説を通して私は初めて理解した。自分の中にある痛みから逃げず、真摯に生きる人間の姿を見たと思う。私にとって、永久にNo.1の恋愛小説だ。 

 理緒は片思いの相手でもあった学生時代からの親友から、那智は専門学校の寮で一緒に暮らした先輩から、「あなたは痛々しくて見ていられない」という同じ言葉をかけられている。「ちゃんと自分を愛しなよ。それから人を愛しなよ」と理緒の親友は言い、幸福を祈ってくれた。那智の先輩は「どうか自分を大切にして生きていってほしい」という手紙を送ってくれた。その部分だけ切り取ると、ありふれた言葉だとも思う。だけど、改めて読んでみると、どうしてかやけに心に刺さるのだ。私自身は、そのように生きてこられたのかと問われると、全く自信がない。だけど、大切な人の幸せを祈ることのできる人間にはなりたいと、思ったりする。

(高頭佐和子)

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