
作家の読書道 第199回:瀧羽麻子さん
京都を舞台にした「左京区」シリーズや、今年刊行した話題作『ありえないほどうるさいオルゴール店』など、毎回さまざまな作風を見せてくれる作家、瀧羽麻子さん。実は小学生の頃は授業中でも読書するほど本の虫だったとか。大人になるにつれ、読む本の傾向や感じ方はどのように変わっていったのでしょうか。デビューの経緯なども合わせておうかがいしました。
その2「長い小説が好き」 (2/6)
――中学生時代も本は読み続けましたか。
瀧羽:中学から私立に通いはじめたんですけれど、さすがに授業をちゃんと聞かないとついていけないし、あとはまあ、友だちと遊ぶのが楽しいとか、本以外の楽しみに気が散るようになって、小学生のときに比べれば読書量は減っていたと思います。長い休み中とか、時間に余裕があれば読むくらいで、四六時中本が手放せない感じではなくなりました。ときどき、江國香織さんとか山田詠美さんのおしゃれな恋愛小説を読んで、「ああ、大人の恋って素敵」とうっとりしたりして。今思えば、恋愛の機微なんて分かりっこないんですけどね。
その頃から、父親の本棚を物色するようにもなりました。ただ、父はどちらかといえば小説よりもエッセイが好きなんです。しかもジャンルが偏っていて、建築が専門なのでそっち系とか美術系、あとはヨーロッパを中心に海外の旅ものや随想、あと食べ物関連も好きで。当時の私は基本的に長い長い「物語」が好きだったので、エッセイの魅力はよく分かっていなかったです。とりあえず文字を読みたい欲求を満たすだけで、大人の身辺雑記なんて興味がない。ノンフィクションに興味を持つには、人生経験が足りなかったんでしょうね。
――日本の小説というと古典、近代、現代によっても言葉や表現が全然違いますが、どれも好きでしたか。
瀧羽:現代ものが好きでした。古典も面白いなとは思うんですけど、今の日本語のほうが好きですね。
――授業の課題図書になりそうな、夏目漱石とかは...。
瀧羽:夏目漱石は家に全集があったので、読みました。谷崎潤一郎全集も。うちの本棚が偏っているので、偏りがありますね。
――『細雪』は長いからよかったのでは(笑)。
瀧羽:はい、長くて非常に満足しました(笑)。ああそうだ、長いといえば、『源氏物語』なんかも読みましたね。誰の現代語訳だったかな。今となってはあいまいな記憶しかなくて、なんだか悔しいですね。
――なるほど。長いといえば山岡荘八『徳川家康』とか吉川英治『宮本武蔵』といった歴史小説は...。
瀧羽:歴史小説だと、一時期、司馬遼太郎ブームがきて、ひたすら読み続けました。『竜馬がゆく』とか『坂の上の雲』とか、どれも長いですし(笑)。さっき例に出したような、女性作家の恋愛小説とは、題材も文体も全然違いますけど、その頃はまったく意識していませんでした。お話にのめりこめさえすれば、何でもかまわなかった。作品を読んで、自分に対して何か問いかけるとか、人生について思索にふけるとか、そういう高尚なこともなくて。欲望のまま、ご飯を食べるような感じでがつがつ読んで、読み終えたら忘れて、ただ純粋に物語を追うのを楽しんでいました。
――さきほどドストエフスキーとおっしゃっていましたし、『カラマーゾフの兄弟』など長い海外小説も読んでいたわけですよね。それこそ、長いといえばプルーストの『失われた時を求めて』は?
瀧羽:『失われた時を求めて』は大学生の時に挑戦して、途中で挫折しました。子ども時代のように、長い話を意味はよくわからないまま無我夢中で読み続けるということが、その頃になるとさすがに難しくなってきて。ある程度は分かりやすいものがいいなと思うようにもなりました。