第199回:瀧羽麻子さん

作家の読書道 第199回:瀧羽麻子さん

京都を舞台にした「左京区」シリーズや、今年刊行した話題作『ありえないほどうるさいオルゴール店』など、毎回さまざまな作風を見せてくれる作家、瀧羽麻子さん。実は小学生の頃は授業中でも読書するほど本の虫だったとか。大人になるにつれ、読む本の傾向や感じ方はどのように変わっていったのでしょうか。デビューの経緯なども合わせておうかがいしました。

その4「転職活動と並行して執筆開始」 (4/6)

  • わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい (ちくま文庫)
  • 『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい (ちくま文庫)』
    鴨居 羊子
    筑摩書房
    990円(税込)
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  • “少女神”第9号 (ちくま文庫)
  • 『“少女神”第9号 (ちくま文庫)』
    フランチェスカ・リア ブロック,Block,Francesca Lia,瑞人, 金原
    筑摩書房
    946円(税込)
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  • マジック・フォー・ビギナーズ (ハヤカワepi文庫)
  • 『マジック・フォー・ビギナーズ (ハヤカワepi文庫)』
    ケリー・リンク,柴田 元幸
    早川書房
    1,100円(税込)
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――卒業後は就職されて。

瀧羽:勤め先は外資でしたが、日本本社が神戸にあったので、私は実家から通っていました。大学時代は、本なり映画なり趣味に熱中している友達が多かったんですけど、会社の同僚はまったくそういう感じではなかったです。読むとしたらビジネス書、というような。私自身も、社会人になって2年くらいは仕事で手一杯で、読書どころではありませんでした。それが3年目あたりから会社にも慣れて、少しずつだらけてきて、これでいいのかな、と違和感も持ちはじめて。家族も地元の友達もそばにいるし、住み慣れた土地だし、居心地は悪くありませんでした。ただ、この先もずっと同じ会社で働いていたら、一生がここで完結することになるかもな、とふと思ってしまったんですよね。私が飽きっぽい性格のせいもあるんですけど、このまま終わるのはなんかちょっといやだな、と。
それで、転職活動を始めました。しかもなぜか、並行して小説も書き始めて。今考えると、なにも同時にやらなくてもよかったのにと思いますが、とにかく焦ってたんでしょうね。なんとかしなきゃ、って。少しおおげさに言うと、人生を打開したかったのかもしれません。

――そこではじめて小説を書いてみた、と。

瀧羽:大学時代の友達で、小説を書いては投稿している子がいて、彼から聞いた中に、小学館の「きらら」という文芸誌の主催する掌編の賞がありました。毎月優秀賞が選ばれて誌面に掲載され、審査員の佐藤正午さんと盛田隆二さんが選評を書いて下さるというものです。確か、最長1000字までという条件で、携帯電話のメールで応募できるので手軽でした。その短さなら私にも書けるかもと思って、半分は賞金めあてで応募してみました。フィクションといえる文章を書いたのは、その時が人生初ですね。
それで1回賞をいただいて、編集部から「長いものも書いてみたらどうですか」と言われました。その気になって書こうとはしてみたんですが、長い小説って読むのは楽しいけど書くのは大変だという、当たり前のことにそこで気づきました。転職活動や、転職先が決まってからは東京に引っ越す準備もあって、100枚ほどで力尽きました。せっかくだからどこかに応募しようと考えたんですけれど、しろうとなので文学賞の知識もなくて。100枚もプリントアウトするのはしんどいなあ、どこかメールで受け付けてくれるところはないかな、とネットで探して見つけたのが、ダ・ヴィンチ文学賞でした。

――応募先を決めたのが、そんな理由だったとは。

瀧羽:不勉強で、本当にお恥ずかしい限りです。今思うと、業界のことも、文学賞のことも、何ひとつ分かっていませんでした。2007年の年明けに転職して上京したんですが、確かダ・ヴィンチの賞もその直後が締切でした。引っ越しを終えて、「あ、あれを送らなきゃ」とはたと思い出して、まだ段ボール箱の積み上がっている部屋で、床に置いたパソコンから原稿を送信したのを覚えています。
 新しい会社に入ってからは、前職とは全然違う業界だったのもあって、必死に働いていました。それから数か月経って、応募したこと自体をすっかり忘れていた頃に、私の小説が最終選考に残っていると連絡をいただいたんです。びっくりしました。当時はちょうど名古屋の案件の担当になって、ホテル住まいをしていたんですよ。そこへ突然電話がかかってきて、「賞を獲れるかどうかはまだわからないけど、私はこの小説を出版したいので1回お会いしましょう」って言われたんです。Iさんという女性編集者でした。私にとっては、小説家としての命の恩人です。

――命の恩人とまで思うというのは...。

瀧羽:あのとき、もし彼女に拾ってもらえなかったら、私はもう小説を書かなかったと思います。書いてみて、私はやっぱり小説を書くよりも読む方が圧倒的に好きなんだな、とつくづく実感していたので。仕事や、東京での生活や、他に考えなければいけないことも多すぎて、賞に応募したことすら忘れていたかもしれません。そう考えると、本当に感謝しかありません。

――その時に応募した『うさぎパン』でダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞してデビューが決まるわけですが、その前に担当編集者にお会いしていたんですね。

瀧羽:Iさんにお会いするまでは、出版社も知らないし、編集者も知らないし、読者としてしか小説の世界を知らなかったので、一から教えていただきました。彼女もすさまじい量の本を読んでいて、「きっと瀧羽さんはこの本好きだと思う」って、いろいろ持ってきてくれるのも、すごく嬉しかったです。「この人と一緒にいれば素敵なものをいっぱい教えてもらえる」って、そんなふうに思えるのは大学の時以来でわくわくしました。

――どんな本を教えてもらえたのでしょうか。

瀧羽:『パンドラの匣』(太宰治)、『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』(鴨居羊子)、『"少女神"第9号』(フランチェスカ・リア・ブロック/金原瑞人訳)、『マジック・フォー・ビギナーズ』(ケリー・リンク/柴田元幸訳)あたりが、特に印象に残っています。読んでみたらどれもこれも見事に好きで、「Iさんについていこう」とあらためて思いました。読むことが勉強にもなる、とも言われました。それに私はどうしても、書くより読むほうが好きで。ずっと原稿を書いたり自分のゲラを確認したりしていると、だんだんうんざりしてくるんです。そんな時に、誰かが書いてくれた面白い小説を読むと気持ちが晴れて、私もがんばろうという気力も湧いてくる。私のそういう習性もおそらく見越しつつ、育てていただいたと思います。

――自分の執筆中は他の小説を読むと文体が引っ張られるから読まない、という方も多いのに、瀧羽さんは違うんですね。

瀧羽:文体が引っ張られることはないと思います。でも使いたい言葉にぶつかる時はありますね。「この言葉って使ったことないなあ、どこかで使ってみたいなあ」と思って、それで執筆意欲を上げてまた書く、というサイクルです、私は。

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