【今週はこれを読め! エンタメ編】西加奈子の短編集『わたしに会いたい』で勇気が溢れる!

文=高頭佐和子

『わたしに会いたい』に掲載された短編「あらわ」のことが、心から離れない。長年疑問に思っていたことを、主人公と共有できたような小説だった。西加奈子作品については、カナダでの乳がん闘病体験を書いたノンフィクション『くもをさがす』(河出書房新社)刊行時にもこの連載で書かせてもらったし、あとは自分の中で考えればよいと思っていたのだが、2023年が終わろうとしている今、やはりどうしても何か書いておきたいという気持ちになってしまった。

 主人公・露(あらわ)は、長い黒髪とGカップのバストを持つ人気グラビアアイドルである。乳がんになり、抗がん剤治療によって髪の毛も体毛も失った。そしてその後、両方の乳房を切除した。

 抗がん剤治療中に、頭髪のない状態で外出すると、それまで男性たちから向けられてきた絡みつくような視線が「何か見てはいけないものを見ている」ように怯えたものに変わるのを感じた。乳房を切除した後は、どちらの視線も向けられることがなくなる。露は、そこで初めて気づくのだ。彼らが見ていたのは、彼女自身ではなく人より大きな乳房であったこと、抗がん剤治療中に向けられた怯えたような視線は、乳房の大きな女性が無毛という状態であることへの違和感に対するものであるということに。

 露は、乳房と一緒に仕事も失ってしまった。そりゃそうだろう、と私も思ってしまったが、グラビアアイドルとして自分をエロく見せる技術に自信がある彼女は、納得することができない。大きな乳房がなくなったことにより、肩も凝らなくなったから再建しないことにするが、医者はなぜかその決断に動揺し、せめて乳首だけを残してはどうかと強くすすめてくる。
「乳首は、とても、重要です。」
 その言葉を聞いた露は、自分の乳首についてあることを思いつくのだが......。

 乳首については、私も書店員としてずっと不思議に思ってきた問題がある。女性グラビアアイドルの写真集では、胸部が大胆に露出されることも多いが、乳首だけ紐やら木の葉のようなものでギリギリな感じに覆われていることがよくある。隠すことによって、まだ全部は見せてないですよ、そんなにはいやらしくないですよ、という意味にもなっているようだし、隠すことによって、より一層見たいという気持ちを掻き立てるという効果もありそうだ。乳首が写っているとなると、一線を超えた印象を持たれる。人気タレントの場合などは、「あの〇〇がついに!」のような感じで注目度も売数も激増する。乳首自体は胸の一部分に過ぎず、男性にもあるものなのに、なぜそんなに深い(?)意味を持たせられているのか。モヤモヤしつつも、私も肌の露出が多い写真集が発売されると、乳首が出ているのかを確認してしまう。

 グラビアアイドルとして生きたいという希望を他者から否定された露だが、彼女自身は決して自分を否定しない。いきなりそんなことされたら、めちゃくちゃみんな驚くよ!と言いたくなるようなことを彼女はするのだが、そのユニークな行動が私にはとても清々しかった。勇気と笑顔が、自然に溢れてくるような美しいラストである。

 私のからだは私のもので、どのようにあるべきかは私自身が決めればよい。それは当たり前のことであるはずなのだけれど、私たちはついつい他者の視線を気にしたり、標準的でないことに不安を感じたり、誰かが決めた理想と比較して自分に嫌悪感を抱いたりして、無意識のうちに本当の気持ちを抑えようとしたりしてしまう。

 そういうのは、もういいんじゃないかと思う。何が快適なのかも、何が魅力的なのかも、自分で考えて選んでよいのだ。誰だって、そういうふうに生きていいんだということを、西加奈子さんと露が、教えてくれた。

(高頭佐和子)

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