第98回:藤谷治さん

作家の読書道 第98回:藤谷治さん

現在、青春音楽小説『船に乗れ!』が話題となっている作家、藤谷治さん。主人公の津島サトルと同じく音楽教育を受けて育った少年は、どのような本と出合ってきたのか。幅広いジャンルの本と親しみ、大学生の頃にはすでに小説家を志していた青年が、デビューするまでに10数年かかってしまった理由とは。藤谷さんが経営する下北沢の本のセレクトショップ「フィクショネス」にて、たくさんの本に囲まれながらお話をうかがいました。

その6「きっかけは万年筆」 (6/7)

おがたQ、という女
『おがたQ、という女』
藤谷 治
小学館
1,404円(税込)
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百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))
『百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))』
ガブリエル ガルシア=マルケス
新潮社
3,024円(税込)
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アンダンテ・モッツァレラ・チーズ
『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』
藤谷 治
小学館
1,404円(税込)
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――お勤め時代も応募はしていたのですか。

藤谷:していました。群像新人賞に2年かけて書いたものを応募して、まったくひっかからなかったこともありました。

――以前、奥様から万年筆をいただいた話をおうかがいした記憶が...。

藤谷:98年に店を出して、99年に女房と知り合って、2000年の誕生日に万年筆をもらったんです。せっかくもらったのだから何か書いてみよう、と思って書き始めたのが『おがたQ、という女』でした。それまでは店のレジのはじっこにワープロを置いて書いていたんですよね。でも『おがたQ、という女』は、客がいない時にずっと万年筆で書きました。その時に僕に何が起こったかというと、マルケスの『百年の孤独』を読んで、これでいいんだ! みたいな気持ちになったんですよね。僕は嘘をつくのが好き、と思った。これまでの概念を覆すような文学のあり方を模索するという、80年代、90年代ずっとバカみたいに考えていたことに、意味がなかったと気づいたんです。それで、「昔むかし、あるところにおがたQ、という人がおりましたとさ」っていうのを書いてみようと思ったんです。

――デビュー作の『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』よりも『おがたQ、という女』のほうが先だったんですね。

藤谷:万年筆で書いた『おがたQ、という女』をワープロで清書して新潮新人賞に応募したら、最終選考に残って。そうしたらお店に来る人に「今のうちに第二作を書いておいたほうがいい」と言われて、浮き足立って次回作を書いていたら落ちたんでテンションが下がって、途中でほったらかしにしておいたんです。明けて03年の春くらいに、この店に一人の男の人がやってきて、店内をずっと見てから「持ち込みの中で面白い人はいますかね」「店長さんも何か書いているんじゃないですか」って聞いてくる。それが小学館の編集者である、石川和男さんだったんですよ。慌てて『おがたQ~』を渡して読んでもらったら「面白いですね、他にないですか」。「書きかけのがあります」と言い「それ読みたいなー」と言われて再びテンション上がって書いたのが『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』だったんです。

――そして作家デビュー。現在はお店の裏側を仕事部屋にしていますよね。お客さんが来ない時はあちらで書いていて、誰かが来たら出てくるわけですか。

藤谷:誰も来ないので、仕事がはかどっちゃって(笑)。だからこんなにたくさん本を書いてしまって。

――確かに、次から次へというイメージですよ。

藤谷:40歳を過ぎてデビューしたら、依頼は断れないです。それに、今まで読ませてもらった本に対する尊敬の気持ちを持って、可能性のあるものは何でもやってみたいと思いますから。まだまだやり足りないんです。ただ、商売にならないと思うものもいっぱいあるので、それはやらない。あとは自分の柄にないもの、例えば、ストーリー性のない、イメージだけの小説とか。...それはやるかもしれないけれど。

――読書生活は。

藤谷:心がけているのは、仕事とは何の関係もない本を一日に5分でも10分でも読むこと。具体的に言うと、室生犀星なんですけれど。ただ読んでいいなあと思うだけで、何がよかったのかを考えない読書。

――なぜ室生犀星なんですか。

藤谷:あんないい日本語を書く人は他にいないでしょう。川端よりもいい気がするし、川端もそう言ってるし。「美しい日本語」って言葉は微妙だし危険だけれど、僕の基準で言うと、現代日本文学の最高峰だと思っています。

贖罪〈上〉 (新潮文庫)
『贖罪〈上〉 (新潮文庫)』
イアン マキューアン
新潮社
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昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫
『昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫』
笠原 和夫,スガ 秀実,荒井 晴彦
太田出版
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――繰り返し読むのですか。

藤谷:何も残らない読書なので、1回目か2回目かも分からない(笑)。何度も繰り返し読むのは、僕にとってコアになるもの。今自分が小説を書く身になってみて、現場から見てこれは大事だと思えるものというのが、乱読の中からポコッと出てくるんですよ。ナボコフの『ロリータ』とか。最近新訳で『訴訟』というタイトルになっていたカフカの『審判』とか。イアン・マキューアンの『贖罪』、フロベールの『ボヴァリー夫人』、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』...。

――マキューアンだけ新しい作家ですね。確かに『贖罪』は傑作だと思いますが。

藤谷:だってあの小説のどれだけすごいことか! 『アムステルダム』から好きになって、遡って読んでみてどれも好きだと思って、でも『贖罪』を読んだら他の作品がちょっと色あせるほど。その後に『土曜日』が出て、ヘンリー・ジェイムズの影響を受けているみたいでいいなと思って、最近『初夜』が出てそれもいいなと思うけれど、でも『贖罪』にはかなわない! ナボコフにとっての『ロリータ』みたいに、決定版だと思います。

――今、ヘンリー・ジェイムズの名前が出てきましたが、まだまだ聞けていない作家がたくさんいそうな気が...。

藤谷:キリがないですよ(笑)。里見弴の話もしてないし、ハント・アーレントもしてないし、チャンドラーもラブレーも中村光夫も小林秀雄もミラン・クンデラも。80年代にはミシェル・フーコーも相当読んだしなあ。殿山泰司は文学に対する硬い気持ちを解きほぐしてくれる。笠原和夫の『昭和の劇』は人に言えない話満載のすごい本。サラリーマン時代、仕事でアメリカのメリーランド州に滞在していた頃は、藤沢周平を読みましたね。外国で読むと、心に染みすぎちゃってもう。...もう、一度では語りきれませんよね。でも、40年以上生きるって、そういうことですよね。あ、ハインラインの話もしてないし(笑)!

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