【今週はこれを読め! 読む映画編】タランティーノの映画遍歴『Cinema Speculation』

文=柳下毅一郎

  • Cinema Speculation
  • 『Cinema Speculation』
    Tarantino, Quentin
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 クエンティン・タランティーノの映画評論の本である。言わずと知れた映画マニアのタランティーノ、三度の飯よりも映画が好きな彼が、自分の好きな映画について語るという、誰もが待っていた、いやタランティーノその人がいちばん待っていた本だろう。英語はきわめて平易でわかりやすく、タランティーノの騒々しい早口が聴こえてくるようだ。なんというか、「ともだちに話しかけるように書きましょう」という作文の教えをそのまま守っているかのような?

 タランティーノは1963年生まれなのでぼくとは同い年、映画遍歴も多かれ少なかれ似たようなところがあるので、とりあげられる映画もよく親しんでいるものばかりだ。章タイトルには『ブリット』、『ダーティハリー』、『脱出』(ジョン・ブアマン)、『ゲッタウェイ』、『悪魔のシスター』、『デイジー・ミラー』(ピーター・ボグダノビッチ)、『ローリング・サンダー』、『パラダイス・アレイ』、『アルカトラズからの脱出』、『ハードコアの夜』といった映画が挙げられている。タランティーノの映画的記憶は、そうした映画を大人と一緒に見たところからはじまる。

 タランティーノの最初の映画的記憶は七歳のとき、両親に連れられてジョン・G・アビルドセンの『ジョー』とカール・ライナーの『パパはどこ?』の二本立てに行ったことだという。アビルドセンの『ジョー』にはピーター・ボイル演じるタイトル・ロールの差別主義者が登場する。「今では想像もできないだろうが」とタランティーノは言う、公開当時、『ジョー』はブラック・コメディであり、観客はピーター・ボイルのセリフに腹を抱えて笑い転げたのだ。タランティーノは映画好きの大人たちのデートにくっついていくことで、大人向けの映画を見せてもらう。大人向けの映画だからわからないこともある。寝てしまうこともある。でも、子供のように駄々をこねることだけはしてはいけない。そんなことをしたら、もう大人向けの映画を見せてもらえなくなってしまうからだ。それがタランティーノの教訓である。『明日に向って撃て!』のラストの意味がわからなかったタランティーノは母親に訊ねる。

「どうなったの?」
「二人は死んだの」
「なんでわかるのさ?」
「画面が止まったのは、そういう意味なのよ」
「なんで見せてくれないのさ!」
「そうしたかったからよ!」
「見せるべきだったんだ!」

 今でも「見せるべきだった」と思うというタランティーノの映画の本質は、すでにこのころから発露していたと言えようか。

 やがて両親が離婚すると、タランティーノは「シェールとバーバラ・スティールを混ぜたような」母と、その同僚だった黒人とメキシカンという若き美女三人のシェアハウスで暮らすことになる(ここらへんはTV版の『チャーリーズ・エンジェル』を想起)。そのころ、母のデート相手にレジーというプロ・フットボール選手がいた。レジーはもちろん恋人の息子のご機嫌をとりたかったし、たまたま彼はブラックスプロイテーションの新作は決して見逃さぬ映画マニアでもあった。というわけでタランティーノはレジーに連れられて黒人街の映画館で黒人映画の洗礼を受けることになる。1972年、タランティーノ9歳のときである。土曜の夜、ジム・ブラウンの新作『ブラック・ガン』の封切り日、大劇場は1400人の観客で超満員。その中にたったひとりの白人の子供。ジム・ブラウンが白人ギャングに銃をつきつけると、場内の男たちがいっせいに歓声をあげる。タランティーノは「自分が参加した中でこれ以上男性的な経験はなかった」という。以後、タランティーノの映画館通いがはじまるのだ。

 タランティーノの映画論は、もちろんタランティーノ流の見方なので、作品そのものよりもタランティーノ自身について多くを語っている。どう考えてもタランティーノ向きではないデ・パルマ評にはあまり納得できるところはないのだが、ウォルター・ヒルやジョン・フリンへの熱い賛辞には胸が熱くなる。『ローリング・サンダー』を見たタランティーノは感激のあまり、映画評論家を名乗ってジョン・フリンに取材を試みるのだ(タランティーノ19歳のとき)。電話帳を繰って「ジョン・フリン」の名前に順番に電話し、「ついに『ローリング・サンダー』の監督の」ジョン・フリンをたずねあてる。そしてフリンはなんとこのどこの馬の骨ともしれない映画マニアを自宅に招き、ワインでもてなしてくれたのだ。タランティーノはまさか長い時間つきあってくれると思っていなかったので、インタビューの録音用カセットテープに予備を持っていかず、テープを使い切ったあとはひっくりかえしてさらに上から録音してしまったた。それゆえインタビューの前半部分は残っていないのだという!

(柳下毅一郎)

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