第116回:窪美澄さん

作家の読書道 第116回:窪美澄さん

初の単行本である『ふがいない僕は空を見た』が刊行当時から多くの人から絶賛され、今年は今年本屋大賞2位、さらには山本周五郎賞を受賞という快挙を達成した窪美澄さん。新人とは思えない熟成された文章、そして冷静だけれども温かみのある世界に対するまなざしは、どのように培われてきたのか。影響を与えられた本、小説を書くことを後押ししてくれた大切な本とは?

その4「95年に何かが変わった」 (4/5)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)
『死者の奢り・飼育 (新潮文庫)』
大江 健三郎
新潮社
562円(税込)
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芽むしり仔撃ち (新潮文庫)
『芽むしり仔撃ち (新潮文庫)』
大江 健三郎
新潮社
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リバーズ・エッジ 愛蔵版
『リバーズ・エッジ 愛蔵版』
岡崎 京子
宝島社
1,728円(税込)
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忘れられた日本人 (岩波文庫)
『忘れられた日本人 (岩波文庫)』
宮本 常一
岩波書店
756円(税込)
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シーラという子―虐待されたある少女の物語
『シーラという子―虐待されたある少女の物語』
トリイ・L. ヘイデン
早川書房
1,944円(税込)
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僕のなかの壊れていない部分 (光文社文庫)
『僕のなかの壊れていない部分 (光文社文庫)』
白石 一文
光文社
669円(税込)
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――30代はまた読書傾向が変わっていったのでしょうか。

:30代になってから大江健三郎さんに突然出会ってしまったんです。10代の頃は全然読んでいなくて。初期の『死者の奢り』『芽むしり仔撃ち』、『飼育』などを読んで、すごい作家がいるなって(笑)。どうして10代の頃に抜けていたのか不思議です。いちばん好きなのは『人生の親戚』。身体に障害を持つ子と精神に障害を持つ子を育てていた女性が主人公なんですが、子供が二人とも自殺してしまって苦しむ。つまり「人生の親戚」というのは悲しみのことなんですが、河合隼雄さんの解説も素晴らしくて、大江さんの世界を補完しているんです。これも何回も読み返しています。あとは高橋和巳さんの『邪宗門』。大本教という宗教団体がモデルとされています。95年にオウムの事件がありましたが、自分にとって近い事件に思えたんです。身近な人がオウムに入っていたということはないですよ。でも、世の中がバブルで景気がよかった頃から、なんとなくこのままじゃいけないよって思って、ドロップアウトしてインドに行ったり、宗教団体に入ってしまう人たちっていましたよね。オウムのやったことは裁かれるべきことだと思うけれども、そういう風に感じて入信した若い人たちもいたと思うんです。もう経済発展しなくてもいいから宗教的に生きたいとか、純粋に生きたいという気持ちがあったのに、それをどこかで、いつのまにか見失ってしまった気がする。それをずばーん、と感じたのが94年の岡崎京子さんの『リバーズ・エッジ』であり、95年の阪神淡路大震災とオウムの事件だったんです。『リバーズ・エッジ』は生身の身体をもてあましている子供たちの話であるし、オウムの事件も阪神大震災も、なにか生身の身体を意識させる出来事でもあったと思うんです。95年って何か転換期となった年で、そこに託されていたものがあると思う。それで『邪宗門』や、あと宮本常一さんの『忘れられた日本人』なども読みました。35歳くらいの頃から小説を書こうと思い始めるんですけれど、この感覚はこの先自分のテーマになっていくと思っています。

――その頃はライターとして活動されていましたよね。ライターとなるきっかけは何かあったのでしょうか。

:いきあたりばったりなんです。最初の子を亡くしているので、次の子の時は神経質に子育てしていたんですね。最初の子供を妊娠中にマタニティスイミングを習っていたんですが、そこの先生があまりの過保護ぶりを心配してくださって。その先生は日本でマタニティスイミングの草創期に深くかかわっていた方で、その方が本を作るので書いてみないかと声をかけてくださったんです。それで半年くらいその方にくっついて行動して本を1冊作りました。その後、子供の父親の仕事が芳しくなくなって、なんとか食べていかなきゃいけなくてどうしようとなった時に、その本のゲラを持って創刊したばかりの「たまごクラブ」の編集部に飛び込みで行ったんです。「こういう本を作ったんですが、ライターは要りませんか」と訊いたら、猫の手も借りたい状態だったようで「来週から取材に行って」と言われました。なので、特に目指していたわけではないけれどいつのまにかライターになったんです。でも始めてみたら面白かった。取材先のほとんどは産科や小児科のドクターでしたが、取材していくことで人間の身体のことを学ばせてもらったように思います。身体の本能と、私たちのああしたい、こうしたいという考えってまったく別のところで動いているものなんだなと思いました。例えば、気分が落ち込むと本人は自分がおかしいのかなと思うけれど、実はホルモンのせいだったりする。自分が弱い人間だからなんじゃなくて、ホルモンという理由があるんです。身体のメカニズムって面白いですね。

――小説を書きたいという気持ちはそこから自然と高まっていったのですか。

:取材をしていると、悲しくてつらい話もたくさんあります。雑誌は基本的に赤ちゃんが生まれてくるのが楽しみ、という話題が中心。そこからこぼれて落ちていくものも多いんですよね。妊娠、出産にはハッピーなイメージがあるけれど、生身の身体が一人の身体を産み出して育てていくのは並大抵のことではない。いろんなドラマがあるんです。自分も子供を亡くしているということも大きかったですね。この今の日本で、なんで子供が死ぬの、っていう、激しい怒りもありました。でもネガティブな感情は雑誌では拾えない。それで、フィクションだったら書けるかなと思ったんです。

――そうした思いと、95年以降抱えている思いが重なって。

:90年代頃からアダルト・チルドレンが話題になっていたこともありますね。人にはトラウマとまではいかなくても、心の中に抱えているものがあるということを口に出していいんだ、という空気が出てきたように思います。文学って元々そういうものだと思いますけれど、それ以前は、そういうことを言ったら弱い人間とされるムードみたいなものを感じていたし。「もう出してもよくね?」という転換期になったと思う(笑)。ちょうどトリイ・ヘイデンの『シーラという子』などといったノンフィクションが出ましたよね。こういう風な痛みを書いてもいいんだって、背中を押されたように思いました。それが小説を書きたいと思った時となんとなく合致しているように思います。ほかにはエリザベス・ワーツェルの『私は「うつ依存症」の女』がありますね。うつ病の日々をつづった自伝ですが、著者が頭のいい人なので、前半の家族の話の部分でも、自分の家がアメリカによくある崩壊家庭だということをよく分かって書いているんです。自分の傷とかトラウマとの距離の取り方を私はあの本で学んだと思います。うわーっと見せちゃいそうになるのを、「どうどう」となだめて温度を下げていくということを、この本で学んだんです(笑)。

――家族関係というのも興味の対象だったのですか。

:森瑤子さんの『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』はお母さんとの葛藤をカウンセリングしていく話です。森さんといえば恋愛小説のイメージが強いですが、そうした作家が家族の話をさかのぼって、掘り下げていくのは興味深かったですね。白石一文さんの『僕の中の壊れていない部分』も大きかったです。男性の主人公が、母親に見捨てられたことをずっと背負っているんですよね。この本に書かれている「人間は自分の人生にとって本質的なことからは、何がどうあったって、決して目をそらすことはできないんだ」という部分を読んで、あぁそうなんだ、とすごく腑に落ちるものがあったんですね。こういうことを小説に書いていいんだ、それがテーマになるんだ、って思ったんです。ちょうど小説を書き始めていたか、書こうかなと思っていた時期でした。小説家は自分の本質的なことから決して目をそらすことができないんだって、白石さんの本が教えてくれたんです。

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