第205回:今村昌弘さん

作家の読書道 第205回:今村昌弘さん

2017年に鮎川哲也賞受賞作『屍人荘の殺人』でデビューした今村昌弘さん。意表を突くクローズドサークルの設定が話題となり、年末の各ミステリランキングで1位になり、本格ミステリ大賞も受賞。第2作となる『魔眼の匣の殺人』も期待を裏切らない内容で、今後の活躍が楽しみな新鋭です。でも意外にも、昔からミステリ作家を目指していたわけではなかったのだとか。ではどんな本が好きだったのか、そして作家を目指したきっかけは?

その3「大学の専攻を決めた理由」 (3/6)

――大学は医学部の保健学科放射線技術科学専攻とのことですが、なぜそこを選ばれたのですか。

今村:受験を控えて進路を決めなくてはいけなかったけれど、特にやりたいことがなくて。自分はあまりサラリーマンには向いていないだろうと感じていたのですが、やりたいこともない。それで、いつかやりたいことがみつかった時、ちゃんと足場を固めておいたほうがほうがいいなと考えて、何かの資格を取ることにしたんです。何の資格がいいかなと思った時、少子高齢化の時代なので医療系は固いだろう、と。
 でも医療系の仕事は人の命に携わることなので、生半可な覚悟ではできない。医者は当然無理だし、看護師さんも、こういう考え方をしている時点で自分は人の面倒見がいいとは思えないし......と迷っていた時に母親から「レントゲン撮る人はどう」と言われたんです。「あのボタン押してる人」って。それはいいなあと、結構軽い考えで道を選びました。

――そもそもサラリーマンに向いていないと思ったのはなぜですか。

今村:あまり人の指示を聞かない(笑)。自分の考えで動くことはできるんですけれど、あまり、人に言われたことを聞くような道を歩んではこなかったんです。もちろん、ちゃんと勉強したり、制服のホックをきちんと留めるということはしていたんですけれど、それは先生の言うことを聞いていたわけではなくて、そっちのほうが波風立たないとか、労力を使ってまで違反する理由はないとか、そういうことだったので。いろんな人がいる会社に入って、人の下について与えられるものを待つというのは自分の望むやり方じゃないなあと。ほしいものは自分で手に入れると言ったら偉そうになりますけれど、あまり人に頼っても面白くないだろうな、という部分がありました。

――そういう性格だということは、小中高と、クラスの中でどういう立ち位置でしたか? リーダー格でした?

今村:完全にリーダー格ですね。中高と、バレーボール部でもキャプテンでした。小学校の時もサッカーでキャプテンをやらされていたんですけれども。

――なるほど。それと、小さい頃から将来なりたいものはなかったのでしょうか。高校は理系コースだったわけですが、それもなんとなく?

今村:中学の時は考古学者に憧れましたが、親に「そんなことでは暮らしていけない。理系の道に進め」と言われて、なんとなく選んだという。
 そこまで労力を費やしてやりたいことがなかったんです。自分が体育会系だったから思うのかもしれませんが、結局スポーツって最終的に勝ち進められるのは1人じゃないですか。どれだけ努力してもどんどん負けていって、最後に1人になる。僕は別にスポーツ選手になりたかったわけでもないし、負けてもそこまで悲しむことはなかったんですけれど、勝つことの難しさは知っていて。たとえば高校野球は、夏の甲子園目指すにはまず強豪校に入らなくていけなくて、入ってもスタメンの9人に入らなければならなくて、さらに県内で他の学校を倒して1番にならなくてはいけなくて、ようやく甲子園に行くとなっても、高校3年間のたった3回しか挑戦権がない。そのためにどれだけの練習や時間を費やすのかっていう。自分が同じだけのエネルギーを費やしてやりたいことは何だろうと考えると、本当になかったんです。

――そこでやりたいことが見つからない、と焦りを感じる人もいると思うんです。でも、焦らずに先に足場を固めることを考えるところが冷静ですね。

今村:ひねているのか分からないですけれど、昔から「そんなに甘いものじゃないだろう」というのはどこかにあります。自分にふさわしい仕事とか、自分にしかできないこととか、そういうものを若者はみんな求めると思うけれど、僕は「そんなうまいこと見つかるわけない」とか「そんな簡単に物語の主人公になれるはずがない」と考えてしまいます。だから大きな成果を残した人に対して「あいつ天才だな」と簡単に言っているのを聞くと、「いや、誰もあの人ほど努力をしていないだけだろう」と思います。

――小説を書く、ということはその当時まったく考えたことはなかったのですか。

今村:なかったですね。当時は全然書いてもいなかったですし。でも、部活をしていると人と話す機会は毎日あって、人を笑わせるのは楽しかったです。だから、人を楽しませるのは好きだったんだなと思います。

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