作家の読書道 第192回:門井慶喜さん

今年1月、『銀河鉄道の父』で第158回直木賞を受賞した門井慶喜さん。受賞作は宮沢賢治の父親にスポットを当てた物語。他にも、美術や建築などを含め歴史が絡む作品を多く発表している門井さん。その礎を築いたのはどんな読書体験だったのだろう。

その1「あの分厚い本を読んだ記憶」 (1/5)

――古い読書の記憶といいますと、何が浮かびますか。

門井:国語辞書です。

――え?

門井:国語辞書というか、国語辞典というのかな、あれを最初から最後まで読んだのが、僕の最初期にある読書の記憶なんです。

――わあ。何歳くらいの時ですか。

門井:小学校1年生の4月から5月にかけて、いや、もっとかかったかもしれません。ちゃんと理由がありまして。おそらくは小学校の入学祝いだと思うのですが、親に小学生向けの大きな活字の辞書を与えられたんですね。幼稚園の頃は絵本などを読んでいて、僕は本のことをよく知らない子どもだったので、本というものは全部、最初から最後まで読まなければいけないものだと思っていたんです。それで親に辞書を与えられた時もこれはもう、全部読むものだと思って、砂を噛むような思いで「あ」から律儀に、1ページも飛ばさずに読んだんです。読めない漢字などは飛ばしたとは思いますが。

――じゃあ、学校から帰ってきたら黙々と読むような日々だったのでは。

門井:はい。家にあった、組み立て式で2人が向かい合ってベンチシートに座るような形のブランコや、縁側に座って読んでいたのを憶えています。

――全部読んだとしたら、相当勉強になりましたよね。

門井:なったのかもしれませんが、僕はただただつまらなかった思いしかないという。「あ」から「い」は絶好調だったんです。普段なんとなく使っている言葉の意味を、ピタピタピタッと短い言葉で決めてくれるので、こんなすごい本はないと思いました。でも、「い」で飽きますね(笑)。それは辞書ではなく僕が悪いのですが。でも最後まで読まなきゃいけないという強迫観念があるので、つまらなくても読み進めました。「か行」や「さ行」が一番ボリュームあるので、次に進まずつらかったですね。「さ行」が「た行」に変わっただけでもう、世界が変わった! みたいなドラマを感じました(笑)。「た行の一番最初は"田"だよ!」と思った覚えがありますね。それが幸か不幸か、僕と辞書との出会いでした。

――分厚い書物を読み終え、その後はどんなものを読んだのでしょう。

門井:幼少時はよく憶えていないんですよね。わりと早い時期から新聞は読んでいたんです。小学生新聞もとってもらいましたが、大人向けの新聞も読みました。それと、乗り物の図鑑なども。他はなんでしょう、学習漫画が好きだった気が。

――学研の「ひみつ」シリーズとかでしょうか。『恐竜のひみつ』とか、いろいろありましたが。

門井:あ! そうですよ、それですよ! 今パッと思い出しました。「科学」から「手品」などまで、いろんな「ひみつ」がありましたね。同じシリーズだったのかな、歴史の学習漫画もありましたね。1人につき見開き2ページずつ、聖徳太子の話から始まって、藤原道長、織田信長、徳川家康、近代では岩倉具視とか......五百円札の時代ですからね。最後は誰で終わっていたのかな、忘れましたけれど。そういう日本史の巻と世界史の巻があって、どちらもすごく好きでした。こうやって考えてみると、フィクションはあまり読まない子どもだったかもしれません。

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