
作家の読書道 第203回:古谷田奈月さん
2017年に『リリース』で織田作之助賞を受賞、2018年には「無限の玄」で三島由紀夫賞を受賞、「風下の朱」が芥川賞候補になるなど、注目を浴び続けている古谷田奈月さん。自由で斬新な作品の源泉はどこにあったのか、その読書遍歴をおうかがいしようとすると、最初に挙がったのは本ではなくて……。
その3「文体を真似たのはあの人」 (3/6)
――ところで、文章を書くことは好きでしたか。
古谷田:すごく好きでした。夏休みは読書感想文を書きたいから本を読んでいたというくらいで、クラスメートたちがなぜあの宿題をいやがるのかわからなかった。読書は面倒だけど感想文は書きたいという感じでした(笑)。
3、4年生の頃、あまり自信がなかった『秘密の花園』の読書感想文を担任の先生がすごく褒めてくれたんです。そういうことはそれまでもそのあともありませんでしたが、その先生だけは、受け持ってくれた2年間、ずっと私の文章を褒め続けてくれました。自分という存在が認められているのを感じた、貴重な2年間でした。
――中高時代はどんな本を読んでいたのですか。
古谷田:中高時代はあまり学校に行っていなくて、図書館に通っていたんです。『指輪物語』や『ゲド戦記』を義務感を持って、読まなきゃいけないものとして読んだりしていました。「ビッグネームだから知っておかなければならない」みたいな感じで、日本の有名人たちもちらちら読んでいたけれど、楽しいという感じではなかったですね。
図書館に行ってたのも家にいるより「何かやってる感」が出るという理由だったので、なんだろう、自意識しかないみたいな時期でした(笑)。
――その頃、印象に残った作品はありますか?
古谷田:高校時代に椎名誠さんの『哀愁の町に霧が降るのだ』という、半自伝的小説と銘打っているものを読んで。もう、こんな面白い読み物があるのかと思いましたね。たまたま家にあったんですけれど。椎名さんって、もともと人を笑わせるようなことを書くのがうまいじゃないですか。実際に起きたこともそういうふうに書ける。「このスタイルはなんだ。おもしろすぎる」と思って、後にも先にも1人だけです、「完全に真似して書こう」と決めて本当に同じように書いたのって。私の場合は全部創作で、『哀愁の町に霧が降るのだ』の椎名誠にあたる人はこの人、沢野ひとしはこの人、と登場人物を作って、ああいうふざけた感じの文章に似せて、夢中で書いていました。超楽しかったですよ。
――それ、読みたいです。
古谷田:私、自分がいつ死ぬか分からないから、読まれたら恥ずかしいものはちょくちょく捨ててるんです。子どもの頃描いていた漫画とかも。
――ああ、よく「文豪の未発表の幻の作品が見つかった」とかニュースになりますけれど...。
古谷田:もう、あれが本当に胸が痛んで。「見つかりました」って言ってるけれど、あなた、本人に許可とったのって。それは本当に、10代の頃から憤ってきていることです。なので、自分はちゃんとやろうと思って。私は捨ててます(笑)。
――中高はあまり学校に行かなかったとのことですが、大学に進学されていますよね。
古谷田:通信制の高校に通って、大学には行きました。で、大学生の時にジョン・アーヴィングに一時期ハマりました。特に『ガープの世界』と『サイダーハウス・ルール』。アメリカの作家にそういう人が多いのか分からないけれど、あの人って、主人公の誕生から、なんならその親から書きますよね。本当に長く一人の人間とつきあうっていうことに贅沢さを感じました。日本の小説はあまりそういうイメージがなかったので、そのスケールの大きさに外国を感じたこともあり、気に入っていました。今でも、自分でもアーヴィングみたいなものを書いてみたいなと思うことはありますね。大変そうだけれども。それと、その頃に翻訳家の岸本佐知子さんとの出会いがありました。『中二階』を読んだんです。
――ニコルソン・ベイカーの『中二階』ですね。一人の青年がエスカレーターで中二階に移動する間の、彼の思考が微細に綴られている。
古谷田:あれを読んだ時に、ミクロな世界にすごく壮大なものを感じたんです。「小説はこうである」みたいなことにこだわらなくてもよくて、本当に自分が気になることや感じていることに対して正直でいていいんだなっていう、励ましみたいなものを感じた作品です。憧れの作品ですね。
サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』と『フラニーとゾーイー』も私にとって特別な作品なんですが、あれも『中二階』的とまで言わなくても、自分の中にあるこだわりととことん付き合っていくものとして特別なんですよね。いつまでもああいう心を忘れずにいたい。きらめきというより執着みたいなもの。
――「ライ麦」も大学生の頃読んだのですか。
古谷田:20歳を過ぎてからです。主人公ホールデンと同じ年頃じゃないからこそ、たぶんいろいろ理解できたし、彼に対して寛容でいられたんだと思います。あの人、ぐちゃぐちゃぐちぐちずっと言ってるから、同じ年代で読んでいたらすごく苛々しちゃったような気がする。でもちょっと成長してから読んだので、愛情をもって読むことができました。
そこから関連付けていくと、ブレット・イーストン・エリスの『アメリカン・サイコ』もすごく好きでした。素敵な青春小説って感じがしたんですよね。主人公のパトリック・ベイトマンは虚栄心に満ちた人物で、自分の中の満たされない部分がたぶんあって次々に人を殺していく。それを風刺的に書いているんだけれども、私はそれがすごく切実な姿に見えました。私の中でパトリック・ベイトマン=ホールデン・コールフィールドみたいな感じなんです。どちらも憧れの人、愛すべき人です。