
作家の読書道 第98回:藤谷治さん
現在、青春音楽小説『船に乗れ!』が話題となっている作家、藤谷治さん。主人公の津島サトルと同じく音楽教育を受けて育った少年は、どのような本と出合ってきたのか。幅広いジャンルの本と親しみ、大学生の頃にはすでに小説家を志していた青年が、デビューするまでに10数年かかってしまった理由とは。藤谷さんが経営する下北沢の本のセレクトショップ「フィクショネス」にて、たくさんの本に囲まれながらお話をうかがいました。
その7「『船に乗れ!』で広がった世界」 (7/7)
- 『伝奇集 (岩波文庫)』
- J.L. ボルヘス
- 岩波書店
- 778円(税込)
- >> Amazon.co.jp
- >> HonyaClub.com
- >> エルパカBOOKS
――以前、面白い物語というのは『アラビアン・ナイト』のようなもののことだ、というお話をされていたことがありましたね。
藤谷:全部を読んだわけじゃないんです。お恥ずかしい話ですがボルヘスが『アラビアン・ナイト』についてよく言っていたからなんですよね。ボルヘスは30代から読み始めたんですが、「フィクショネス」はボルヘスの『伝奇集』の原題。ボルヘスも文学は書きつくされたから長編を書く必要はないといって短編ばかり書いていた人なんですよね。やっぱり今にして思えば、ボルヘスが悪いとは思わないし、80年代の人たちに責任をなすりつけるつもりはないけれど、結果として、自分の読書で自分の勢いをそいでいましたね、20年間。その代わりに知識を蓄えていったということになるのかもしれないけれど。
――その後で『アラビアン・ナイト』を読んだ時の印象は。
藤谷:物語の持つすごさ、可能性の大きさを感じましたね。物語は何種類かのパターンに分けられるという節もあるけれど、僕はそれって筋書き論にすぎないと思うんです。例えば「桃太郎」というもう誰もがあらすじを知っているものを、僕と古川日出男さんといしいしんじさんが書いたら、それがまったく一致するってことはないでしょう。それが物語だと思うんです。もっと多くの人が書けば、ある人の「桃太郎」は人間の心の襞を見つめた風景になるかもしれないし、ある人の「桃太郎」は犬との対話に力を注いだものになるかもしれないし、ある人の「桃太郎」はつまらないものになるかもしれない。物語が書きつくされたというのは、そういう世界にいるってだけのことで、あまり物語の現場では意味のない話だと思います。
――その中で、藤谷さんが今までにないものを、と模索しているように感じるのは、ナラティブ(語り口)だと思います。一人称複数で語られるお話があったり、徹底的に三人称であったり、落語調であったり。この試みにはどういう思いがあるのですか。
藤谷:80年代、90年代の新刊小説は軒並み一人称だったんです。僕は一人称に批判的な立場をとっているんですけれど、それは視野を狭くして、見えるもの、感じるものを書けなくしてしまうから。小説が持っている物語の可能性をそいでしまうと思っていたんです。
――では、これまでのナラティブの選び方はアンチ一人称だから?
藤谷:というより、他の可能性を探っているんです。
――新作『船に乗れ!』は、青春音楽小説というカテゴライズも確かに合っているのですが、読み進めるうちにさらに奥深いところまで連れていかれました。そしてこれは、珍しく一人称なんですよね。大人になった津島サトル君が、高校生の頃を振り返って語っている。そこに微妙な距離が生じて、高校生のサトル君の感情がダダ漏れになることもなく、かつ臨場感も損なわれていないところが見事ですよね。
藤谷:一人称なんだけれども、一人の人間について一人称が2つある。目玉が4つあるようなもので、立体的になりました。その時々で高校生の津島が語っていたり、今現在の津島が書いていたりするんですよね。それと、今回書いてみて、やっぱり恥ずかしいほど頭でっかちだったんだと思いました。それは小説家になってからもずい分長いこと続いたと思います。小説を書く時に主軸が小説にかかっていて、藤谷治という僕は後回しになっていたんですよ。『船に乗れ!』ではじめて藤谷が小説を書くとしたらどんなことができるのか、ということを自分に問いかけて。問うこともキツかったけれど、それに基づいて小説を書くことに自信がなかったんです。作業は楽ではなかったですね。
- 『下北沢』
- 藤谷 治
- リトルモア
- 1,620円(税込)
- >> Amazon.co.jp
- >> HonyaClub.com
- >> エルパカBOOKS
――この3巻を書いて、疲弊したっておっしゃっていましたね(笑)。
藤谷:今も慰労中です(笑)。次に取り掛かれない。もう『下北沢』みたいなものを書くわけにはいかないものね。
――作家・藤谷治が次のステップへ行ったということですか。それともフィールドが広がったということですか。
藤谷:両方ですね。SFを読んだ時にそれがトレーニングになって想像力が大きくも深くも広くもなったけれど、そういうことが実作においても起きるんですね。毎度毎度少しずつ広げていこうと心がけて書いていますけれど、『船に乗れ!』の広がりはちょっと今までにないくらい。
――広がりというのは、主軸とかナラティブの可能性のことでしょうか。
藤谷:力強い物語を書く時は、もう手法的なことは考えないと思います。考えるとしても副次的になりますね。
――ああ、80年代からずっと抱えていたものから、ようやく本当に自由になったと言えるのではないでしょうか。
藤谷:そうです。だから人間、年を取ったほうがいいんですね(笑)。
(了)