第152回:中村文則さん

作家の読書道 第152回:中村文則さん

ミステリやスリラーの要素を感じさせる純文学作品で、国内外で幅広い層の読者を獲得している中村文則さん。少年時代は他人も世界も嫌いで、学校では自分を装っていたのだとか。そんな中村さんが高校生の時に衝撃を受けたのは、あの本。そして大学時代がターニングポイントに…。デビューの裏話などを含めたっぷりうかがいました。

その3「東京で孤独に小説を書く」 (3/6)

  • そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所
  • 『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』
    松浦 寿輝
    新潮社
    1,836円(税込)
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    honto

――では卒業後は、小説を書いては応募する生活だったのですか。

中村:東京でフリーターになって孤独に小説を書く、というプランがありました。福大が楽しかったので、そこにいたらその生活に馴染んでしまうと思ったんです。それで東京に来たけれども、次第に最初の動機からずれていくわけです。小説家になろうと決めちゃうと、自分が純粋に書きたいものではなくて「こういうものがウケるんじゃないか」などと考えはじめてしまう。そうしていくと、これは僕がやりたいことなのか?と思えてくる。フリーターだからお金も少ないし電気もガスも水道も止まるし、そんななかで自分が書きたいかどうかも分からない小説を書いているのは不健全。で、ある時、もういいや、プロになるとか時代がどうだとかは知らん、やりたいことをやればいい、そもそもそれで書き始めたんだから、と気づいて書いたのが「銃」でした。それまでと文体も変えて、集中して書いたんです。それを新潮新人賞に送ったら、文藝賞と群像新人賞に送った時は一次で落ちていたのに、そのまま受賞してデビューすることになって。原点に帰ってやりたいことをやるのがいちばんなんですね。

――それまで文藝賞や群像新人賞に応募していたのに、なぜ新潮新人賞に送ったのですか。

中村:僕、新人賞の一次予選で落ちた時、最初は郵便局員がいけないんじゃないかと思ったんです(笑)。それで郵便局を変えて送っても落ちるから、あ、原因は郵便局じゃなくて僕だ、と思って(大笑)。それで、一回編集者に原稿を読んでもらえないかと思って、新潮社の編集部に電話したんです。すごく応対は優しかったけれどもやはりダメだと言われ、電話を切ろうとしたら食い下がるように「うちは新潮新人賞があるので、そこに応募してください」と何度も言ってくれて。それで、こういう優しそうなところに応募しようと思ったんです。受賞した後でその時の電話に出た人を探してくれたんですが、そういう問い合わせの電話はたくさんあるようで、結局誰だか分かりませんでした。だから、電話の対応も気を付けたほうがいいですよね。
 文藝賞や群像新人賞に落ちた頃に、図書館で『新潮』を読んだことが最初の理由です。新年号で、松浦寿輝さんの「虻」と、藤沢周さんの「第二列の男」が載っていました。そのふたつにものすごく感動して。当時、作家はいろんな文芸誌で書くということを分っていなくて、この人たちは『新潮』で書いているんだと思ったんですね。こんな素晴らしいものを載せている雑誌の人に、自分の小説も読んでくれないだろうかと思ったんです。「虻」は『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』に、『第二列の男』はそのままのタイトルの作品集に入っています。

――応募生活の頃は本は読めていましたか。お金がなくてなかなか買えなかったのでは?

中村:買っていました。文庫ですけれどね。これまでの延長で、ニーチェとか聖書とかを読んでいました。「銃」はジッドの『背徳者』の序文が参考になったんです。「わたしはこの書を以て訴状と弁疏ともしようとは思わなかったのである。/わたしの意はよく描くことと、おのれの描いたものをはっきりさせることに在る。」などの文章を読んで、ああ、そうかと思った。現象を書き表せばいいんだと思えたんです。じゃあ銃を拾った人の心理を、混乱や矛盾を含めて冷静に書き表してみようと思いました。『背徳者』は絶版になっていたので大学の時に手に入れておいてよかった。そうでなかったら作家になれていなかったかもしれません。

――受賞が決まって、すぐ生活に変化はありましたか。

中村:受賞が発表になったのが10月7日で、12月には芥川賞の候補になったんです。そうしたらいきなりインタビューの依頼がたくさん来ました。25歳で作風がヘンで、「ドストエフスキーが好きです」なんていう奴が出てきたから、変わってるなということでインタビューしたくなるんでしょうね。他の文芸誌からも電話がかかってくるようになりました。僕はただただ戸惑っていました。

――プロになったという達成感などはあまりなく...?

中村:これはもう言ってもいいのかな。実は、最終選考に残った時に『新潮』の編集者が僕に会いに来てくれたんです。その時は愛知にいたので、そこまでわざわざ。それで「賞を獲れるかどうか分からないけれど、落ちてもうちで書いてほしい」と言われたんです。今の体制と当時の体制は違うので、その当時ならではのことなのかもしれません。編集部では全員僕に「○」をつけていたそうなんですが、選考会は編集者もタッチできないしどうなるか分からない。でも落選してもこれからうちで書いてと。それで、発表されていないうちから二作目を書き始めていました。だから達成感を得た瞬間というと、本当は編集者に「書いてくれ」と言われた時なんです。「デビューだ!」と思いましたね。酔っ払ってダンサーの友達に電話して報告したのは憶えています。結局、新潮新人賞も受賞したんですが。

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